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お城野郎! 武田・上杉家

第五次川中島の戦いは… 地味どころか関東・越中も巻き込んだ壮大な大戦(おおいくさ)!?

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戦国大名の戦略・領地展開は【城】から分析するとわかりやすい――。

そんなテーマで進めている【シリーズ戦国大名の城! 武田信玄・川中島の戦い編】も、激戦の第4回が終わり、今回でラストとなりました。

激しかった4回目に比べ、5回目は一般的に戦国ファンの血を熱くはさせてくれないイメージがありますが、合戦の天才同士がぶつかり合っておいてそれはありません。

むしろその背景には、北条家も含めた数々の思惑が渦巻いており、現代人の脳髄を刺激すること間違いなし!

では、早速、本題へ。最後の川中島は、関東や越中も含めた壮大なストーリーに紡がれておりました。

※第4回川中島の戦い詳細は・・・
戦国史上最大の合戦! 【第4回川中島の戦い】は武田・上杉の城戦略から諸説の真贋が見えてくる ◆お城野郎!

 

「謙信の留守を狙え」戦略がついにマルチタスク化!

はからずも激戦となってしまった前回の第4回川中島の戦いを終えて、厭戦気分でちょっと休憩・・・と思いきや武田信玄は怒涛の攻勢に出ます。

2ヶ月後には西上野(群馬県西部)に侵攻。次の年には北条氏康の武蔵(埼玉県)、松山城攻めに援軍を出したかと思うと、上杉謙信の北信濃最大の拠点「飯山城」を攻めに長沼城から出陣しますが、謙信が関東から越後に戻ったとの知らせを受けて信玄はあっさりと撤兵します。

「謙信の留守を狙え」戦略はまだまだ健在です。

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第5回川中島の戦いの前哨戦。長沼城が武田方の最前線の城なのが分かりますね/©2015Google,ZENRIN

 

そして永禄7年(1564年)、上杉謙信が越後を留守にしたスキを狙って、今度は会津(福島県)黒川城主、蘆名盛氏に越後を北から攻めるように要請。自らは川中島を越えて野尻湖方面に進入し、野尻城(のじりじょう)を落城させてから越後国境に迫ります。

しかし、これも電光石火の早業で越後に戻った上杉謙信によって、蘆名盛氏は撃退され、反転して野尻城も奪還されます。

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黒川城は現在の若松城(鶴ヶ城)です。こんな遠くから信玄は壮大な「釣り」を仕掛けました/©2015Google,ZENRIN

 

この時も武田方は既に兵を撤収していました。

そして、ほぼ同時期に信玄は、飛騨(岐阜県北部)の国人同士のいさかいに介入。飛騨から越中(富山県)を抜けて越後に侵入する動きを見せます。しかしこの動きはさすがに謙信に見破られて計画は頓挫しました。

越後の北から南までさんざん信玄に振り回された上杉謙信は、ついにブチ切れて川中島への出陣を決心――。というのが、第5回川中島の戦いまでの流れです。

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信玄の越中侵攻構想。飛騨方面は馬場信房(馬場信春)が担当しました/©2015Google,ZENRIN

 

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もしかしてだけど~♪ 俺様がちょっかい出さなければ…♪

第4回の川中島の戦いなどなかったかのような直後からの慌ただしさですね。

本当は川中島で激戦なんてなかったんじゃなかろうかという説もあるほど、武田信玄と上杉謙信の行動範囲が年々拡大しています。

そして武田信玄には「謙信の留守を狙え」という基本戦略がいまだ生きております。というか、より大掛かりに福島県から岐阜県まで、使えるものはなんでも使う、しかも同時進行で、というマルチタスクに進化しています。

「信長の野望」がターン制から一枚マップのリアルタイム制になったくらいの進化です。そして信玄は気付きます。

「もしかしてだけど~♪ もしかしてだけど~♪ 俺様がちょっかい出さなければ、謙信はずっと留守なんじゃないの~♪」

それでは第5回川中島の戦いまでの経緯を詳しく見ていきましょう。

 

上杉謙信 関東の抗争にのめり込む(引きずり込まれる)

永禄4年(1561年)初頭に関東管領に就任した上杉謙信ですが、その直後に川中島で激戦を交わした後は、ほとんどすべてを関東での戦に時間も戦費も費やします。

一説によると、謙信の関東管領就任は、謙信を関東地方に目を向けさせるために、上杉憲政(関東より逃亡した前関東管領)が巧みに仕組んだシナリオだと言われています。

もう関東管領職を背負う気力もカネもないというイメージの上杉憲政ですが、実は京都を追われた後の足利義昭並みに野望を抱いていたとみる説も存在します。謙信の武力をバックに、ふんぞり返っていただけかもしれませんけどね。

さて上杉謙信は三国峠を越えてここから毎年のように関東へ出陣します。

その進路は三国峠→沼田城→長井坂城→白井城→厩橋城と、峠を越えた後は利根川の東側の城に沿って進軍。上杉謙信の目的は関東管領として関東で影響力を行使することです。その関東での拠点を、今の群馬県前橋市にある「厩橋城(うまやばしじょう)」に置きます。

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坂東太郎の利根川岸に築城って自殺行為っしょ!

厩橋城は、「箕輪城(みのわじょう)」の支城の一つとして、利根川の東側に寄り添うようにして築城された平城です。

坂東太郎の異名を持つ暴れ川「利根川」の岸に築城するなど自殺行為に近いのですが、おそらく水運の利権などを管理していたのでしょう。この時代に利根川のような大河の岸に築城された城は、水運利権や「渡し」の管理が目的として設置されたものがほとんどです。

江戸時代には前橋藩の「前橋城」となり、気まぐれに氾濫する利根川に侵食され破壊が凄まじかったと言われています。それでも城の修繕は幕府に許されず、幕末に外国船が日本にやってくるようになり江戸城の備えが必要となって、ようやく城の修繕が認められるという苦労人な城でもあります。

しかし城マニアにとって悲惨なことに、利根川の相次ぐ氾濫と、幕末の修繕によって「厩橋城」時代の遺構はすっかり消えてしまい現在も開発が著しく、上杉謙信時代の名残はさっぱりないという残念な状態になっています。




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しかし真の城マニアはそこでうろたえません。悠久の年月を経ても変わらない利根川の流れを見るだけで、厩橋城を妄想できてこそ真の城マニアです。・・・おっとあっちの世界にイってしまいました。ていうか、川中島はどこへいったんだ!?

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