西郷局/Wikipediaより引用

徳川家

20人以上もいた家康の妻・側室ってどんなメンツだったのか?

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雲光院(阿茶局)

出家前は「阿茶局」と呼ばれていました。

ただし彼女が髪を落としたのは、秀忠が亡くなった後のことです。

というのも、側室の中でお勝の方に並んで家康の信頼が厚かったため、「秀忠をよろしく頼む」といわれていたのでした。

お勝の方より23歳も年上なんですが、亡くなったのは5年しか変わりません。

頭脳に加えてその健康さも家康のお気に入りだったかも。

特にこの二人が対立したとか揉めたという話はないようですから、おそらくはお勝の方が阿茶局を立てるような感じでうまくやっていたのでしょう。

頭のいい人同士ならではという感じがしますね。

雲光院(阿茶局)/Wikipediaより引用

ちなみに大河ドラマ『真田丸』では斉藤由貴さんが演じられ、徳川家康本多正信をうならせる老獪な対応が注目されましたね。

本多正信(家康の側近)は謀臣にあらず? 敗者に優しい平凡武将が徳川を支えた

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特に大坂の陣で、豊臣方を丸め込む交渉術が巧みで。

戦国ファンの心に残っておられることでしょう。

 

茶阿局

家康六男・松平忠輝とその弟・松千代の母親です。

既婚者だったにもかかわらず土地の代官に言い寄られ、はねつけたところ代官が逆ギレして夫を殺してしまったため、娘を連れて家康に直訴したというなかなか肝の据わった女性でした。

その場で家康に気に入られ、娘と共に引き取られました。代官はもちろん処罰されたと言います。

彼女は家康に寵愛された側室の一人です。

それなのに解せないのが、上記の「阿茶局」と非常によく似た呼び「茶阿局(ちゃあのつぼね)」名をつけられたあたり。

松千代は夭折してしまいましたが、忠輝は順調に育ち順風満帆……とはいきませんでした。よろしければ、以下の記事にまとまっておりますので、どうぞ。

昭和まで許されなかった家康六男・松平忠輝の不憫な人生は政宗のせい?

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忠輝は母に取り成しを頼みましたが、家康は最期まで許さず、生前の再会は叶いませんでした。

茶阿局も悲しんでいたでしょうね……。

なお、徳川家康の生涯については、以下の記事をご参照ください。

後世のイメージと違って、割と熱いお方だったことがわかります。

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
『歴史を動かした徳川十五代の妻たち (青春文庫)』(→amazon
徳川家康/Wikipedia
朝日姫/Wikipedia

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