日本初の歴史・戦国ポータルサイト

BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

スポンサーリンク

おいでよ!お城 お城

名古屋城は歴史の秘密がテンコ盛り! マンガで観光レッツジョ~!

更新日:


城で持つと言われる尾張名古屋。
名古屋嬢ではなく、尾張藩62万石の名古屋城です。

この名古屋城、実は、尾張の長い歴史にとっては比較的新しい中心なのです。

築城したのは徳川家康。約400年前の1610年(慶長15年)、関が原の戦い後、大坂の陣の前になりますね。
非常に直線的な設計は、合理的な家康の性格を反映していると言われ、家康の城作りの究極の姿とも言われています。

江戸時代には、あまりに直線的な作りから、あまり良い縄張りでないなどと軍学者に言われたこともあるのですが、最近の研究では、そうした武田氏風など古き良き戦国時代の城を超えた「究極の城」としての強さの秘密が様々な形で明らかになっています。

 

 

第二次世界大戦の際、名古屋城はアメリカ軍の空襲によって国宝だった天守や本丸御殿など、多くの建物が焼け落ちてしまいました。
戦後、市民の寄付によって作られたのがコンクリート製の復興天守閣、それが現在の天守閣となります。

名古屋の人達に中にも「コンクリートの天守閣なんて価値がない」=「名古屋城にもたいした価値がない」なんて自虐的に見ている人がいるのも事実。

しかししかし、名古屋城はいまでも「国宝」なのです!

というのも、名古屋城は国の特別史跡に指定されておりまして。
特別史跡というのは遺跡の国宝にあたります。

建物の場合、例えば同じ愛知県の犬山市にある犬山城は天守が建物が国宝です。
しかし犬山城は広いお城自体はようやく2017年に国史跡(これは重要文化財にあたりますが)へ指定されることが決まったばかり。

一方、名古屋城は「国宝」だった天守は焼けてなくなりましたが、地面である遺跡としてはこの遺跡の国宝である「特別史跡」にきちんと指定され、歴史的な文化財として高く評価されているのです。
徳川家康が考え抜いた「石垣や堀を含む築城の思想」そのものが明確に現れている現在の遺構にこそ、非常に高い価値がある、というワケですね。

さらに言えば、先日放送されたNHK「ブラタモリ」の名古屋編で、タモリさんが楽しんでいたように地形や地理好きな人が、そうした目線でぶらぶら歩くと面白さが倍増される、そんな特徴も備えているのです。

さぁ、 この魅力いっぱいの名古屋城に行ってみましょう。
漫画家の小久ヒロさんを連れ出して、ご案内しました。

えっ? お前は誰だって?

ご挨拶が遅れました。

2017年夏、全国のお城好きに圧倒的な支持を集めた徳川美術館「天下人の城展(リンク先は応援団ブログ)」。
その応援団によって産み出された期間限定の「おいでよ天下人の城展」、略して「おい天ちゃん」です!

桶狭間の戦い「正面奇襲説」がよくわかる現地リポート!【マンガ解説付き】

【漫画ルポ】天下人の城のオリジン!小牧山城へ徳川美術館の前後に行ってみよう!(リンク先は天下人の城展応援団ブログ)
会期の終了とともに、惜しまれながら消えていったのですが、極一部の方の猛烈な自薦や他薦によって「おいでよ天下人の城」、略して「おい天ちゃん」(同じ)として蘇りました!

これから不定期で、漫画家の小久ヒロさんを全国のお城などに連れ出すことができたら、また登場させていただきます!よろしくね!

おい天
この三叉路に架かった歩道橋の上から写真を撮ると下のコマのように清正像の背後に天守閣が移る構図の写真が撮れますよ。駐車場で降りた人はいきなり登城せずにすこし南に歩いてみてね

おい天
なので、名古屋城は西と北の堀は水堀。南と東は空堀なんです。

南側の空堀

【名古屋城の地理】

名古屋城は 熱田(名古屋)台地と呼ばれる名古屋の中心に南北に逆三角形のような形で伸びる台地の北の端っこに位置しています。

城下町はこの名古屋城を頭に、南に広がる台地の上に広がっています。
城の直線的な設計と同じようにほぼ綺麗な南北東西の街路で区切られた碁盤目状の城下町「碁盤割」が新しく作られたのです。

これが今の名古屋の中心部の基礎となっています。

現在の名古屋駅から名古屋城は歩いて行くにはちょっと離れています。

これは名古屋駅が明治時代に東海道本線の駅として出来る際、元々は 名古屋を通過する予定だったからなんですね。
(東京と神戸を結ぶ路線は東海道ではなく中仙道ルートが計画されていたため)

そのため、城下町から離れた沼地に線路が引かれました。

現在、最大の繁華街は、この名古屋駅(地元の人は略して名駅と言います)と、城下町の東南にある栄。この二つです。
名古屋城のある台地の北側は愛知県庁や 名古屋市役所などが並ぶ官庁街となっています。

おい天
ふつうは南の正面から本丸へ行って天守閣にのぼるのですが、下のように北から回ってみるのもありです(ちゃんと裏からでも本丸に入れます)

おい天
細い小路になったら「あっ、この先は馬出しだ!」ってつぶやきましょう。

おい天
手羽先は「世界の山ちゃん」が有名ですけど、「風来坊」もオススメですよ。

千田先生の新聞記事はこちら名古屋城の天守台石垣に残る謎の「穴」の跡(読売新聞「天下人の城」連載)

おい天
家康の当初計画が断念した経緯については徳川美術館の原史彦さんの解説もどうぞ

名古屋城普請丁場割図 低湿地の御深井丸は設計者泣かせだった?(リンク先は天下人の城展応援団ブログ)

 

もっとディープな名古屋城の秘密は次のページへ!

以下は、名古屋城のデータです。(天下人の城展応援団ブログから)

名称 名古屋城
築城 慶長14年(1609)
スタイル 平城
城主 今川氏豊(尾張今川氏)→織田信秀→織田信長… 徳川義直(尾張徳川家)
歴史 名古屋城の前身である那古野城は、応永年間(1521〜28)、今川氏親によって築かれたとされ、尾張今川氏の城であったが、天文7年(1538)に織田信秀が城を乗っ取り、勝幡城から那古野城へ、その居城を移している。 (この時の那古野城の中心は、現在の名古屋城二の丸あたりにあったとされていて、説明板が立てられている)
特長 その後、那古野城は嫡男・信長に譲られるが、信長が清須城へ拠点を移すと、徐々に存在意義を失い、天正10年(1582)に一時廃城となる。 それから約30年後の慶長14年(1609)、徳川家康によって清須に代わる尾張の中心地として、同地に現在の名古屋城が築かれる。 この時の築城は、主に外様大名による天下普請によって行われ、有名な加藤清正による天守台の普請をはじめ、各所普請が大名の力量や石高によって丁場が割り当てられた。(この時に、大名達が各地から切り出し、運び込んだ石垣の石材には、どの大名のものか、どの作業グループのものかを表す、刻印と呼ばれる様々なマークや字などが刻まれていて、どの大名がどこを受け持ったのかが判る目印しになっている。 この刻印を見て回るのも、名古屋城をまわる楽しみにもなっている)天守や御殿などの作事は幕府によって進められ、天守は延べ床面積で、江戸城や(徳川)大坂城を上回る巨大なものが建てられた。 また、清須城からの移築と伝わる御深井丸・西北隅櫓(清洲櫓)は、三重天守級の大きさで、現存では最大の隅櫓である。 また、縄張りでは、本丸虎口に枡形虎口と角馬出しを合わせる最強の形を採用しただけでなく、それに続く曲輪(西の丸や御深井丸)が、中の曲輪の馬出しとして機能する様に配置され、更に鉄壁の守りを作り出している。 こうして、当時考えられる最強の形を取りながらも曲輪面積は方形に広く取られており、藩としての政庁機能や居住スペースである御殿が無理なく曲輪内に収まっている(同時に広く取られた曲輪は、戦時の増援部隊の駐屯も可能にしている)など、近世城郭として、最強・最高の城といえる。このようにして築かれた名古屋城は、家康9男の義直が入り、尾張徳川家の居城となり幕末まで存続する。明治以降も各地の城が廃城令で取り壊される中、名古屋城は天守や御殿など、本丸を中心に多くの建物や城域が残される事になったが、太平洋戦争の空襲により、惜しくも天守や御殿など多くの貴重な建物が焼失した。 焼失をまぬがれ現存する建物として、本丸の東南隅櫓・西南隅櫓・表ニの門、東ニの門跡へ移築された旧ニの丸東ニの門。 御深井丸の西北隅櫓(清洲櫓) ニの丸大手ニの門などが遺されている。 また、城域内の遺構も、名城公園として保護された本丸、ニの丸だけでなく、官庁街となっている三の丸まで土塁や堀が非常に良く遺っており、名古屋城の規模を感じる事が出来る。 この名古屋城には、金城温古録など江戸時代に書かれた資料や、焼失前の図面や写真が遺されている事、戦争時に御殿内建具が疎開をされていて無事であった事などなど、奇跡的なほど資料が豊富に遺されている。 この事から本丸御殿の復元が平成18年度より進められ、平成30年に完成する予定となっている。 また、戦後に鉄筋コンクリートによって外観復興された現天守閣も、耐用年数、耐震不足などの問題から木造天守への建て替えが検討されている。(天守閣へ登城される方には、是非、加藤清正が築いた本物の天守台にも目を向けて貰いたい。天守閣への登り口付近の石垣は、天守焼失時の熱によって、焼けてボロボロになっているのが判る。石垣の孕みだけでなく、石材そのものにもダメージを残したまま、天守の建て替えを優先して行うのが正しい方法なのか、天守台の横に立ってそれぞれ考えてみてはどうだろう)
入場時間:料金 午前9時~午後4時30分 ただし、天守閣・本丸御殿へのご入場は午後4時まで観覧料:大人 500円
名古屋市内高齢者
(名古屋市内在住の65歳以上の方。住所、年齢及び本人であることを確認できる書類を持参してください。例:名古屋市発行敬老手帳、運転免許証、パスポート等)100円 中学生以下 無料
アクセス情報 【車をご利用の場合】 名古屋高速1号楠線 「黒川」 出口から南へ8分 名古屋高速都心環状線 「丸の内」 出口から北へ5分 【駐車場について】○正門前駐車場(普通車・大型車・自動二輪車・原付) 普通車・自動二輪車・原付 利用できる日:1月2日から12月28日 利用できる時間:午前8時45分~午後9時30分 収容台数:普通車319台 ※宵まつり期間中は午後10時まで駐車料金案内 区分 単位時間 料金 普通車 30分以内ごと 180円 自動二輪車・原付 30分以内ごと 100円○二の丸東駐車場(普通車) 利用できる日:1月2日から12月28日 利用できる時間:午前8時30分~午後6時30分 収容台数:普通車123台 ※春の陣 桜まつり期間中は午後8時30分まで。宵まつり期間中は午後10時まで駐車料金案内 区分 単位時間 料金 普通車 30分以内ごと 180円【公共交通機関をご利用の場合】地下鉄 名城線 「市役所」 下車 7番出口より徒歩 5分 鶴舞線 「浅間町」 下車 1番出口より徒歩12分 市バス 栄13号系統(栄~安井町西) 「名古屋城正門前」 なごや観光ルートバス「メーグル」 なごや観光ルートバス「メーグル」の案内(外部リンク) 基幹2号系統 「市役所」 下車 徒歩5分 名鉄 瀬戸線 「東大手」 下車 徒歩15分
問い合わせ、参考 問い合わせ:名古屋城公式ウェブサイト 参考:http://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/
スポンサーリンク

データまとめ:るーちん

次のページへ >





1位 直虎の後を継ぐ井伊直政とは?


2位 わろてんか主人公
吉本せい波乱の一生


3位 西郷隆盛49年の生涯!


4位 史実の真田幸村とは?


5位 最上義光 名将の証明


6位 ホントは熱い!徳川家康


7位 意外と優しい!? 織田信長さん


8位 毛利元就の中国制覇物語


9位 伊達政宗さんは史実も最高!


10位 最期は切ない豊臣秀吉


注目! 史実の井伊直虎とは?


注目 わろてんか伊能栞
(高橋一生さん)のモデル
小林一三とは?





井伊家 井伊直虎 井伊直政 小野政次 龍雲丸
織田家 織田信長 濃姫 織田信忠 織田信雄 織田信孝 三法師 平手政秀
徳川家 徳川家康 結城秀康 徳川秀忠 松平信康 酒井忠次 榊原康政 本多正信 水野勝成
豊臣家 豊臣秀吉 豊臣秀長 豊臣秀次 福島正則 加藤清正 豊臣秀頼
伊達家 伊達政宗 伊達成実 義姫
最上家 最上義光 鮭延秀綱 山形城 大宝寺義氏 山野辺義忠
毛利家 毛利元就 毛利隆元 吉川元春 小早川隆景 毛利秀元 陶晴賢
島津家 島津義弘 島津の退き口
真田家 真田幸村 真田信之
立花&高橋家 立花宗茂 立花道雪 立花誾千代 吉弘統幸
浅井・朝倉家 朝倉宗滴 姉川の戦い 金ヶ崎の退き口
前田家 まつ 豪姫 前田利長 前田利常
黒田家 官兵衛が長政を叱責の真相
北条家 河越夜戦 小田原征伐 のぼうの城の真実
細川家
仙石家
長宗我部家
武田・上杉家
諸家 足利義輝
剣豪・武術・忍者 宮本武蔵
キリシタン ルイス・フロイス
合戦 桶狭間の戦い 長篠の戦い 手取川の戦い 厳島の戦い 月山冨田城の戦い

◆薩摩藩 西郷隆盛 島津斉彬 大久保利通 小松帯刀 西郷従道
◆長州藩 木戸孝允 木戸松子 高杉晋作 山県有朋


◆古代 安倍晴明
◆江戸 葛飾北斎
◆世界史 クレオパトラ ルイ16世 チェ・ゲバラ


わろてんか毎日の感想レビュー

-おいでよ!お城, お城

Copyright© BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) , 2017 AllRights Reserved.