斎藤孫四郎

絵・小久ヒロ

斎藤家

なぜ道三の次男・斎藤孫四郎は兄の義龍に殺されたのか 骨肉の家督争いが勃発

2024/11/11

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斎藤孫四郎の生涯
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義龍に謀殺された孫四郎と喜平次

いずれにせよ自身の立場を守るため、義龍が道三との対立を決意したのは事実。

彼は手始めに、邪魔者でしかなかった斎藤孫四郎・斎藤喜平次という二人の弟を消し去ろうとします。

弘治元年(1555年)、「病気になった」と称して稲葉山城に引きこもり、弟二人を「宴の用意がある」として城の屋敷に招待したのです。

宴も進行して、二人に酒が入った頃を狙ったのでしょう。

義龍は日根野弘就に命じ、二人を殺害させました。

なお、この「孫四郎と喜平次の殺害」については、史料によってその方法がまちまちです。

仮病と称して見舞いに呼び寄せたというものや、宴を理由に二人を招いたというもの。

中には、殺害を実行したのは義龍の寵臣だった日根野弘就とするものだったり、あるいは長井隼人正も共犯であったなど、色々と語られました。

このとき義龍は27才。

孫四郎と喜平次は20歳前後だったと推測されます。

弟二人の殺害を無事済ませた義龍は、あらためて道三への反発をハッキリと表明。

翌弘治2年(1556年)には【長良川の戦い】で父を打倒し、美濃国における地位を盤石なものとします。

※以下は「長良川の戦い」関連記事となります

長良川の戦い
長良川の戦いで道三と義龍が激突! 親子で分裂した斎藤家はその後どうなった?

続きを見る

 


んで、結局、誰の子なん?

なお「義龍は道三の息子か否か」という問題ですが……。

彼の母とされる深芳野の記事で詳しく分析させていただきました。

深芳野
夫の斎藤道三と息子の義龍が殺し合い~深芳野は美濃に災いをもたらす美女だった?

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簡単に要点をまとめると

【斎藤義龍は誰の子?】

・成り上がり者でしかない斎藤道三の息子だと、周囲からナメられて不利益なことが多い

・名門土岐氏の出身(土岐頼芸の息子)だという噂がある

・だったら、もうそれに乗っかり、美濃支配者の正当性をアピールしちゃおう♪

というもので、義龍は意外とクールに対応していたのでは?という見方もあります。

まぁ、多感な中学生でもないですしね。

ウソの百や二百、涼しい顔してつけなければ戦国大名とは言えないでしょう。

なお、孫四郎は『信長公記』にも登場しており、実在していたのは間違いなさそうです。

📚 戦国時代|武将・合戦・FAQをまとめた総合ガイド


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【参考文献】
『美濃国諸旧記』
横山住雄『斎藤道三と義龍・龍興 (中世武士選書29)』(→amazon
木下聡『美濃斎藤氏 (論集 戦国大名と国衆)』(→amazon

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とーじん(齊藤颯人)

上智大学文学部史学科卒。 在学中から歴史ライターおよびブログ運営者として活動し、歴史エンタメ系ブログ「とーじん日記」や古典文学専門サイト「古典のいぶき」を運営している。 各メディアで記事執筆を行うほか、映画・アニメなどエンタメ分野の歴史分析も手がける。専門は日本近現代史だが、歴史学全般に幅広い関心を持つ。 2023年にはサンクチュアリ出版より『胸アツ戦略図鑑 逆転の戦いから学ぶビジネス教養』を刊行。元Workship MAGAZINE 3代目編集長。 ◆2019年10月15日放送のTBS『クイズ!オンリー1 戦国武将』に出演(※優勝はれきしクン) ◆国立国会図書館データ https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/032655935

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