絵・富永商太

豊臣家

加藤清正(秀吉子飼いで人気No.1)が熊本城を築き最期にナゾの死を迎える

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
加藤清正
をクリックお願いします。

 

慶長の役を経て関ヶ原へ

三成&行長コンビとの間に修復できない亀裂の入った清正。

二度目となる朝鮮出兵(慶長の役)にも、もちろん参加します。

そして今度は【秀吉の死去】をキッカケに停戦へ。帰国後の清正は、秀吉子飼いの筆頭という立場で苦しめられることになります。

【関ヶ原の戦い】では石田三成憎さで徳川方につきましたが、その後、豊臣家との間で板ばさみになってしまったからです。

家康の命で名古屋城を建てたときには「なんでタヌキジジイの息子(尾張藩初代・徳川義直のこと)の城を建てなきゃいけないんだよ!」と愚痴る福島正則に対し、「イヤなら国元に帰って戦支度でもしろ」と諭したらしいので、もう豊臣家に実権を戻すのは難しい――と冷静に判断していたのでしょう。

福島正則すったもんだの転封&改易劇〜終焉の地は意外や信州!

続きを見る

徳川義直(家康の九男)と家光は火花バチバチ! 尾張徳川家・初代の生き様

続きを見る

それよりも、できるだけ豊臣家の家格を高いまま残したい――そのため清正は、家康と秀頼の間に立って会見を促したりします。

こうした振る舞いからも清正が単なる猛将でないことは見えてきますね。

彼は朝鮮出兵の費用をまかなうための貿易計画を立てたり、そのための商人を用意したこともありました。

内政も割と得意なようで、領内では新田開発や麦の栽培も奨励。関ヶ原の戦い後に拝命した熊本54万石は、実質74万石だったと言います。

もっとも、意外なのが「茶道」を嗜んだことでしょうか。

古田織部の弟子・服部道巴どうはに教わっていたというから本格的ですね。

古田織部(重然)信長や秀吉に仕えた『へうげもの』主人公って実際どんな人?

続きを見る

しかし、本格的に取り組む前に皮肉な運命に襲われます。

 

今なお消えぬ毒殺説 依然としてハッキリしない

秀頼と家康の会見に立ち会った帰りの船で清正は突如発病し、帰らぬ人になってしまった……といわれています。

あまりにも突然だったため遺言や辞世の句もなく、毒殺説が今も消えていません。

そもそも家康と秀頼の会見は京都・二条城で行われていたので、瀕死の病人がそんな大移動はできないでしょう。

徳川家康(松平元康)が直面した3度の絶体絶命!75年の生涯まとめ【年表付】

続きを見る

死因となった病気には腎虚や梅毒、はたまたハンセン病など諸説あり、こちらもやはりはっきりしていないというのがまた何とも。

まあ死因についてはさておき、清正は秀吉子飼いの中では特に内政が得意な人でしたので、地元民からは今も昔も絶大な人気を誇っています。

熊本城築城や土木工事をする際には農閑期を狙い、きちんと賃金を払うなど、民衆に気を遣っていた点が大きいようです。

清正は農民の出ではありませんが、身分的には近かったので「農民を一年中こっちの都合につきあわせてはいけない」ということがわかっていたのでしょう。

特に堤防や河川の改修については現代でもそのまま使われているほどで、彼がいかに先進的な高い技術を持っていて、うまく工事を進めたかがわかります。

清正が熊本にいたのは15年ほどですが、仕事ができて思いやりもあるとなれば、今も「清正公せいしょこさん」と呼ばれ親しまれているのも頷けます。

熊本城

これだけ功績もあり、地元から慕われている人ですのでやっぱり?大河誘致運動もされています。

未だ実現しそうにないのは、前述の朝鮮出兵のせいですかね。

清正の場合、朝鮮半島を縦断して現在のロシア領まで行ってますし、エピソードが多すぎて端折れないからダメなんでしょうか。

何かうまいこと折り合いがついて実現するといいのですが。

そのときは虎退治の逸話をCGでどのように表現するのか、楽しみにしたいですね。

あわせて読みたい関連記事

賤ヶ岳の七本槍って実は九本槍!? 戦場ではどんな活躍を? まんが戦国ブギウギ81話

続きを見る

大政所(秀吉の母・なか)天下人を産んだ母はどんな女性だった?

続きを見る

豊臣秀吉 62年の生涯まとめ【年表付き】多くの伝説はドコまで本当か?

続きを見る

鳥取の渇え殺し&三木の干し殺し人肉の恐怖~極度の空腹でメシ食うと死ぬ

続きを見る

山崎の戦い(明智vs羽柴)はなぜ秀吉が完勝した? 敗者の光秀はドコへ?

続きを見る

賤ヶ岳の戦いで秀吉と勝家が激突! 勝敗を決めたのは利家の裏切り?

続きを見る

小牧・長久手の戦い 豊臣と徳川の複雑な戦線&戦況がバッチリわかる!

続きを見る

石田三成~日本一の嫌われ者を再評価! 豊臣を背負った忠臣41年の生涯

続きを見る

佐々成政が信長の側近から秀吉の反逆者へ! 悲運の生涯53年まとめ

続きを見る

肥後国人一揆で成政が切腹となったのは秀吉の政治的策略だった?【九州戦国譚】

続きを見る

小西行長が秀吉にウソをつきながら出世できたのはなぜ?【豊臣戦国譚】

続きを見る

福島正則すったもんだの転封&改易劇〜終焉の地は意外や信州!

続きを見る

徳川義直(家康の九男)と家光は火花バチバチ! 尾張徳川家・初代の生き様

続きを見る

古田織部(重然)信長や秀吉に仕えた『へうげもの』主人公って実際どんな人?

続きを見る

徳川家康(松平元康)が直面した3度の絶体絶命!75年の生涯まとめ【年表付】

続きを見る

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
『戦国武将合戦事典』(→amazon
『秀吉家臣団の内幕 天下人をめぐる群像劇 (SB新書)』(→amazon
加藤清正/wikipedia

TOPページへ

 



-豊臣家
-,

Copyright© BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) , 2020 All Rights Reserved.