生駒吉乃

絵・小久ヒロ

織田家

生駒吉乃は信長が最も愛した側室? 信忠、信雄、徳姫を産み39才で死す

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娘の徳姫は嫁ぎ先で大トラブル!

信忠は嫡男として、信長の期待通りに成長。

各地を転戦して活躍し、指揮を任された甲州征伐も成功させるなど、順調に足場を固めていった。

一方、織田信雄は、信長に無断で伊賀へ攻め入って返り討ちに遭ったり、信長死後の【小牧・長久手の戦い】では同盟者の徳川家康を無視して勝手に豊臣秀吉と和睦を結んだり、身勝手な行動からの失策が目立つ。

ぶっちゃけて言えば“バカ殿”扱いされがちだ。

徳姫については気の毒でしかない。

嫁ぎ先の松平信康が実母の築山殿と共にトラブルが元で死んでしまったのである。

いわゆる信康自刃事件(1579年)である。

松平信康
松平信康(家康の長男)はなぜ自害へ追い込まれた?謎多き諸説を考察

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従来この事件は、信康や築山殿と不仲だった徳姫が父の信長に密告し、信長の命令で信康は自刃に追い込まれたとされてきた。

しかし最近は

浜松の徳川家康派
vs
岡崎の松平信康派

という権力争いからの事件発展だという見方も強まっている。

しかも岡崎の信康派は、武田との内通を謀っていたという噂まで立っていたのだから、厳罰に処罰されても仕方がない。

子供にも恵まれず、徳姫にとっては不幸な結婚だったかもしれないが、彼女自身はその後、織田家や母の実家、松平家に庇護されるなどして寛永13年(1636年)まで生き永らえており、長寿を全うしている。

最後に、秀吉と吉乃のエピソードに触れておこう。

 

秀吉は吉乃に取り入り織田家に仕官した!?

雑用係として織田家に潜り込み、信長の下で出世していった豊臣秀吉。

豊臣秀吉
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最初は織田信長ではなく、今川家の松下之綱(ゆきつな)に仕えていた。

同家を出奔してから故郷の尾張に戻っていたわけだが、その際、生駒家の屋敷に出入りするようになり、そこで生駒吉乃と知り合ったという。

貧しい身なりの者なれど、当時から頭脳明晰でユーモラスだったのだろう。

吉乃と軽口を交わして気に入られるうちに信長にも知られるようになり、その縁から奉公を願い出て織田家の家臣になったという。

あの「草履を温めるエピソード」もこの生駒屋敷での出来事だった……と、盛り上がりたいところだが、そもそも話の真偽がかなり怪しく、研究者たちからは「信憑性の低い出典である」とされている。

確かに、話としては非常によく出来ていて、だからこそ出来過ぎな気もするわけだが……。

いずれにせよ彼女の記録は少なく、3人目の徳姫を産んだ後は体調を崩し、そのまま寝たきり同然となっていたという。

信長は、このころ小牧山城へ移転しており、永禄8年(1565年)には吉乃も「御台御殿」へ転居させるのだが、その翌年、息を引き取ることとなってしまった。

新居を与えられた吉乃は、涙を流して喜んでいたという。

享年39。

信長と同様、彼女の血も織田信雄に受け継がれ、それは現代にまで繋がっている。

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文:五十嵐利休

【参考】
国史大辞典
『歴史読本』編集部 (編集)『物語 戦国を生きた女101人 (新人物文庫)』(→amazon
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon

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