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【松平忠直】
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強気な奥さんが黙っているでしょうか
正室の殺害未遂にしたって、とてつもなく胡散臭いものです。
忠直の正室は徳川秀忠の娘で、従妹にあたる勝姫という人でした。
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なぜ徳川秀忠が二代目将軍に選ばれたのか 関ヶ原の遅刻は問題なし?
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勝姫は、お母さんの江に似たのか、名は体を表すというか、めちゃくちゃ気の強い人だったそうです。
そんな奥さんが殺されかけて黙っているでしょうか?
この事件は父親の徳川秀忠がまだ将軍職についていた頃の話ですから、離縁なり処罰なりを訴えることもできたはずです。
かすり傷で済んだならまだしも、勝姫の侍女が二人も身代わりに死んでいるというのですから、そうしていても不自然ではありません。
忠直が隠居させられた後、勝姫は子供と一緒に江戸に行ってしまうので、自己主張ができなかったということもないでしょう。
世間体を気にしたというなら、その話が幕府にまで伝わっている時点でアウトですよね。
となると、勝姫は噂をいいことに別居したかったのかなあ、という気もしてきます。
秀康の系統を潰したかった幕府の陰謀とか
先述の通り、忠直はこれらの噂のせいで1623年に隠居させられてしまいます。
行き先は、地元や江戸から遠く離れた豊後。このときも母親の説得に応じたといいます。
しかし、本当にご乱心状態だったとしたら、母親の言うことを素直に聞くでしょうか?
細かいところにツッコんでいけばいくほど、怪しさが増していきます。
こうなると、松平忠直や結城秀康の家系を潰したかった幕府の陰謀では?と考えたほうが個人的にはスーっと頭に入ってきてしまいます。
忠直が隠居した後、息子の松平光長が跡を継ぎ、すぐさま越後へ減封の上、異動させられています。
用心深い徳川家のこと。
「今後、やつから『オレんちは元々将軍になれるはずの家だったのに!』とか言われると面倒だから、早いうちに潰しとけ」とか思っていてもおかしくない気がするんです。
眼鏡男子は忠直のおかげ?
根拠はもう一つあります。
鳥羽野(福井県鯖江市)での治水事業の成功です。
このあたりはお父さんの秀康から開発していた地域で、忠直もそれを引き継いで整備をしていました。
過去には鬱蒼とした原生林で通行にも困るようなところだったのを、きちんと奉行を任命し開拓させたのです。
しかも、従事する者には新しく屋敷を与えたり、他の税を免除する・商売の制限をしないという気前の良さ。
おかげで人が集まり、鳥羽野一体はにぎやかな町になったのです。
鯖江=眼鏡
つまり眼鏡男子は忠直のおかげってことじゃね?
で、この開発をやっていたのが大坂の陣が終わった辺りからでした。
次第に領民の信望を得ていく忠直を、幕府が鬱陶しいと思うには絶好(最悪?)のタイミングです。
ついでにいうと、「忠直はこーんなワルモノだったよ!」という史料は忠直の死後半世紀も経ってから書かれています。
その後の史料でも忠直の所業はエスカレートする一方。
はてさて、忠直の素顔はどうだったのでしょうね。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
峰岸純夫/片桐昭彦『戦国武将合戦事典(吉川弘文館)』(→amazon)
菊地浩之『徳川家臣団の系図』(→amazon)
松平忠直/wikipedia