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生き延びた弥助のその後は?
結局、信忠も自害してしまいますので、弥助は二人を助けることはできませんでした。
ただし、弥助本人は運良く生き永らえます。
明智光秀は、弥助のことを何とも思っていなかったようで、元いた南蛮寺に送ったといいます。
弥助のことを差別していたのか、それとも本来関係のない異人だから助けてやろうとしたのか。
そのあたりは変の理由と同じく不明です。
光秀はキリスト教もあまり好きではなかったようなので、単に興味が湧かなかったのかもしれませんね。
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史実の明智光秀はどんな人物?麒麟がくる・どうする家康との違いは?
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このとき弥助が信長の首を持ち出してデスマスクを作らせたという話は、さすがに眉唾ものでしょう。
当時の日本にそんな概念があったのか?
そもそも奴隷だった弥助がデスマスクというものを知っていたのか?
いろいろツッコミどころは満載です。
まぁデスマスクの話は置いときまして、その後の弥助の軌跡は……残念ながら不明なのであります。
九州の激戦「沖田畷の戦い」にも参加!?
一説には九州の有馬家に仕え、沖田畷の戦いに参加したともいわれています。
信長に会う前、有馬晴信にも謁見したことがあるのは事実らしいので、とりあえず面識のある武士に仕えようとしたというのはありえそうな話ですね。
南蛮寺で大人しくしているのは性に合わなかったんでしょうか。
また、故郷モザンビークに帰ったのでは?という説もあります。
現代でも飛行機を乗り継いで丸一日かかりますから、現実的にはちょっと無理な気もしますが……テレビ番組の『世界ふしぎ発見!』で取り上げられていました。
根拠としては、モザンビークにある「キマウ」という現地の衣装が、日本の着物によく似ているから、というものです。
もし弥助が日本の着物を持ち帰って伝えたのだとしたら非常に面白い話ですが、さすがに間違いであろうと思われています。
まず帰国費用が凄まじい値段であり、そのお金を用意できないであろうこと。
そしてもう一つが弥助が出身地を覚えている可能性が低いこと。
かように何のアテもなく目的地すら不明であれば、目の前の一日を過ごすことで精一杯だったことでしょう。
ポルトガルの法律では、いったん解放された奴隷はその後自由になれたようですが、戦国時代に日本からアフリカへの渡航は現実的に不可能だったと考える方が自然です。残念ながら……。
なお、映像作品としてはアマゾンプライムのドラマ『MAGI』に弥助が出ておりました。
吉川晃司さん演じる織田信長との対面シーンは、見応えあります!
アマゾンプライムビデオで無料ですから、会員の皆様はご覧ください。
天正遣欧少年使節を描いたストーリーで、圧倒的迫力の映像です(こちらから→amazon)。
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長月 七紀・記
【参考】
ロックリー トーマス/不二淑子『信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍』(→amazon)
弥助/wikipediaより引用(→link)