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まんが神詠み國詠み

神武天皇の即位日は2月11日ではなくて元日だった【マンガ古事記「神詠み國詠み」21回】

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イワレ彦は無事に奈良盆地へ入り、初代の天皇に即位しました。神武天皇です。

明治時代になって、日本は諸外国よりもすごいとアピールしたい政治家たちにより、日本の国家の誕生日を作ろうということで、神武天皇が即位した年月日を紀元前660年2月11日として、現在も2月11日の建国記念日として祝日になっています。
口承ゆえにストーリーの流れを重視する古事記では、この年月日を明らかにするヒントは記されていません。

一方、それを記したのが古事記とほぼ同じころに編纂された、こちらは日本政府公式の歴史書「日本書紀」です。そこには「辛酉年の1月1日」と明記されています。
辛酉の年は60年に一度あるので、そこはまあ「紀元前660年」でも「600年でも」好きに比定できるのですが、お正月にあった即位を2月11日にまでひっぱるのは旧暦と新暦の差が約1か月あるからですが、もしも1月1日が建国記念日だと、子供たちも休みにならずにみんなブーブーだったかもしれませんね。

 

 

古事記21回1page

 

さて、神武天皇には九州時代にすでに結婚しており、その妻との間にタギシミミら2人の息子がいました。
ほかからやってきた神武はヤマトの地で即位しましたが、この地の新たな王として、現地の有力な女性を正妻としてめとることで、権力基盤を強化する必要がありました。それが奈良盆地で最大・最強の聖地である三輪山の神の娘のイスケヨリ姫です。

彼女が生まれた経緯は、彼女の母がトイレにいったときに三輪山の神にいきなり襲われて結果、身ごもるという、完全な性犯罪状態なのですが神様のされることなのでご了承ください。
ともかく、三輪山の子として育てられたお姫さまを正妻(皇后)として神武は迎え、そこに3人の息子ができました。

ところが神武が死んだあとに、まだ若かったのでしょう、神武の長男であるタギシミミがイスケヨリ姫と結婚します。つまりお父さんの若い後妻と結婚していますという同人誌のような展開になります。このことは古代では実際にある結婚パターンのようですが、事実上、タギシミミは2代目の天皇だった可能性が高いでしょう。

古代の天皇の即位順のルールは、現代のように長男ではなく、兄弟間で年齢順にまわしていくのが原則です。

ですからタギシミミの場合、自分のあとは弟たちが天皇位についていくことになります。自分の子供にすぐに天皇位を譲ることはできないのです。そこで、「じゃあ、弟たちがいなければいいではないか」と短絡的に思いついたのですが、弟たちの実の母であるイスケヨリ姫にばれてしまいます。

この時点で3兄弟の長男はもしかしたら他界していたのでしょうが、ともかく次男と三男が異母兄で義理の父のタギシミミを暗殺しようとします。
最初は兄が切りかかろうとしますがガクブルになってしまい、かわって三男がタギシミミを倒しました。

こうして、二代目の天皇綏靖(すいぜい)天皇は、初代の神武がそうであったように、末弟なのでした。

古事記21回2page

恵美嘉樹・文

細田雪華・マンガ

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