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大坂夏の陣がわかる局地戦まとめ! 幸村が突撃し又兵衛が散った各地の戦績は?

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幸村の前に奮戦した部隊がいたからこそ

いつの時代も先手必勝というのは変わらないようで、勢いに乗って本多忠朝を討ち取ります。

別の隊もこれに乗って前進し、家康本陣を丸裸にするほどでした。

真田信繁が家康の本陣を襲撃した」という話はこのときのものです。

島津忠恒の言葉【真田は日の本一の兵(ひのもといちのつわもの)】があまりに有名すぎるため、まるで幸村一人の功績にも思えてしまいますが、実はその前に勇戦した部隊がいたんですね。

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大坂方は何度も退いては攻め、攻めては引きを繰り返しました。

が、絶対的な兵数の差により少しずつ押し返されてしまいます。

そして信繁は、前日家康の叱責(イチャモン)にブチ切れていた松平忠直隊によって討ち取られ、他の隊も乱戦の中で主将を失い壊滅状態に陥ります。

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最後まで戦線を保っていたのが、戦をおっぱじめた毛利隊だったというのが何ともいえません。

もちろんサボっていたわけではなく、四方を囲まれたため仕方なく城へ引き上げています。

 

岡山口の戦い

こちらは天王寺口の戦闘が開始されてから、追いかけるような形で戦が始まっています。

後見についていた立花宗茂

「秀忠様が出て行くと的になってしまいますので、後ろでどっしり構えていてください」

と言ったにもかかわらず、血気にはやる現役将軍・徳川秀忠は前進してしまい、父親と同じく大坂方から突撃を受けてしまいます。あーあ。

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大阪方は大野治長・治房兄弟など、現代の一般人からすればあまり猛将のイメージがない人々でした。

それでも、秀忠の陣は大混乱に陥ります。

秀忠にとって当初は「待ってました!」という状況だったようですが、お目付けに来ていた本多正信に「いやいや、上様が御自ら手を出すまでもありません(だから大人しくしてろボケ)」となだめられています。

この頃秀忠は30代半ばですし、将軍様ですからね。

よほど関が原での大遅刻や、冬の陣の際、無茶な行軍をして家康に怒られたのを気にしていたと見えます。

ちなみに、後方のほぼ見学席といってもいいようなところには徳川義直徳川頼宣といった幼い弟達がおりました。

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混乱が落ち着いてからはやはり数で勝る徳川方が有利になり、秀忠の周辺も守りを固め、大野隊他大阪方を押し返します。

形勢逆転を見た大坂方は秀頼自らの出馬を待っていたといわれますが、淀殿が納得せず、結局間に合いません。

後方のお飾りであっても、総大将が戦場にいるだけで士気は上がる。というか、そうでないと戦う気力も湧いてきませんよね。

淀殿は、織田信長の姪っ子なのに(信長の妹・お市の方の娘)、その辺、残念だったなぁ、と。
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