絵・富永商太

豊臣家

「秀吉は卑しい人間」と暴言吐いたのはあの清正? 豊臣恩顧の筆頭がなぜ?

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関ヶ原の東軍参加も説明がついてしまう?

秀吉はこのとき「明皇帝のお嬢さんをくれ」と、いかにも女好きな要求をします。しかも二人。どんだけやねん。

困った小西行長は「皇帝の娘は来たけど途中で病死したので、代わりに馬300匹もらいましたということにしておかない?」と、秀吉に内緒で明の使者と裏条件を提示、非常に危険な自己流外交を進めます。

なんせ小西は商人あがりのため経済重視な一面もあり「さっさと戦争はやめて、明と貿易して儲けたい」という考え。秀吉の要求をことごとく勝手に取り下げていたのです。

小西行長(秀吉配下の戦国商人)とは? 豊臣政権で出世できた現実的な理由

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これに感づき、小西外交を批判したのが清正です。

「神にも近い秀吉さまの意向を勝手に変えやがって!」

なんて血相変えたとされていますが、実際、清正が接触した明側の記録をひもとくと、真逆のセリフが相手に伝わっていました。

――秀吉を日本国王に任命(明皇帝の臣下になること)する――そんな明側の意向を聞いた清正はこう答えたというのです。

「は? 日本には天皇という王がいるぜ。そもそも秀吉は出自の卑しい人間で、今だけ日本の西半分に号令をかけられるに過ぎないんだよ」

戦国ファンとしては一瞬目を疑ってしまうかもしれません。

とても清正とは思えないほど、辛辣な秀吉評ではないですか。

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関ヶ原の東軍参加も説明がついてしまう?

この発言は『偽りの秀吉像を打ち壊す』(→amazon)で佐島顕子氏が担当されたページにも掲載されていて、以下のように原文が記されています。

(吾国王尚在、慈仁愛人。関伯隷人也。只得檀号令於西辺諸島)と惟政に語ります(「実録」二十七年六月丙寅十九日)。

『偽りの秀吉像を打ち壊す』155ページ

加藤清正と言えば、慶長伏見地震が起きた際、真っ先に秀吉のもとへ駆けつけ、その安否を気遣った(という創作エピソードもあるほどの)忠臣。

たとえ異国の地で秀吉に振り回され怒り心頭だったとしても、敵の使者に危険なホンネを漏らすなんて、かなり意外な話でありましょう。

佐島氏は同記事の中で以下のようにも記しております。

秀吉の政権とは、秀吉という個人の力が尽きた時に政権も終わる、永続性のない一代限りの政権だと見られていたわけです。

そうなれば、これまで不思議とされていた、清正の関ヶ原東軍参加も合点がいくというもの。

結局、秀吉の人たらし術も一過性のもので、身近でいつも接している人物(清正)には通用しなかったのか、と思わされたりもします。

なんにせよ太閤殿下の人望の無さだけは伝わってくる、ちょっと切ないお話でもありますね。

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文:川和二十六

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