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名古屋城で家康の戦略の秘密を探そう!歴史マニア向けディープにマンガで観光ガイド

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    2018年3月に、名古屋城の入り口前に、飲食店などの商業スペース「金シャチ横丁」が開業。観光地としてますます魅力度があがる名古屋城。並みの観光パンフレットにはない、歴史ファンなら見逃せない、3つの視点からちょっとディープな見どころを紹介します。

    1 タモリも納得!地形から家康の対豊臣戦略がわかってしまう
    2 天守台の石垣に隠された家康と加藤清正の暗号を探そう
    3 堀の底を走っていた鹿と電車?
    家康が大坂の豊臣秀頼への戦略を詰め込んだ「究極の城」

    城で持つと言われる尾張名古屋。

    名古屋嬢ではなく、尾張藩62万石の名古屋城です。

    この名古屋城、実は、尾張の長い歴史にとっては比較的新しい中心なのです。

    築城したのは徳川家康

    約400年前の1610年(慶長15年)、関が原の戦い後、大坂の陣の前になりますね。

    非常に直線的な設計は、合理的な家康の性格を反映していると言われ、家康の城作りの究極の姿とも言われています。

    江戸時代には、あまりに直線的な作りから、あまり良い縄張りでないなどと軍学者に言われたこともあるのですが、最近の研究では、そうした武田氏風など古き良き戦国時代の城を超えた「究極の城」としての強さの秘密が様々な形で明らかになっています。

    さぁ、 この魅力いっぱいの名古屋城に行ってみましょう。
    わたくし、お城大好き「おい天ちゃん」が、漫画家の小久ヒロさんを連れ出して、ご案内しました。

    遺跡の国宝である特別史跡に指定されてるんです

     

    第二次世界大戦の際、名古屋城はアメリカ軍の空襲によって国宝だった天守や本丸御殿など、多くの建物が焼け落ちてしまいました。
    戦後、市民の寄付によって作られたのがコンクリート製の復興天守閣、それが現在の天守閣となります。

    名古屋の人達に中にも「コンクリートの天守閣なんて価値がない」=「名古屋城にもたいした価値がない」なんて自虐的に見ている人がいるのも事実。

    しかししかし、名古屋城はいまでも「国宝」なのです!

    というのも、名古屋城は国の特別史跡に指定されておりまして。
    特別史跡というのは遺跡の国宝にあたります。

    建物の場合、例えば同じ愛知県の犬山市にある犬山城は天守が建物が国宝です。
    しかし犬山城は広いお城自体はようやく2017年に国史跡(これは重要文化財にあたりますが)へ指定されることが決まったばかり。

    一方、名古屋城は「国宝」だった天守は焼けてなくなりましたが、地面である遺跡としてはこの遺跡の国宝である「特別史跡」にきちんと指定され、歴史的な文化財として高く評価されているのです。
    徳川家康が考え抜いた「石垣や堀を含む築城の思想」そのものが明確に現れている現在の遺構にこそ、非常に高い価値がある、というワケですね。

     

     

    さらに言えば、先日放送されたNHK「ブラタモリ」の名古屋編で、タモリさんが楽しんでいたように地形や地理好きな人が、そうした目線でぶらぶら歩くと面白さが倍増される、そんな特徴も備えているのです。

    まずは場所を下のマンガで確認してみてください。

    名古屋城は名古屋駅の北東にあります。あとで何度もでてきますが、台地の角っこに立地しているんですよ。

    上の三叉路に架かった歩道橋の上から写真を撮ると、下のコマのように清正像の背後に天守閣が移る構図の写真が撮れますよ。駐車場で降りた人はいきなり登城せずにすこし南に歩いてみてね。

    2018年3月にはこのエリアに商業施設「金シャチ横丁」もオープンします!

    タモリさんが興奮した「台地の端っこ」に立つ名古屋城

    ブラタモリ名古屋編の別々の回で、タモリさんが、名古屋台地の北端の名古屋城と南端の熱田神宮を訪れて、台地の両端に立ったと興奮していたことを覚えていらっしゃいますか?

    名古屋城は逆L字型の名古屋台地(熱田台地)のちょうど「逆L」が折れ曲がる角っこにあります。

    これはこの場所を選んだ家康の戦略が込められています。

    なので、名古屋城は西と北の堀は水堀。南と東は空堀なんです。

    南側の空堀

     

    いきなり天守閣を目指さずに西から回り込むのが歴史マニア!

    ふつうは南の正面から本丸へ行って天守閣にのぼるのですが、下のように西から回ってみるのもありです(ちゃんと裏の北側からも本丸に入れますのでご安心ください)

    南側は、城の重要な見所である「馬出し」の一部が埋められているのです涙……

    馬出しこそ、最強の城の攻防兼ね備えた、いわば「大砲」。

    「この馬出しなら、1000人は置けるな」などと、ブツブツ言ってみてください。マニアと思われること間違いなし!

    石垣にそって北へ向かい、急に細い小路になったら「あっ、この先は馬出しだ!」ってつぶやきましょう。

    家康がこだわりにこだわったのが名古屋城北西側!

    現在は裏庭・裏道扱いされている北西側ですが、もともと家康が築城したときは、大坂を向いた正面でした。

    そのために様々な工夫のあとが残されています。

    台地の北西角だったため、北と西はもともと崖ということです。そのため、工事はなかなか図面通りには進まなかったようです。

    でも、家康さまの言うことですから、みんなむげにはできずに、ムダな苦労もあったことでしょうね………

    ちなみに、名古屋召しの手羽先は「世界の山ちゃん」が有名ですけど、「風来坊」もオススメですよ。名古屋民はどちらが好きかでけっこう二分されますね。

    家康が構想していた幻の小天守の痕跡をその目で探そう!

    いまの名古屋城は、大天守と小天守の2つの天守がつながっています。ところが、家康の当初つくらせようとした設計図では、第三の天守があったことが近代になってわかりました。

    そして、天守台の石垣には、その幻の小天守と大天守を接続するための入り口の痕跡が残っています。




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    よーく見るとわかります。

    一度、わかれば「あれ!あれ!」と、近くにいる関係のない観光客にも教えたくなることうけあい!

    上のマンガで出てきた千田先生の新聞記事はこちら名古屋城の天守台石垣に残る謎の「穴」の跡(読売新聞「天下人の城」連載)家康の当初計画が断念した経緯については徳川美術館の原史彦さんの解説もどうぞ。
    名古屋城普請丁場割図 低湿地の御深井丸は設計者泣かせだった?

     

    名古屋城の石垣や堀、立地の秘密「尾張名古屋は家康で持つ」がテーマのNHKのブラタモリ名古屋編(全3回)のおさらいをするのにピッタリなのが2018年1月に刊行された地図と地形で楽しむ名古屋歴史散歩 (歴史新書)です。
    名古屋の歴史旅に必携です。

     

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