現在の耳川/wikipediaより引用

大友家 島津家

最強島津軍!耳川の戦いで釣り野伏せが炸裂~大友軍をフルボッコに!

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島津の御家芸「釣り野伏せ」

釣り野伏せとは、島津軍のお家芸と言ってもいい戦法の一つです。

3ステップで説明しますと……。

①まずAという部隊がわざと敵に押されるふりをして後退する

②その間にB・C部隊が敵の側面に回りこんで隠れる

③A隊がB・C隊の目の前まで敵を引き込んだところで、三隊連携でフルボッコ!

演技が大変だからなのか。

A隊には「君たち囮だから頑張ってね♪」なんてことは事前に知らされないことも多かったそうで。

耳川の戦いもおそらくそうだったのでしょう。

この釣り野伏せというおは、統制の取れている軍でなければまずできない方法ですから、これが得意なこと自体が島津家の結束を物語っています。

一方、宗麟はといえば、はるか後方で「ワシはお主らが勝つよう、デウス様に祈っておるからな!God Bress You!」という体たらく。

これでは死を意識するのも無理はありませんよね。

親と上司は選べないとはいえ、同じ九州でこの差は一体……。

 

島津の精鋭たちが一気に襲いかかった

田北隊をはじめとした大友軍は最初から生きて帰れると思っていません。

ゆえに退いていく島津軍をひたすら追いかけます。

釣り野伏せを仕掛ける側にとっては願ってもない展開。まさにわき目も振らずという様相だったでしょう。

そして島津本陣寄りに位置していた高城川という川に来たところで、一気に情勢が変わりました。

島津義弘はもちろん、伊集院忠棟(ただむね)など、島津の誇る精鋭達が一斉に大友軍へ襲い掛かったのです。

さらに義久隊も追撃を加え、釣り野伏せにバッチリひっかかってしまった大友軍は後退するより他にない状況へ追い詰められます。

しかし、背後にあるのは、今しがた渡ってきたばかりの高城川。

元々困難を極める渡河戦で、攻めるならともかく退却を成功させるなんて無理ゲーにも程があります。

案の定、ここで大友軍のうちかなりの人数が命を落としました。死ぬ覚悟を決めた割には往生際が悪いとかツッコまない。

運良く川を渡りきれた兵も、今度は高城からの追撃をくらいます。

この頃には前線にいた大友軍の武将はほとんど討死してしまっており、後は本陣にいた人たちだけ。

敗走してくる味方と共に、彼等も急いで撤退を開始します。

 

耳川の手前でパニック! 次々に溺死&戦死する

目指すは25kmほど北上したところにある耳川でした。

その先は完全に大友家の勢力内ですから、いかに島津軍でも追ってこないと考えたのでしょう。

しかしそこに気付かない島津軍ではありません。

大友領に入られる前にはカタをつけようと、それまでにも増して進軍を早めます。

そして大友軍が耳川を渡りきる直前に追いつくのでした。

現在の耳川/photo by Sanjo wikipediaより引用

ほうほうの体で逃げてきた大友軍。

もはや応戦する力は残っておらず、パニック状態に陥った兵士の多くが自ら川に飛び込んで溺死しました。

つい先日までの雨で耳川はかなり増水しており、そもそも渡ること自体が難しくなっていたのも拍車をかけています。

結果、耳川の戦いでの大友軍死者は約3,000人(4,000人あるいは2万人とも)といわれているのですが、その大半は耳川での溺死もしくはそこで戦死したのだとか……。

一番人が死んだ場所の地名が戦の名前になったんですね。

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