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斎藤利治のリベンジ手取川!月岡野の戦いで道三末子が上杉に大勝利!

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豊臣秀吉が戦列を離れ、その後、柴田勝家が上杉謙信と激突した――手取川の戦い

手取川の戦いとは? 秀吉が戦線離れて、謙信が勝家をフルボッコ!

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実は、この戦いには、興味深い後日談があったのをご存知ですか?

天正六年(1578年)10月4日、斎藤利治と上杉家による【月岡野の戦い】です。

 

やる気マンマンの織田 vs 御館の乱の上杉

手取川の戦いが起きたのは天正5年(1577年)9月のこと。

織田家の中でも猛将として知られる柴田勝家軍が完膚なきまで上杉謙信にボコられ、あらためてその強さに震えた織田軍ですが、翌年3月になって当の謙信が急逝。

そのため上杉家内では、養子2名による壮絶な家督争いが生じました。

御館の乱】です。

御館の乱で上杉家真っ二つ!謙信死後に「甥っ子景勝vs養子景虎」が勃発する

越 ...

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家督を争ったのは謙信姉の息子・上杉景勝(with直江兼続)と、北条家から養子にきていた上杉景虎。
それぞれに派閥の家臣がつき、真っ二つに割れていたのです。

敵から見れば、こんな付け込むチャンスはありません。

てなわけで、まず信長は、謙信時代に追い出されて織田家に来ていた神保長住(じんぼうながずみ)という人物に
「おい、お前の領地取り返せそうだからいっちょ働いてこい」(超訳)
と先行させました。

とはいえ彼には満足な兵数もいませんから、いきなりそんな真似はできません。
地元の越中(現・富山県)に元家臣や親族がおり、そうした人々に呼びかけて織田家へ帰順するように説いてまわります。

一時は上杉家についていた人々も一部これに応じ、長住は密かに越中を掌握していきました。
戦そのものも面白いですけど、こういう水面下の動きもワクワクしますね。

 

マムシの息子にして濃姫の弟・斎藤利治がいく

しかし、当然のことながらこれを良しとしない人もいました。

血筋的には上杉家のほうが上と見られていましたから、
「得体の知れない家に頭下げるなんてたまるか!」
というわけです。

数回に渡って説得を試みてもうまくいかず、ついに信長からは「言っても聞かない奴は倒すしかないな!やれ!」(超訳)という命令が下されます。

先鋒を任されたのは斎藤利治(としはる)。
この人は濃姫の末の弟、つまり道三の末息子です。信長にとっては義弟ですね。

”義弟”というと「浅井長政」という信長苦渋の歴史を思い出しますが、利治は”甥っ子の斎藤龍興があまりに痛いやつだったので織田家に帰順したという慧眼な人です。

織田家には忠実に仕え、嫡男・織田信忠の側近になっていたくらいですから、覚えもめでたかったことでしょう。

織田信忠 父・信長から家督を譲られし有能な二代目は、非業な最期を迎えた

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ちなみに彼も手取川の戦いに参加していたといわれています。
対上杉戦は個人的なリベンジでもあったんですね。

進軍した斎藤利治は、まず越中南部の津毛城つげじょうを攻めようとしました。

が、上杉家自体が内乱の最中であり、とても兵卒まで統制されているとはいえない状態。

戦が始まる前から「織田軍が来るぞおおおおお! 皆逃げろおおおおおお!」(※イメージです)と、てんやわんやの状態のため城から逃げ出す兵が大多数で、戦にならなかったそうです( ゚д゚)ポカーン

利治はさぞ拍子抜けしたことでしょう。

 

足場の悪いぬかるみで3000人を捕らえる大勝利

穏便に拠点を作ることができた利治は、気を取り直してさらに兵を進めました。

次の今泉城には謙信の側近として仕えていた人物もおり、一筋縄ではいかないと判断した彼は一計を講じます。城攻めを中止すると見せかけて、上杉軍を城の外へ誘い出したのです。

そして地形の複雑な月岡野までひきつけてから一斉に転進。
実に360人を討ち取り、さらに3,000人を捕らえるという大勝利を収めました。

これを【月岡野の戦い】と言います。

月岡野の位置は、現在の富山市上栄あたりといわれており、今も大小さまざまな川が流れているので、おそらく当時から足場の悪いところだったのでしょう。

地元でもないのにそこまで把握してた利治がパネェっす!

この働きにはもちろん信長も信忠もホクホク顔で、感状(主君からのお褒めの手紙・領地について書かれていることも)をあげています。

特に信忠は、自分の家臣が大功を挙げたことがよほど嬉しかったらしく、
「寒い中ご苦労様」
「今後も良い知らせを待っている」
と労いの言葉を送っており、気遣いや喜びようが窺えます。かわいいな。

 

いいところで荒木村重の裏切りが……

謙信亡き後とはいえ、上杉家を合戦で破り、各地の大名は「織田家ってヤバくね?」と考えるようになります。

特に越中では織田家についた人が多く、このまま一気に上杉家を破れるかに見えました。

しかし、本格的に動き出す前に冬が深まり始めたこと、さらに上方で荒木村重が裏切ったためその対処に当たらねばならず、こちら方面の作戦は一時中止となります。

その間に上杉家では、御館の乱を片付けた上杉景勝と直江兼続らが態勢を立て直し、次は、リベンジを狙う柴田勝家とぶつかります。

上杉家と言えば謙信。
そのライバルと言えば武田信玄ですから、どうしても
【上杉家vs武田家】
という構図を思い浮かべてしまいますが、実は上杉家vs織田家という闘いもドラマに満ち溢れていますね。

大河ドラマか映画でここにクローズアップしたら面白そうなので、どなたか良い脚本を書いていただけないかなぁ。

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
月岡野の戦い/Wikipedia

 



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