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服部半蔵正成(家康の懐刀)は忍者ではなく武士!? 55年の生涯まとめ

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服部半蔵正成
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家康三大危機の一つとなる

天下の織田家にあって出世頭だった明智光秀

当然、主要な街道は押さえられていることが予測できるわけで、まともなルートで帰れる見込みは低いものです。

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万事休す!

そう覚悟を決めかけた家康に「ウチの地元をお通りください!」と案内役を買って出たのが服部半蔵正成でした。

正成は同行していた堺の商人・茶屋四郎次郎と共に、自分の出身地・伊賀と、隣の甲賀の有力者達に話を通し、時には本多忠勝が口添えして、家康は無事帰ることができたのでした。

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この行軍を【神君伊賀越え】と言い、家康の三大危機の一つとされますね。

※もう二つが【三河一向一揆】と【三方ヶ原の戦い

このとき協力的だった伊賀・甲賀の人々に家康は感謝を忘れず、後に幕府を作ってから召抱えました。

しばらくの間は間諜などで役に立っていたそうですが、八代吉宗の頃には「だめだこいつらはやくなんとかしないと」レベルになってしまっていたそうで、新たに作られた御庭番衆に仕事を奪われてしまいます。

忍者でも平和ボケするんですね。

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地下鉄「半蔵門」駅

それはさておき、こうして忠義と家康の命を救ったという大手柄でもって、正成はより一層信頼されるようになりました。

現在東京メトロに「半蔵門」という駅がありますが、あれは正成とその一族が江戸城裏手にあたる位置に屋敷をもらったことからきています。

現在の半蔵門も皇居の裏口に当たるため、厳重に警備されていますね。

こうして家康・徳川のピンチのたびに助っ人よろしく出てきた正成は、意外にも【関ヶ原の戦い】の前、江戸で静かに生涯を閉じたのでした。

お墓は半蔵門から新宿通りを西へ進み、四ッ谷駅を過ぎた先の西念寺にあります。

正成の建てた信康の供養塔もありますので、彼の情け深さや主家への忠誠心が伝わってくるようです。

新宿御苑など、お近くへお越しの際は立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

なお、家康の三大危機については以下の記事に詳しくありますので、よろしければ併せてご覧ください。

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長月 七紀・記

【参考】
『伊賀・甲賀 忍びの謎 影の戦士の真実を暴く (新人物文庫)』(→amazon
国史大辞典

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