信長公記

来るなら来やがれ桶狭間・準備編~戦国初心者にも超わかる『信長公記』第35話

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織田信長の名を大いに高めた「桶狭間の戦い」。

ご存知、今川義元の首を取るわけですが、国主クラスの大名が討たれる劇的な展開なんて他にありません。
一体どんな流れでそうなったのか?

今回のテーマは、その準備段階と言える話です。
まずはこれまでの経緯と共に、位置関係を整理しておきましょう。

 

喉元に刃を突きつけられたような……

当時、今川軍は尾張の東にあった鳴海城(現・名古屋市緑区)や大高城、沓掛城を占拠していました。

位置関係については、次の地図をご覧ください。

左上の黄色い拠点が織田信長の清州城で下の赤3つが今川方になっていた拠点です(中央の紫色が熱田神宮)。

左から
・大高城
・鳴海城
・沓掛城
と並んでいて、ジワジワと尾張中枢へとにじり寄ってる様子が地図の上からも読み取れるでしょう。28話で述べたように、山口親子の裏切り以降、これらの城は今川方のものになっておりました。

中央の紫色が、織田家ともゆかりの深い熱田神宮ですから、信長にとっては喉元に刃を突きつけられたようなものです。

一刻も早く、城を取り戻したかったところでしょうが、その後、弟・織田信行の処分(29話)や岩倉織田氏との決着(30話・32話)などがあったため、手を付けられなかったと思われます。

 

鳴海城を直接攻めるのはリスク大

しかし、いよいよ今川侵攻を黙っていられません。
信長も全面対決を覚悟し、にわかに迎え撃つ準備を始めました。

まずは本拠地・清洲から見て、最も手前にある鳴海城。
攻略するならここから、と思えるような拠点ですが、東西南北の地形が険しく、直接攻めるのは難しい場所でした。

信長公記』によると、以下のような地形になっていたのです。

◆鳴海城の東西南北
【西】泥深い田んぼが広がっている
【南】黒末川という川の河口
【北~東】山が続いている

黒末川は天白川の支流で、別名・扇川。
現代の地図では、扇川で書かれていますね。

当時、この川は「海が近いため、潮の満ち引きで深さが変わる」という場所でした。

水が近い戦は、ただでさえ難しいものです。
他にも攻め手の悪条件が揃いすぎており、こんなところを直接奪い取るのは、物量的にも人的にもコストが大きすぎました。

そこで信長は、今川軍が尾張に攻めてくることを前提に、いくつかの地点に砦を用意します。

 

鳴海城と大高城の周辺に付城を設置した

まず、鳴海城の近くに以下3つの砦を築き、それぞれに守将をつけました。

◆丹下砦→水野帯刀と他数名
◆善照寺砦→佐久間信盛・信直兄弟
◆中島砦→梶川高秀

丹下砦は古い屋敷を、善照寺砦はお寺の跡を改築したものだったとか。
既に大きめの建物があった場所であれば、地盤の心配も低いですしね。

続いて、大高城の周辺に二つの砦を築き、他の城との連携を絶とうと試みます。

◆丸根砦 佐久間盛重
◆鷲津砦 織田秀敏・飯尾定宗父子

特に丸根砦のほうは、徳川家康(当時は松平元康)とも関わってきますので、聞き覚えがある方もいるのではないでしょうか。

これら5つの砦は、ちょうど駿河から清洲方面へ向かって西上するルートを、通せんぼするような位置にあります。

先程の地図に、上記の砦を反映させてみますね。

赤い今川方の城に大きなプレッシャがーかかっていることをご理解いただけるでしょうか。

まとめるとこうです。

◆鳴海城(今川)
丹下砦・善照寺砦・中島砦(織田)

◆大高城(今川)
丸根砦・鷲津砦(織田)

最悪の場合でも、これらの砦に入れた兵が、いくらか今川軍の兵力を削ぐことができたでしょう。

 

地の利を活かして勝機を見いだせ

信長が鳴海城周辺を防衛線に選んだのは、おそらく地形も影響しているかと思われます。

尾張=現在の愛知県周辺は「濃尾平野」と呼ばれる通り、平原が続いています。

平原では、基本的に兵数で勝るほうが有利。
桶狭間の戦いにおける今川軍の兵数については、現在でも確定していませんが、織田軍の数倍(2~3万)だったことは確実でしょう。

となると、信長はまず、地勢において有利になれる場所を探しておかなければなりません。

鳴海城周辺は、その点において絶好のエリアでした。

今川軍は「難攻不落の城を手に入れたぞ!」と思っていたでしょうから、織田方にとっては、裏をかくのに向いているともいえます。
加えて、信長は若い頃から遠乗りが趣味。
おそらくは、鳴海城のあたりも自分の目で見ていたことでしょう。

イラスト・富永商太

再三になりますが、水の近くで戦をするのは基本的に難しいもの。
奇襲をかけられたり、敗勢を悟った兵がパニックに陥って、我先に逃げようとし、水に飛び込んで溺死……なんてことがまま起きます。

数で勝る今川軍の裏をかきながら、うまく行けば水に叩き落とせるかもしれないエリア。
つまりは、地の利を最大限に活かして勝機を見いだせる場所です。

それが、当時の信長にとっての鳴海城周辺だったのではないでしょうか。

長月 七紀・記

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【参考】
国史大辞典
『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon link
『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon link
『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon link
『信長と消えた家臣たち』(→amazon link
『織田信長家臣人名辞典』(→amazon link
『戦国武将合戦事典』(→amazon link

 



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