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【春日局】
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七色飯で食事嫌いを克服せよ
上記の通り、家光が生まれつき体の弱い人だったというのは有名な話です。
その大きな原因の一つと目されているのが「好き嫌いの多さ」でした。
福の最初の大仕事は、家光の偏食をどうにか克服させ、栄養をきちんと採らせることだったのです。
そこで福が考え出したのが「七色飯」というものでした。
七色といってもレインボーの七色ではありません。当時は合成着色料とかないですしね。
「七種類の味のご飯を出せば、毎日どれか一つは食べる気になるだろう」という作戦。
【白飯・赤飯・麦飯・粟飯・菜飯】と何となく想像のつくものから、【干し飯・引き割り飯・湯取り飯】という現代人には馴染みのないものまで様々なご飯を用意したのです。
干し飯は、干した飯をお湯で戻したものです。
引き割り飯は、お米を砕いて細かくしてから炊いたご飯のことでした。
そして、最後の湯取り飯というのは、蒸らす前のご飯を釜から出して、粘り気を洗い流してから蒸すというとても手間のかかったものでした。
毎日これだけ用意させられるほうも大変だったでしょう。
しかし、この「たくさんある中から好きなものを選ぶ」という方式が家光は気に入ったらしく、少しずつ食事をきちんと採れるようになっていきました。
家光が選ばなかったものは、下働きの人が食べてたんでしょうかね。
バラエティ番組でよくある「料理はスタッフが美味しく食べました」みたいな……って、違うか。
名実ともにコワい女には間違いない
そんな感じで何から何まで家光の面倒を見ていたのですから、家光が頼りにするのも、周囲の人が「あの人に逆らったらヤバイ」と思うのも当たり前のことでしょう。
彼女の本名より【春日局】という女房名が有名になったのも、その権勢と縁戚の公家の力を利用して、ときの天皇(後水尾天皇・家光の姉和子が入内した相手)に賜った名前だからです。
かの有名な大奥を作ったのも彼女ですし、これでは名実共に「コワい女」扱いされるのも無理はありません。
仕事「だけ」熱心に見える人が煙たがられるのも、古今東西よくある話ですしね。
しかし、つい最近彼女の別の面を思わせる、とある手紙が発見されました。
おそらく春日局の直筆と見られていて、西本願寺の僧侶に向けて書かれたものです。
「私の部下の母親がそちらにいると聞いたので、ぜひ同じところで働かせてやってほしい」
という内容で、心優しき一面を垣間見せるものでした。
「西に入る 月を誘い 法をへて 今日ぞ火宅を逃れけるかな」
彼女が絶大な権力を持っていて厳しい人だったというのは、たぶん間違いないのでしょう。
家光の側近だった息子・稲葉正勝もそれなりに出世を果たしますが、権勢をふるって強引なことをした――というような話は残っておりません。
戦国期のクライマックスで若い頃から苦労し、織田信長や豊臣秀吉の勃興&没落を見てきただけに、
「急に出世した者がずっとうまくいくはずはない」
と考えていたのかもしれません。
まぁ、とある大名息子の縁談に横入りして、江戸城初の刃傷沙汰の原因を作ったりもしているのですが……これも最初から刃傷沙汰を狙ってやったわけではないでしょう。
春日局としては子孫に累の及ばないように気を配っていたのかもしれません。
残念ながら長男・稲葉正勝には先立たれ、次男は諸々の経緯があって罪人扱いになってしまいますが、なんだかそれを見越していたかのような辞世の句を残しています。
「西に入る 月を誘い 法をへて 今日ぞ火宅を 逃れけるかな」
「ありがたい仏の教えのおかげで、今日やっと西の空に沈んでゆく月と共に逝くことができる」
くらいの意味でしょうか。
火宅とは仏教用語で「煩悩の多いこの世」という意味です。煩悩を火に例えているものと思われます。
死の間際になって、家光のために奔走したことや、政治的に策謀を巡らせたことなどが「業の深いことだった」と感じていたのかもしれません。
ともかく、家光が無事に成人して将軍をやれるようになったことは、きっと満足していたんでしょうね。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
峰岸純夫/片桐昭彦『戦国武将合戦事典(吉川弘文館)』(→amazon)
春日局/Wikipedia
日本経済新聞(→link)