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名古屋城で家康の戦略の秘密を探そう!歴史マニア向けディープにマンガで観光ガイド

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もくじ

    おちゃめなのか命がけなのか 石垣に刻まれた加藤清正の名前

    さて、冒頭で3つの視点(ポイント)で名古屋城をぶらぶら歩くと楽しみ倍増とお伝えしましたが、覚えていますか?

    1 タモリも納得!地形から家康の対豊臣戦略がわかってしまう
    2 天守台の石垣に隠された家康と加藤清正の暗号を探そう
    3 堀の底を走っていた鹿と電車?

    このうち、1番目の家康の戦略と、2番目のうち家康の暗号は紹介しました。次は2番目の加藤清正の暗号です。

    前のページに書いたように、名古屋城で一番、歴史・文化財として価値があるのは石垣や堀などの400年前から今まで残っていた遺構の部分です。再建された天守閣や本丸御殿の目に見える迫力に圧倒される前に石垣などのことを見ておくと家康や清正らの偉大さがわかるかもしれませんよ。

    あと、頑張ったのに忘れられている黒田長政さんのことも……

    加藤清正だけでなく、黒田長政も本丸という重要な場所をまかされました。

    天下普請という全国(名古屋城はとくに西日本)の大名が動員されて、持ち場を分担して石垣や堀などの工事をさせられました。

    下の写真は本丸から搦め手馬出しへ行く入り口にある大きな鏡石なのですが、長政がせっせとつくった部分なのに「清正石」と呼ばれています(T_T) 広報力って大事ですね。[/st-kaiwa3]

    説明板にはちゃんと長政の名誉が書かれてます

    通常の観光ルートである正面の南の入り口から天守閣へ行ってしまうと、一番の見どころであるこの加藤清正のやんちゃなイタズラ?を見逃しちゃう恐れがあるので、ぜひ本丸の北西の御深井丸は見逃さないでくださいね。

    名古屋城は台地の縁にたっているため、根本的に「ピサの斜塔」のような運命を背負っているのです。

    江戸時代の大改修や第2次世界大戦の空襲以外にも、近現代になってから地震や嵐などで石垣が崩れたことがあり、石垣が何度も積み直されたことが調査でわかってきました。

    東海地方のみなさんはご存知、名古屋のZIPFMのラジオDJのクリス・グレンさん。ブラタモリでは名古屋編ではなく、岐阜編に登場していたクリスさんは超お城に詳しくて日本語と英語で城や武士文化についての本も出されています。名古屋城で時々、案内をしてくれるツアーなどを開催していますよ。

    空襲で炎上した天守は本丸側に向かって燃えながら倒壊しました。そのため本丸側の石垣は猛火をあびて、石が割れるなど、かなりいたんでいるのです。

    堀底で鹿と電車(廃線)を探そう!

    本丸の堀の中には2頭の鹿が住んでいます。ちなみに2頭ともにメスなので、いずれ消えちゃう運命です(´;ω;`)

    最近は堀底で発掘調査をしているので、どこかに隔離されているみたいで、あまり見ることができません。貴重種です!

     

    ブラタモリ名古屋編では、名古屋城の堀底を電車がかつて走っていたということが紹介されていました。

    名古屋城は、有料エリアは本丸と二ノ丸など二重の堀の内側だけでなく、現在の県庁舎や市庁舎、県図書館などがあるもっと広い三の丸も城内でした。電車が走っていた堀は三重目の堀です。県図書館の南側の堀が終着駅「堀川駅」があった場所です。

    歩くと5分くらいなので、天気がよかったら地下鉄丸ノ内駅を目指して南へ歩いてみてください。
    堀川側まで行けば堀底の深さを見上げることができます。

    ただ、タモリさんが堀底で興奮していたのは、そこではなく、東南角の堀です。
    名古屋城ならではの直角に石垣が折れているところです。
    そこを電車が急カーブしてまがっていったということで、タモリさんはその様子を想像して興奮していたわけですね。

    右が堀底の写真(NHK名古屋放送局ブラタモリ特設HPから)

    こちらは、名古屋城の東側の出入り口(市役所側)から出れば、5分ほどです。三の丸庭園跡の南東側です。堀底には下りられないのでお気をつけください。

     


    おい天
    ねっ!名古屋城って意外と面白いところがたくさんあったでしょ? 「戦後に再興された天守閣なんて」とか思い込まずに、歴史ファンは行ってみたらぜったいにたくさん発見がありますよ。お城においでよ!

     

    【名古屋城の立地のおさらい】

    名古屋城は 名古屋(熱田)台地と呼ばれる名古屋の中心に南北に逆三角形のような形で伸びる台地の北の端っこに位置しています。

    城下町はこの名古屋城を頭に、南に広がる台地の上に広がっています。
    城の直線的な設計と同じようにほぼ綺麗な南北東西の街路で区切られた碁盤目状の城下町「碁盤割」が新しく作られたのです。

    これが今の名古屋の中心部の基礎となっています。

    現在の名古屋駅から名古屋城は歩いて行くにはちょっと離れています。

    これは名古屋駅が明治時代に東海道本線の駅として出来る際、元々は 名古屋を通過する予定だったからなんですね。
    (東京と神戸を結ぶ路線は東海道ではなく中仙道ルートが計画されていたため)

    そのため、城下町から離れた沼地に線路が引かれました。

    現在、最大の繁華街は、この名古屋駅(地元の人は略して名駅と言います)と、城下町の東南にある栄。この二つです。
    名古屋城のある台地の北側は愛知県庁や 名古屋市役所などが並ぶ官庁街となっています。

    名古屋城への行き方まとめ

    ・名古屋城への入り口は2か所あります。メインの正門は南西(名古屋駅寄り)。サブは南東(市役所寄り)です。

    【車の場合】
    両方の入り口に有料駐車場があります。
    ふつうは正面のほうに行くといいです。

    【電車やバスの場合】

    地下鉄
    名城線 「市役所」 下車 7番出口より徒歩 5分【*サブ入り口側】(名古屋駅から栄乗り換えで240円)
    鶴舞線 「浅間町」 下車 1番出口より徒歩12分【*メイン入り口側】(名古屋駅から伏見乗り換えで200円)

    なのですが!名城線も鶴舞線も名古屋駅からは乗り換えが必要なので、地下鉄よりも市バス(観光ルートバス「メーグル」)のほうが目の前に停まって早いし、値段も10円しか変わらないか、むしろ安いので断然オススメ。(メーグルは月曜運休なので気をつけてね)

    名古屋駅は「迷駅」との別名もあり、また市バスのターミナルが2017年に変わったばかりなので、地元の人に聞いても古い間違った場所を案内されるかもしれないのが要注意!

    名古屋駅から名古屋城(徳川美術館)へのバスの乗り方を写真つきで細かくまとめて、解説していますので、行かれる際は一度目を通してみてくださいね。

    名古屋駅から徳川美術館(*名古屋城)行きのバスの乗り方 (天下人の城展応援団ブログへ)

    市バス
    栄13号系統(栄~安井町西) 「名古屋城正門前」
    なごや観光ルートバス「メーグル」(同じく市バス)

    えっ? ところで「おい天ちゃん」、あなたは誰?ですって?

    ご挨拶が遅れました。

    2017年夏、全国のお城好きに圧倒的な支持を集めた徳川美術館「天下人の城展(リンク先は応援団ブログ)」。
    その応援団によって産み出された期間限定の「おいでよ天下人の城展」、略して「おい天ちゃん」です!

    「正面奇襲説」がよくわかる桶狭間現地リポート!【マンガ解説付き】

    【漫画ルポ】天下人の城のオリジン!小牧山城へ徳川美術館の前後に行ってみよう!(リンク先は天下人の城展応援団ブログ)
    会期の終了とともに、惜しまれながら消えていったのですが、極一部の方の猛烈な自薦や他薦によって「おいでよ天下人の城」、略して「おい天ちゃん」(同じ)として蘇りました!

    これから不定期で、漫画家の小久ヒロさんを全国のお城などに連れ出すことができたら、また登場させていただきます!よろしくね!
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    マンガ:小久ヒロ
    文章・写真(一部):おい天
    取材協力:千田嘉博、クリス・グレン、966

    名古屋城公式HPはこちら

     

     

    以下は、名古屋城のデータです。(天下人の城展応援団ブログから)

    名称 名古屋城
    築城 慶長14年(1609)
    スタイル 平城
    城主 今川氏豊(尾張今川氏)→織田信秀織田信長徳川義直(尾張徳川家)
    歴史 名古屋城の前身である那古野城は、応永年間(1521〜28)、今川氏親によって築かれたとされ、尾張今川氏の城であったが、天文7年(1538)に織田信秀が城を乗っ取り、勝幡城から那古野城へ、その居城を移している。 (この時の那古野城の中心は、現在の名古屋城二の丸あたりにあったとされていて、説明板が立てられている)
    特長  その後、那古野城は嫡男・信長に譲られるが、信長が清須城へ拠点を移すと、徐々に存在意義を失い、天正10年(1582)に一時廃城となる。
    それから約30年後の慶長14年(1609)、徳川家康によって清須に代わる尾張の中心地として、同地に現在の名古屋城が築かれる。
     この時の築城は、主に外様大名による天下普請によって行われ、有名な加藤清正による天守台の普請をはじめ、各所普請が大名の力量や石高によって丁場が割り当てられた。(この時に、大名達が各地から切り出し、運び込んだ石垣の石材には、どの大名のものか、どの作業グループのものかを表す、刻印と呼ばれる様々なマークや字などが刻まれていて、どの大名がどこを受け持ったのかが判る目印しになっている。
    この刻印を見て回るのも、名古屋城をまわる楽しみにもなっている)天守や御殿などの作事は幕府によって進められ、天守は延べ床面積で、江戸城や(徳川)大坂城を上回る巨大なものが建てられた。
    また、清須城からの移築と伝わる御深井丸・西北隅櫓(清洲櫓)は、三重天守級の大きさで、現存では最大の隅櫓である。
    縄張りでは、本丸虎口に枡形虎口と角馬出しを合わせる最強の形を採用しただけでなく、それに続く曲輪(西の丸や御深井丸)が、中の曲輪の馬出しとして機能する様に配置され、更に鉄壁の守りを作り出している。
    こうして、当時考えられる最強の形を取りながらも曲輪面積は方形に広く取られており、藩としての政庁機能や居住スペースである御殿が無理なく曲輪内に収まっている(同時に広く取られた曲輪は、戦時の増援部隊の駐屯も可能にしている)など、近世城郭として、最強・最高の城といえる。
     このようにして築かれた名古屋城は、家康9男の義直が入り、尾張徳川家の居城となり幕末まで存続する。明治以降も各地の城が廃城令で取り壊される中、名古屋城は天守や御殿など、本丸を中心に多くの建物や城域が残される事になったが、太平洋戦争の空襲により、惜しくも天守や御殿など多くの貴重な建物が焼失した。
    焼失をまぬがれ現存する建物として、本丸の東南隅櫓・西南隅櫓・表ニの門、東ニの門跡へ移築された旧ニの丸東ニの門。 御深井丸の西北隅櫓(清洲櫓) ニの丸大手ニの門などが遺されている。
    城域内の遺構も、名城公園として保護された本丸、ニの丸だけでなく、官庁街となっている三の丸まで土塁や堀が非常に良く遺っており、名古屋城の規模を感じる事が出来る。
    この名古屋城には、金城温古録など江戸時代に書かれた資料や、焼失前の図面や写真が遺されている事、戦争時に御殿内建具が疎開をされていて無事であった事などなど、奇跡的なほど資料が豊富に遺されている。
    この事から本丸御殿の復元が平成18年度より進められ、平成30年に完成する予定となっている。
    戦後に鉄筋コンクリートによって外観復興された現天守閣も、耐用年数、耐震不足などの問題から木造天守への建て替えが検討されている。
     (天守閣へ登城される方には、是非、加藤清正が築いた本物の天守台にも目を向けて貰いたい。天守閣への登り口付近の石垣は、天守焼失時の熱によって、焼けてボロボロになっているのが判る。石垣の孕みだけでなく、石材そのものにもダメージを残したまま、天守の建て替えを優先して行うのが正しい方法なのか、天守台の横に立ってそれぞれ考えてみてはどうだろう)
    入場時間:料金  午前9時~午後4時30分 ただし、天守閣・本丸御殿へのご入場は午後4時まで観覧料:大人 500円
    名古屋市内高齢者
     (名古屋市内在住の65歳以上の方。住所、年齢及び本人であることを確認できる書類を持参してください。例:名古屋市発行敬老手帳、運転免許証、パスポート等)100円 中学生以下 無料
    問い合わせ、参考 問い合わせ:名古屋城公式ウェブサイト 参考:http://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/

    データまとめ:るーちん



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