信長公記

道三と初顔合わせ、その時うつけは~戦国初心者にも超わかる『信長公記』第13話

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清洲衆と本格的に戦い始めた信長。
前回12話では、梁田弥次右衛門(やなだやじえもん)という身分の低い家臣が、清洲の若い侍大将・那古野弥五郎と男色関係になって、城を落とすのに貢献した――と記しました。

男をオトして城も落とす~戦国初心者にも超わかる『信長公記』第12話

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しかし【戦争は最悪の外交手段】とも言われるぐらいですから、敵以外との外交が非常に重要になってきます。

誰か一人と戦うのなら、それ以上の味方を得ておけば圧倒的に有利。
当時の信長にとってアテにできそうであり、実際は先が読みにくい――それが「美濃の蝮」こと斎藤道三でした。

 

相手は下剋上の代名詞

道三は妻・濃姫の父ですから、信長にとっては義理の父です。
しかし、信長の実父である織田信秀とは、複数回に渡って戦をしていた過去があります。

さらにいえば、道三は下剋上の代名詞といわれるほどの知略をもった人物です。

斎藤道三/wikipediaより引用

まさに「一か八か」といったこの岳父と、信長が初めて対面したのは、天文二十二年(1553年)のことでした。

この年の4月下旬、道三から信長へ
「富田の正徳寺で会おう」
という申し入れがあったのです。

富田は当時、700軒ほどの家が並ぶ大きな集落で、現在の愛知県一宮市にありました。

会見の場として指定された正徳寺(現在は”聖”徳寺)は、石山本願寺から直接代理の住職を派遣してもらっていたため、この一帯は美濃・尾張の守護に税を免除されていたといいます。

つまり道三は、政治的・軍事的中立地帯での会見を申し込んだことになるわけです。
信長公記』には書かれていませんが、すでに道三の娘・濃姫が信長に嫁いでしばらく経っており、婿・舅が双方安全な場所で初対面を果たすという意味では、至極妥当な判断といえます。

 

政秀の自害後に会見を申し込まれた

少し急ピッチでご説明申し上げましたので、混乱された方もいるかもしれません。

ここで、両者の間柄に影響している出来事を整理しておきましょう。

①天文十七年(1548年)信長と濃姫が結婚

②天文二十二年(1553年)閏1月13日 平手政秀の自害

③天文二十二年(1553年)4月下旬 道三から会見申し入れ←今回ここ

④弘治二年(1556年)4月 道三が長良川の戦いで討死・直前に信長へ美濃を譲る旨の手紙を残す

こうしてみると道三は、
【政秀が自害した後に会見を申し入れている】
というのがミソのような気もしますね。

頼れるじいやを失った”うつけ者”が、婿に足る器かどうか。
能力を見極めて、もしも本当にうつけであれば尾張攻略を進める……それぐらいのことは考えていたようにも思えます。

 

行列をコッソリ覗き見していた

『信長公記』には
「信長が会見場所に来るまでの行列を、道三がこっそり覗き見ていた」
とか、
「道三は礼儀正しい服装の集団で”うつけ者”を出迎え、恥をかかせようと考えていた」
と書かれています。

太田牛一が直接見たわけではないでしょうから、どこまでが事実かはわかりません。
ただし、道三であれば相応のことを部下にさせていた可能性はありますね。

信長もそれに勘付いてなのか。
ある程度対策をしていました。

正徳寺まではいつもの凄まじい格好で進み、

イラスト・富永商太

現地に着いてから髪と衣服を改め、道三の度肝を抜いたのです。

織田信長/wikipediaより引用

現代的かつ俗な表現をすると「ヤンキーから貴公子へ」みたいな変わりようだったのでしょう。

織田家からついていった人々も「普段のあの格好は、人の目を欺くためだったのか」と驚いたそうです。

「なんとかと天才は紙一重」なんて言い回しがありますが、当時の信長はまさにそんな感じだったかもしれません。

 

うつけ者の門前に馬を繋ぐだろう

こうして道三と信長は無事対面し、湯漬け(ご飯にだし汁をかけたもの)と酒を食しながらしばし語らい、無事に別れました。

別れ際、道三は斎藤家の兵の槍が短く、織田家の兵の槍がずっと長いことに気づき、帰り道で
「わしの息子どもは、あのうつけ者の門前に馬を繋ぐだろう」
と言ったとか。

これも有名な話ですね。

こう書くと、道三が信長を敵視あるいはそれに近い目線でいたようなイメージですが、少なくとも表面上はそのような素振りを見せていません。

道三から信長に援軍を出したこともありますし、その逆もまた然り。
戦国時代の婿・舅の関係としては、比較的良好だった気がします。

残念ながら道三は、この会見から三年で討死してしまい、その関係もわずかの間で真意の程は定かではありません。

もう少し長生きしていたら、信長の上洛戦にも協力していたかもしれません。
そうなれば、さぞかし絵になる二人であったでしょう。

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【参考】
国史大辞典
『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon link
『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon link
『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon link
『信長と消えた家臣たち』(→amazon link
『織田信長家臣人名辞典』(→amazon link
『戦国武将合戦事典』(→amazon link

 



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