絵・岡本亮聖

豊臣家

秀吉主催の北野大茶会 人がサッパリ集まらず1日で終了って……

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「大ヒット満員御礼!」
という映画の宣伝。

「○○反対へのデモに100万人!(主催者発表)」
という報道などなど。

現代にいたるまで誇大表示というのは後を絶ちません。

歴史書でもそれは同じ。
「A将軍の作戦大成功」と書かれていたとしても、果たして本当かどうか。

戦国の世を成り上がったスーパースター豊臣秀吉
庶民人気も絶大だったと言われているが、それはウソだ。

人気があったのは、あくまで江戸時代以降のことで、自身が存命中はむしろ逆であったふしがある。

 

秀吉の庶民人気の証明とされた大茶会だが

秀吉が京都の北野天満宮で行った有名なイベントに、北野大茶会というのがある。

庶民から大名まで興味がある人なら身分の分けへだてなく、天下人・秀吉とお茶ができる――そんな画期的なイベントだった。

メインは、もちろん秀吉の茶。
とはいえ全員を相手にできるわけもない。

そこで当日、その場で抽選が行われ、
1等 秀吉
2等 千利休
3等 津田宗及
4等 今井宗久
へと振り分けられた。

利休をはじめとする2等以下は、当時最高峰の茶人である。

秀吉は、神社の拝殿に40点もの名物の茶器(一つで城持ちに相当するものばかり)をせっせと並べ、利休らは経堂という建物に茶席を設けた。

北野天満宮

 

なぜ1日で終了したのか謎だったが

歴史の教科書では、大勢の人が押し寄せて大成功――そうなっている北野大茶会。

しかし、この大茶会には謎があった。
当初の開催期間は10日の予定だったのに、わずか1日で終わっていたのである。

その理由は、佐々成政のいる肥後(熊本県)で反乱が起きたことや、秀吉が多数の客をさばいて面倒になったとも言われてきたが、本当の理由は「秀吉のメンツ」だったようだ。

これだけ豪華な演出にもかかわらず、初日に秀吉とお茶を飲みたいとくじを引いたのが、わずか803人しかいなかったのだ。

絵・岡本亮聖

絵・岡本亮聖

 

九州商人にはアタマを下げて別の茶会

現代でもアイドルグループがコンサートで何万人も動員するように、秀吉はこのとき10万単位の兵を動かしていた。

そんな大物が気さくに会ってくれるという場である。
にもかかわらず、わずか800人しか来ないのは、かなりの計算外だったのだ。

自分以外に『堺』の茶人ばかりを主役にしたため、プライドの高い京都人たちに受け入れられなかったという見方もあるが、いずれにせよ自身のプライドもズタボロにされた秀吉は2日目以降を急遽中止に。

2日目以降に参加するつもりで九州から招かれた商人には、秀吉が頭を下げ、後日、わざわざ専門の茶会を開催するほどだった。
やはり、秀吉には引け目があったのだ。

川和二十六・記

【参考】
『秀吉の智略「北野大茶湯」大検証』(→amazon link

 



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