上田城西櫓

真田家

天正壬午の乱で大国に囲まれ絶体絶命!真田は危機をどう乗り越えた?

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上杉と北条の間でユラユラ揺れる沼田の運命

結局、上杉vs北条の川中島の戦いは、両軍激突とはならず幻となりました。

まさに昌幸の読み通り。

上杉が川中島四郡、北条家が沼田を支配下に置くことで和議が成立したのです。

川中島4郡には上田も含まれていますが、真田の領地は侵さないという条件が加わっていますので、これで昌幸も一安心……と行きたいところですが「沼田は北条家」という文言が気になりますよね。

この後、北条氏政北条氏直父子は、沼田城に北条家の家臣を入れ、一見、真田家との共同保有のようにしてしまいます。

しかし『いずれ奪ってやろう!』という野心を北条が抱いていたことに、腹黒さで定評のある昌幸が気づかないはずがありません。

昌幸は、ここで再び上杉家に鞍替えすることもできました。

が、上杉家には、和議がなったばかりの北条家を再び敵に回すほどの余力はありません。

すでに上杉家は川中島四郡と引き換えに沼田を放棄していますので、もしも真田家が北条を裏切って対決することになっても、沼田の防衛に上杉が力を貸してくれるかどうか確信が持てないのです。

沼田を保持したい昌幸にとって上杉家に鞍替えすることは、沼田を北条家の総攻撃にさらすことは非常にリスクが大きい。

しかし、このまま北条方に留まるとしても、北条家が上杉家の攻勢に後詰するどころか、沼田城をなし崩し的に奪いにくる可能性の方が高い。

このピンチに昌幸は第三極を創り出します。

徳川家康です。

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上田城 当初は上杉の攻撃に備えて築かれた

徳川家は、武田の旧領を積極的に傘下に収めながら信濃を北上。西進してきた北条家とは信濃や甲斐でぶつかり合っています。

徳川方1万の兵力に対し、北条方は4万以上の大軍勢です。

兵数的には圧倒的に不利な状況ながら、徳川は各地で果敢に迎え撃ち、甲斐の新府城で北条を迎え撃った一戦では北条家が戦を回避するという失態があり、さらに甲斐東部では北条方をついに破り、昌幸の周辺でも徐々に徳川方の勢いが優位になってきます。

この勝ち馬に乗るべし!

真田昌幸はあっさり北条方を見限り、徳川方に従属を申し入れました。

徳川家にとっては真田家からの申し入れは上田だけでなく沼田まで支配下に置くことになるので、対北条家で非常に有利になります。

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真田昌幸にとっても徳川家に従属することで、対上杉家でも確実に約束できる後詰めを得ることができます。

上杉vs真田であれば国力に差があり過ぎて、あっさり攻め込まれてしまいますが、上杉vs徳川ともなれば大国同士の消耗戦になり、上杉も迂闊に手を出せなくなります。

徳川家にとっても北条家と各地で睨み合っていますし、西方では羽柴秀吉豊臣秀吉)に備えなければならず、二正面作戦は避けたいところ。

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積極的に上杉を攻撃する意思まではないでしょう。

結局のところ、上杉も徳川も、真田を温存させることが上策となるのです。

このような大国に挟まれて駆け引きをしている時期に真田昌幸は上田城の築城に着手しました。

上杉が積極的に攻めてこない状況とはいえ、目と鼻の先の葛尾城まで迫っていますので、まずは上杉家の侵攻を想定した城にしなくてはなりません。

これが最初の上田城のコンセプトになります。

しかも徳川家から資金援助を受けていたのが本当に抜け目のないところです。

 

対上杉を想定した北側の防備を堅く

上田城は、徳川家の資金援助だけでなく、徳川家家臣・大久保忠世などに築城の手助けを受け、短期間の突貫工事で築城されたと云われています。

北信濃最前線の城として、対上杉家の拠点に定めたのです。

現在の上田城は大手門が東側を向いています。

しかし、今では陸上競技場になってしまっている上田城の北側を流れる外郭の水路は東から西へ引き込まれ、人工的に直角に南へと流れを変えて、千曲川の古舟の渡しの横を流れていきます。

海津城のように、城自体が巨大な馬出型の縄張りで上田城の戦闘正面は、北の街道を向いています。

現在の上田城でもその名残は残っていますね。

真田昌幸時代の上田城古図(上田市デジタルアーカイブポータルサイトより)

一方、城の東側は、今とは違い、多数の沼によって守られていました。

沼と沼が水路でつながれることによって水堀の役割を担い、軍の直進的な侵攻を阻んでいたことが予想されます。

これこそが対上杉家を想定した上田城初期の縄張りでした。

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