小牧山城

信長が初めて築いた「小牧山城」が織田家の戦略を一変! 狙いは犬山城?

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またしても強運な信長! 義龍が急死す

しかし、です!
ここでまたしても信長にビッグチャンスが到来します。

なんと目の上のタンコブであった美濃の斎藤義龍が永禄4年(1561年)に病で急死してしまうのです。

いったい、度重なる嫌がらせの連続はなんだったんでしょうか。

ともあれ、戦国時代の他人の不幸は自分のチャンス。当主の死こそ最大のボーナスステージです。

信長は一気に美濃へ攻め込みます。

その素早さといったらありません。

通常、当主の死は伏せられるのですぐには情報が伝わってきませんが、信長は義龍の死の直後から兵を集めます。

この辺はさすが、城がショボかった(まだ言うか!)ため情報収集と野戦に明け暮れていた、父・織田信秀以来の伝統です。

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電光石火で美濃に侵攻いたします。

 

尾張から美濃への最短ルートは結局使えない!?

以下の地図の通り、尾張から稲葉山城を目指すには、北方の木曽川渡河が最短のように見えます。

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戦国期と現在の河川の流れはかなり違いますので注意が必要です。現在の木曽川を消してみました。こうしてみると美濃攻めのためには斎藤方の主力部隊が到着する前に渡河することが重要です。尾張北部では稲葉山城に近過ぎます/©2015Google,ZENRIN

しかし、川の対岸に橋頭堡となる拠点を信長は持っていません。

仮に渡河してもその先は河川が入り組んだ広大な平野で、縦深防御が可能な斎藤軍が待ち構えています。

信長の父、信秀の代から北方の木曽川渡河は殆どうまくいったことはありません。そもそも清須城からかなりの距離を進軍しなくては木曽川にたどり着けず、その間に斎藤方に気付かれてしまっては稲葉山城からの方が早く木曽川にたどり着けます。

よって、進軍にとって最も危険な渡河という行軍を素早く済ませるためには、清須から木曽川を最短で渡河できるポイントに素早く移動するか、斎藤方の主力部隊がやってくる前に渡河ポイントから美濃に侵入しなければならないのです。

そこで信長は稲葉山城から最も遠い長良川が大きく南に蛇行していく下流の渡河ポイントを選択します。

 

笄事件で謹慎中の前田利家が森部の戦いで大活躍!

「ひ、卑怯な!このドロボウ猫!」

そう斎藤家からの罵声も届かないうちの鮮やかな美濃侵攻。

信長に渡河を許した斎藤方は態勢を整えねばならず、いったん墨俣の砦に兵を集結させて信長の侵攻に備えます。

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森部の戦い。信長は斎藤方の武将を多数討ち取ります/©2015Google,ZENRIN

信長は川沿いを北に進み、森部という場所で斎藤方と交戦し、これを撃破。

この時に活躍したのが若き日の前田利家と云われています。

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利家は信長の寵臣を殺害した罪(いわゆる笄事件)で謹慎中でしたが、勝手に参加した桶狭間で首を取ってもまだ許されず、この【森辺の戦い】で、名の通った敵将の首を取ってようやく復帰を認められたとされております。

人生何事もやさぐれてあきらめてしまってはいけませんね~。

この野戦の勝利で信長は墨俣(洲俣)を確保し、さらに大垣城と稲葉山城を分断できる西部美濃の奥深くまで進軍しました。

 

あの半兵衛が駆使した「十面埋伏の計」とは?

しかしここはさすがの斎藤家。

当主が変わっても優秀な家臣団がまだまだ揃っています。

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「十四条の戦い」では野戦で斎藤方が勝利。続く「軽海(かるみ)の戦い」で織田方が斎藤方の奇襲を察知して撃退しますが、伸びきった補給線が心配だったのか、墨俣まで撤退します/©2015Google,ZENRIN

義龍の息子、新当主の斎藤龍興も出陣し、斎藤家が一丸となって織田家の侵攻を食い止めます。

この時には「十面埋伏の計」を駆使して竹中半兵衛重治が活躍したと言われています。

「十面埋伏の計」の戦術は、はっきりしたことは分かっていませんが、おそらく美濃の広い平野を利用した縦深防御のことでしょう。

お城野郎ワンダーキャッスルジャパン20150503-5.5

©2015Google,ZENRIN

桶狭間で見せたように電光石火で直線的に切り込んでくる信長の戦術は、ある程度我慢してやり過ごすことによって両側面が敵にさらされます。

それを待ち構えていた斎藤方の部隊が前後左右から襲いかかればいいのです(ただしこのような戦術は、濃尾平野のような縦深のある広い地形でこそ生かされます)。

最終的に、信長は西美濃から撤退しますが、墨俣を美濃への橋頭堡として兵を一部残存させて尾張に退きます。

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