豊臣家

謎多き天下人のルーツに迫る!『豊臣秀吉の系図学 近江、鉄、渡来人をめぐって』(宝賀寿男+桃山堂)

 

 

秀吉生誕伝説もある草野 近くには鉄砲鍛冶で知られた国友村も

秀吉をめぐる謎のひとつは、父親がどのような人物かほとんど不明であることです。弥右衛門という名が伝わっていますが、天下人となった秀吉が父親を供養し、顕彰した痕跡もありません。

とはいえ、秀吉の父方系図はいくつか伝来しており、共通しているのは、秀吉の曾祖父にあたる人物が近江国浅井郡(滋賀県長浜市)から尾張の名古屋に移住したとする点です。

父方系図のひとつとして『塩尻』という有名な随筆のなかの秀吉系図を取り上げています。作者の天野信景は、博聞強記の国学者ですが、職業的な学者ではなく、尾張藩に仕える武士でした。歴史、文学、天文地理、宗教、風俗についての文書を膨大な断章として残し、没後、『塩尻』の表題をつけてまとめられています。

 

長浜市には草野という集落があり、古来、鍛冶で有名なところですが、この地に秀吉にまつわるひとつの伝承があります。秀吉はこの地で生まれ、少年のころ、草野の鍛冶屋で奉公していたというのです。

草野は戦国時代、全国屈指の武具の生産地で、とくに「草野槍」と呼ばれた槍が有名でした。江戸時代以降は農家で使われる鍬や鎌などを製造する野鍛冶に転じています。明治時代のはじめの記録によると、百十軒の鍛冶屋があったといい、滋賀県内はもとより岐阜県をはじめ他県にも得意先を持っていたそうです。

現在の地名でいえば、長浜市鍛冶屋町あたりです。すでに産業としての役割は終えていますが、鍛冶場の施設は保存されており、定期的に実演も披露されています。

豊臣秀吉の系図学草野神社

草野神社では今も秀吉を神として祀りつづけている(長浜市鍛冶屋町)

 

草野神社では秀吉が祭神の一柱として祀られ、神社から歩いて一、二分のところにある源五郎屋敷跡が秀吉の鍛冶修行の場所と伝承されています。草野の鍛冶集落から草野川に沿ってくだると、七キロメートルほどで国友です。ここには戦国時代から江戸時代にかけて多くの鉄砲鍛冶がいて、大阪の堺とともに二大産地となっていました。

近江の草野で秀吉が生まれたという話は史実としてはにわかに信じがたいことですが、鍛冶屋集落を中心として、この地域には濃厚な秀吉伝承があり、草野神社では今も秀吉が神として祀られています。なぜ、秀吉は鍛冶屋の神となったのか──。伝承が史実かどうかとは別の次元で、秀吉のルーツを考えるうえで、重要な情報であると思えます。

 

系図作成の動機は人それぞれ 見極めが肝要也

豊臣秀吉の系図学 近江、鉄、渡来人をめぐって』著者の宝賀寿男は、日本家系図学会、家系研究協議会という在野の研究者団体の会長を兼務しており、系図研究の世界のご意見番です。

現役の法律家(弁護士)であり、もとは大蔵省(現在の財務省)のキャリア官僚、富山県の副知事を務めたこともあります。幕末生まれの系譜学者、鈴木真年の再評価の先駆けとなった『古代氏族系譜集成』(昭和六十一年刊行)の編著者であるといえば、系図に関心のある方なら、ぴんと来るかもしれません。

著者の系図研究に対する基本姿勢が、第一章の冒頭とあとがきに書かれているので、最後にそれを紹介させていただきます。

 

【第一章】

豊臣秀吉の系図の話をしようとすると、『どうせ偽系図だろう』と言われることがあります。秀吉の直系は絶えているので、公認の系図は伝来していません。

「出所不明の豊臣系図を持ち出してきて、それを土台に調査を進めても、砂上の楼閣そのものではないか」

本書を準備する過程で、そうしたご指摘もいただいています。しかし、有名な大名や公家に伝来する正統な系図であっても、記載内容のすべてが史実であるかというと、そうとは言えないケースが大半です。家柄の高低にかかわらず、系図は誤りの情報を伝えることが多々あります。なぜでしょうか。

私たちは系図を読解して、歴史的な事実やその一族の原点を知りたいと思っています。だから、ウソが書かれていると迷惑です。

しかし当然のことながら、系図は未来の歴史研究者に活用してもらうことを考えて作成されたわけではありません。朝廷や幕府、各藩で作成され、管理されていた系図もありますが、多くはそれぞれの家で作られ、所蔵され、伝えられていたものです。公的な性格より、私的な性格の強いものだということです。

系図作成の動機はさまざまです。

例えば、所領や家督相続の争いのとき、その証拠とするため。あるいは武士が仕官するとき、出自を証明するため。女性が嫁入りの際、生家の来歴を証するため。いずれのケースにおいても、歴史的な事実を記録することよりも、自家の利益や名誉が優先されるので、もっともらしい虚偽の記載が紛れ込み、時代を経て、いつのまにかそれが史実であるかのような誤解が生じるのです。

系図は一度、書き上げれば終わりというものではなく、その保持者の都合に応じて、絶えず書き改められます。虚偽や誤解が入り込む機会は、系図が作成された後、いくらでもあったと疑ってかかるべきなのです。秀吉にかかわる系図には、誰が何のために作ったのか、よくわからないものが少なくありません。一般の系図より、さらにやっかいな問題を抱えているということになります。

系図研究のポイントは、記述内容のうち、どの部分が信用でき、どの部分に疑問があるかということを個別に見きわめることです。信頼できる一級史料(書状や日記など史実性の高い史料)と照らし合わせるのが基本ですが、もちろん、そう簡単にはいきません。

文献だけに頼るのではなく、苗字の由来となる地名、その土地の来歴、一族にまつわる伝承や祭祀、習俗などにあたる必要があります。秀吉関係の系図については、多くの場合、系図そのものの史料価値に疑問があるのですから、多方面からの総合的なアプローチはとくに有効であるはずです。『豊臣秀吉の系図学』の編集にあたっては、可能な限り関係する現場を取材し、地理的な環境や地域の伝承を調査しています」

竹中半兵衛の先祖も、鉄鉱石の山の近くに居たという系譜資料が

竹中半兵衛の先祖も、鉄鉱石の山の近くに居たという系譜資料が

 

【あとがき】

「歴史というものは、その時々に暮す人々が活動し、それによってつくりあげられ積み重なっていく、大きな流れのようなものです。歴史学者の勝手な論理や思い込み、あるいは後世の倫理に都合のいいように、歴史が動いてきたのではないのです。ひとりの男性とひとりの女性が結ばれ子どもが生まれ、やがてその子は成長し、新しい時代を切り開いていきます。ひとつの世代から次の世代へ。そのような人と人の結びつきや反発などの中で、いろいろな事件が起き、私たちが歴史と呼ぶ何かが形成されていきます。

そうした世代の連なり、一族と一族の関係性を端的に記録したものが、系図および系譜関係の史料群です。当事者の虚偽工作や後世の改変などもあって、系図史料の記載は虚実混交しており、きわめて扱いづらいものです。しかし、地理学、民俗学、宗教学などの知見を踏まえた総合的な問題意識をもち、沈着冷静な目で、合理的に系図と接するならば、背景となる歴史事情や当時の人間関係などについて、有意義な情報を私たちに物語ってくれるはずです」

金生山化石館所有の赤鉄鉱。金生山は化石の多い山としても知られる

金生山化石館所有の赤鉄鉱。金生山は化石の多い山としても知られる

 

ネットで史料を照らし合わせながら楽しむことも

『豊臣秀吉の系図学』では、秀吉およびその一族にかかわる多くの系図を紹介していますが、その大半はインターネット上で閲覧できます。インターネットで見ることができる場合は、該当の箇所がわかるよう、具体的に紹介しています。例えば、本書の中で、『美濃国諸家系譜』にある竹中家譜[東大史料 第6冊 0400.tif ]と書かれている場合、東京大学史料編纂所のウェブサイトの「所蔵史料目録データベース」のページで、「美濃国諸家系譜」を検索、第六冊を選んで、0400.tif 以降の画像を閲覧すれば、竹中半兵衛重治の系図を見ることができます。

系図は虚実混淆した史料で、読み手による解釈が大きな比重を占めています。本書で述べていることもひとつの解釈ですので、ぜひ、インターネットで公開されている系図関係の史料を見ながら、本書を読み進めていただければと思います。

『豊臣秀吉の系図学』では触れていないことですが、秀吉、親族の加藤清正には、土木や建築の技術に精通しているという共通点があります。最近の研究では、加藤清正は財務や経済にたけた武将であったことがクローズアップされており、虎退治の荒くれ武者のイメージはなくなってきました。秀吉も数理・算術に強かったといいますが、もしかすると、それは二人のルーツにかかわることなのかもしれません。古代においては、土木・建築の分野も、朝廷の財務管理も、渡来系の技能集団が活躍する舞台だったからです。

さて、加藤清正は秀吉が朝鮮半島へ攻め入ったとき、司令官的な重責を担っています。大規模な戦場での指揮経験が豊富であったとはいえない加藤清正が、なぜ、朝鮮半島での戦いの最前線に立たなければならなかったのか──。

『豊臣秀吉の系図学』から見えてくる新たな謎です。


豊臣秀吉の系図学 近江、鉄、渡来人をめぐって

 

著者:宝賀寿男 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E8%B3%80%E5%AF%BF%E7%94%B7

 

文/蒲池明弘(桃山堂株式会社編集者)

 

編集部より

時事通信による桃山堂さんの『黒田官兵衛目薬伝説』紹介記事がYahoo!ニュースにも紹介されております! よろしければコチラも合わせてごらんください。

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