お酒大好きの福島正則――あるいは加藤清正あたりを思い浮かべる方が多いでしょうか。
二人とも【賤ヶ岳の七本槍】に数えられたり、関ヶ原では三成と反目して東軍になったり、何かと共通点も多いイメージですが、人気でいえば清正に軍配が上がりそうです。
正則のような猪武者タイプではなく、築城技術に優れ、スマートなイメージもある。
そんな清正が「秀吉は卑しい人間だ」と発言していた、と言われたら驚きませんか?
中国は明の史料に残されていたというのです。
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西日本を中心に組まれた文禄の役部隊
清正の問題発言が出たのは、秀吉の外交政策として悪名高い【文禄の役(1592-1593年)】のとき。
戦国時代を生き抜いた歴戦のツワモノたちも「すでに日本は統一したんだから戦はやめてよ……」と厭戦気分に落ち込み、豊臣政権崩壊のキッカケとしても知られます。
なんせ渡海しての慣れない合戦です。
毛利や島津、宇喜多など。
西国武将たちを中心に組まれた豊臣軍は多大な負担を強いられ、その中には当然、秀吉子飼いの加藤清正も含まれていました。

文禄の役『釜山鎮殉節図』(左側の船団が豊臣軍)/wikipediaより引用
以下にざっとメンツを記しておきますと……。
【文禄の役】
1番隊:小西行長・宗義智・松浦鎮信・有馬晴信(約19,000人)
2番隊:加藤清正・鍋島直茂・相良頼房(約23,000人)
3番隊:黒田長政・大友義統(約11,000人)
4番隊:毛利勝信(森吉成)・島津義弘・高橋元種・秋月種長(約14,000人)
5番隊:福島正則・長宗我部元親・蜂須賀家政・生駒親正(約25,000人)
7番隊:毛利輝元(約30,000人)
8番隊:宇喜多秀家(約10,000人)
9番隊:豊臣秀勝・細川忠興(約12,000人)
船手衆(水軍):九鬼嘉隆・藤堂高虎・加藤嘉明・来島通之
1番隊から9番隊まで、戦国期に残るスター武将たち。
ほぼほぼ西日本のメンバーですよね。
交渉担当は行長と三成
1万の兵を率いた清正は、破竹の勢いで進軍。
朝鮮の王子2人を捕虜にするなどの戦功をあげますが、そのうち明の援軍到来や兵粮の確保・戦線の維持が困難となり、結局、豊臣軍全体としては半島南端へ撤退せざるをえなくなります。

文禄の役における加藤軍(青)と小西軍(黄)の進路/wikipediaより引用
そこで朝鮮の宗主国・明と和解交渉を進めたのが、清正と同じく肥後半国を与えられた小西行長や石田三成です。
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二人とも、秀吉、側近中の側近。
同じく秀吉側近ながら加藤清正とは相性最悪な組み合わせでした。
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