富永商太・絵

徳川家

家康の死因は「鯛の天ぷら」ではなく胃がん!? 最期まで色々と現役でした

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
家康の死因
をクリックお願いします。

 

阿茶の局という側室については、その才女ぶりを惜しんで「ワシが死んだ後も秀忠たちを頼む」と言い残し、すぐに出家することを許しませんでした。

阿茶の局は律儀に従い、徳川秀忠が亡くなるまで江戸城に留まり、和子が入内するときもお供を務めたといいます。

 

身内の秩序をシッカリ固め、長い平和が続いた

また、忠輝や家光の父親嫌いについては対処しきれなかったものの、幼い下の息子たちや自分の親族たちに対してはしっかりと序列を作り、身内からの反乱を防ぎました。

後世から見ると当たり前のことなのですが、これは他国の歴史と比べるとすごいことです。

世界史にもお詳しい方ならご存知のとおり、ほとんどの国の戦争は、親戚同士のいさかいだったり「おまえんちの王家うちの親戚だから、俺にも継承権あるよね! 文句あるなら戦争な!!」というきっかけで起きますから……。

家康の評価が海外で高いのも、この辺のことが影響しているのでしょう。

他にも若い頃から得意だった水泳を続けていたり、自分で薬を調合したり、年をとっても頭も体も良く使ったからこそ、17世紀初頭でありながら歴代将軍で2番目という長寿を得ることができたのでしょう。

キリスト教については禁じましたが、眼鏡や鉛筆といったヨーロッパの文物には興味を示していたそうですしね。

この辺の下準備があったからこそ、江戸時代が260年も続いたんですな。

あわせて読みたい関連記事は以下へ

徳川家康(松平元康)が直面した3度の絶体絶命!75年の生涯まとめ【年表付】

続きを見る

20人以上もいた家康の妻・側室ってどんなメンツだったの?

続きを見る

徳川家光はお江ではなく春日局の子!? 衝撃のミネルヴァ日本評伝選『春日局』

続きを見る

水野信元(家康の伯父)が織田&徳川の同盟を仲介! しかし最期は処刑され

続きを見る

土井利勝は家康の隠し子なのか? 参勤交代や寛永通宝など江戸時代の基盤を作る

続きを見る

松平忠吉(家康の四男)は関ヶ原で大活躍!10万→52万石に大出世するも

続きを見る

竹千代(家康の人質時代)に注目~織田と今川の下でどんな幼少期を過ごした?

続きを見る

松平信康(家康の長男)はなぜ自害へ追い込まれた? 謎多き諸説を考察

続きを見る

春日局(明智家重臣の娘)の波乱万丈~夫と別れて徳川に仕え家光の乳母に

続きを見る

松平忠直(家康の孫)はなぜ徳川家と上手くいかない? 幸村を討ち取ったのに

続きを見る

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
煎本増夫『徳川家康家臣団の事典』(→amazon
徳川家康/Wikipedia

TOPページへ

 



-徳川家
-

Copyright© BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) , 2020 All Rights Reserved.