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おんな城主直虎特集 井伊家

『井伊家発祥の井戸、そして志津城へ』 おんな城主直虎ゆかりの地を歩く~直虎紀行 壱の巻

更新日:

 

【編集部より】
当記事は、2017年大河ドラマ『おんな城主 井伊直虎』にゆかりの深い史跡やスポットをめぐる紀行文です。
著者は地元浜松の歴史研究家。
先に、「井伊直虎の生涯」についての記事を公開しておりますので、そちらをご覧の上、当紀行文をお読みいただければ、より一層お楽しみいただけると思われます。
ご一読よろしくお願いします。

【本文ここから】
まずは一枚の写真をご覧いただきたい。

井伊直虎紀行12

左手前に小さな集落があり、家々の中心を走る道路を上手へたどっていくと、道は途中で右手に折れて、目の前には水田が広がる。
と、そのすぐ向こうにそびえる小さな山。深い緑に包まれ、こんもりと少し特徴的なカタチをしているものの、日本全国どこにでもある小山と言われれば確かにその通りでもあり、何の気なしに眺めていれば誰も気に留めはしないだろう。

この小山は、井伊谷(いいのや・静岡県浜松市)の南端にある「坂田山」である。
南北朝時代には「坂田砦」が築かれ集落の玄関口となっていたが、今回注目して欲しいのは、この一枚を切り取った撮影場所だ。
カメラを構えていたのは、坂田山を見下ろす位置に建てられた「井伊谷城」(城山城)。2017年大河ドラマ、『おんな城主 井伊直虎』の居城跡である。

カメラを構えていた井伊谷城(城山城)

カメラを構えていた井伊谷城(城山城)。この山頂から上の一枚を撮影した

 

徳川四天王にして彦根藩祖でもある井伊直政。その後見人だった井伊直虎が、かつて女地頭として治めていた静岡県浜松市の井伊谷は今静かな田園地帯となっている。

この地で600年の歴史を築いてきた名門・井伊家。

「井伊谷城」(城山城)から見える井伊家領地の周囲は、その名の通り山に囲まれた「谷」であるが、例えば浜松から国境の山(弓張山地とも湖西連峰とも)を登り、中山峠を越えた所にある西郷局(徳川秀忠の母)ゆかりの地「西郷谷」と比べても規模が広く土地が豊かであるのは、周囲を流れる井伊谷川と神宮寺川のおかげであろう。

「井伊谷(いいのや)」は、もともと「渭伊郷(いいのさと)にある谷」のことで、「井ノ谷(いのや)」ともいう。古文書には、「井伊氏」のことを「井氏」と表示しているものもあり、「井伊谷」を「井伊保」つまり井伊荘、井伊領と同義で使うことも多い。

 

五百年前に井伊氏が建てた龍泰寺(現・龍潭寺)

ここでもう一度だけ写真を確認していただきたい。

井伊直虎紀行12

先ほどご説明したように、上部に見える小山は井伊谷南端の出入口「坂田山」で、南北朝時代には「坂田砦」が築かれ、さらに山麓には岡氏の居館があった。岡家は井伊家の庶子家であり、戦国時代の当主は岡直春である。

現在、坂田砦跡には稲荷社が建てられ、山名は「稲荷山」に変わり、岡氏居館跡はミカン畑となっている。しかし、「坂田」という地名は残っており、里の風景が変われど地名が歴史の生き証人であることを再認識させてくれるであろう。

この井伊谷の様子を眺める井伊谷城と坂田砦の中間の杜に、後醍醐天皇の御子・宗良親王を祀る「井伊谷宮」がある。明治3年(1870)創建で、「南朝関係十五神社」(建武中興十五社)の一社。さらにその付近に鎮座するのが、井伊直虎と最も縁が深い寺である「龍潭寺(りょうたんじ)」だ。

そもそも、この杜には井伊谷八幡宮(井伊八幡宮)があったが、南北朝時代に式内渭伊(いい)神社に合祀され、龍潭寺砦という砦が築かれた。井伊谷城(城山城)と坂田砦、両拠点を結ぶための「繋ぎ」として作られたという。

 

井伊谷城を下山し、龍潭寺へ。

井伊直虎紀行2

参道の案内板には次のようなことが記されている。

「この寺域はもと井伊八幡宮の境内でしたが、五百年前井伊氏がこの地に龍泰寺(現龍潭寺)を造営しました。龍潭寺は井伊城南の守り砦の役目を果たしてきた歴史があります。この参道石垣に小規模ながら城郭造りの跡が残されています」

前回の記事【井伊直虎の生涯まとめ】でも記したように、龍潭寺は武田信玄(正確には山県昌景の赤備え)によって一度焼き払われており、この山門(静岡県指定有形文化財)は、井伊直孝が明暦2年(1656)に寄進したものである。

この場所から来た道を振り返ると、参道は県道320号引佐舘山寺線とぶつかってT字路となっている。

井伊直虎紀行3

白い車が駐車している家で道が途切れてT字路になっている

かつて参道は、この先へと続いていた。

なぜクドクドこんな説明を申し上げるかというと、この住宅の裏手に回って参道の延長線上へ行くと、非常に特徴的な遺構と出会えるからである。

井伊直虎紀行4

白壁に囲まれたコチラの建造物は何なのか、ご想像つくであろうか?

井戸である。

井伊谷はその地名から察することができるように井戸が多い。

信州・諏訪湖と繋がっている――という伝説のある「鰻井戸」や、遠州七不思議に数えられる「柳井戸」。現在でこそ埋め立てられてしまったが、柳井戸は井戸端に柳が植えられてもいないのに、「中を覗くと水面に柳が映り、祟られる」との言い伝えがある。

さほどに井戸にまつわる話が多い井伊谷であるが、何を隠そう、この白壁で囲まれた井戸も「井伊共保公出生の井」であり、井伊初代共保(ともやす)が生まれた場所でもあるのだ。

───井伊家千年史の「井伊谷(遠江井伊氏)六百年、彦根(近江井伊氏)四百年」もすべてはこの井戸から始まった。

そう思うと感慨深いが、更に説明を付け加えると、この井戸はかつて龍潭寺の敷地内にあり、井戸の前には下馬の石が置かれていたという。井戸の前を通る時は、馬上の武士も馬から降りて一礼してから通り過ぎ、江戸時代になって井伊谷近藤氏の領となると、下馬の石は山門前に移された。

 

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井伊家を遡ると藤原共資に!?

では、井戸に近づいてみることとしよう。

井伊直虎紀行8

門の部分には「井の国千年記念」の石碑が建てられている。

井伊共保誕生の1010年から1000年後にあたる2010年に建てられ、井伊家の家紋「丸に橘(彦根橘)」と旗紋・幕紋「細平井筒」が彫られたている。この門をくぐると中央に石碑があり、その左手には2006年5月20日に彦根から移植した橘が、さらに左手に向かうと井戸にあたる。

井伊初代共保が生まれた井戸のことで、誕生譚には数多のバリエーションがある。

中でも代表的な伝説が、

「井伊共保は、井伊谷八幡宮の御手洗の井戸から生まれた八幡神の化身である」
「井戸から人が生まれるとは科学的に有り得ない。井伊共保は、井戸端に捨てられていたのだ」

という、ロマンと現実、両極端なものである。

家紋「井筒に橘」(後に橘と井筒に分離)についても、

「生まれた井戸と、井戸端の橘を組み合わせて家紋とした」
「生まれた井戸の井戸桁に橘の実が置いてあったので、産衣に橘の絵を描いた」

と諸説ある。

 

井戸から離れて、今度は中央の石碑に目を移そう。

こちらは「安政の大獄」「桜田門外の変」などで知られる36代井伊直弼がこの地を訪れた際に詠んだ歌の歌碑である。

井伊直虎紀行9

王(わ)き以(い)徒(つ)る岩井の水能(の)そこ清ミ
くもり那(な)き世乃影そ見えつゝ

祖先である井伊氏発祥の地を訪れた井伊直弼は何を思ったのか。

中央の石碑に目線を移すと

井伊直虎紀行10

中央に「井伊氏祖備中守藤原共保出生之井」
右に「八幡宮」、左に「御手洗」

と彫られていた。

「井伊共保ではなく、藤原共保?」
「八幡宮の御手洗の井戸から現れた子が藤原氏?」

なぜ突然藤原氏の名前が出てくるのであろうか。疑問に思った私は、これまた浜松にある藤原共資の居城・志津城へ向かうことにした。

 

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浜名湖国際頭脳センターの前にある「志津城」

志津城は龍潭寺から車で30分ほどの距離にある。

浜名湖花博(2004)の会場(現在の浜名湖ガーデンパーク)の北、浜名湖国際頭脳センターの前にある城山で、山麓につくと「志津古城趾」碑と案内板が立っている。

井伊直虎紀行19

城跡への登山口は、まるで秘密基地の入口。

女の身からすれば怖さが先にたつが、地元の古老たちに話を聞くと、この辺は「子供の頃、よく遊んだ」というスポットらしい。

なるほど男の子たちにとっては好奇心を刺激される雰囲気が漂っている。

井伊直虎紀行20

登山道は、左側が土手、右側が崖であり、恐る恐る崖の下を覗いてみると、腰曲輪のような人工的な平削地があった(※振り返って撮影したため写真は左側が崖になっている)。

辺りは仄暗い。

が、木漏れ日が程よく道を照らしてくれるため、照明など無くても十分に歩ける。地面も綺麗に整備されてはいるが、石段ではないため雨の日には滑りそうだ。

 

井伊直虎紀行22

低山なので、山頂へは徒歩で数分。
頂につくと、そこには日蓮堂(通称「日蓮さま」)が建っていた。

井伊直虎紀行26

お堂の中には団扇太鼓や家系図が残されていた。
天津児屋根命(あめのこやねのみこと)に始まり、藤原氏、井伊氏と継いで、貫名氏の藥王丸で終わっている。

藥王丸とは、日蓮の幼名だ。

出自には諸説ある日蓮だが、中には井伊氏を系譜する貫名氏とするものがある。井伊6代盛直の三男・政直が貫名郷(静岡県袋井市)に住して「貫名氏」と名乗り、政直から数えて四代目の貫名重忠の子・藥王丸(日蓮)が、配流先の小湊(現在の千葉県鴨川市)で生まれたというもの。そう言えば日蓮宗の寺紋も「平井筒に橘」だ。

 

天正16年(1588年)4月、豊臣秀吉の聚楽第御幸の際、徳川家康のお供として井伊直政は聚楽第に出向いた。その時、官位を勧められた直政は、次のように答えたという。

「井伊家は大織冠の末葉なれば、近衛、九条の家筋なり。「諸大夫」は公家衆家来に多く有之官位なれば、当前直政公「諸太夫」に成申候えば末代家のきず、一家の為にも不宜。一向に無位・無官は手づかず官位にのぼる程ならば、「侍従」は格別。「諸太夫」杯は辞退可致」(『井伊家伝記』より)

簡単に訳すと「井伊家は大織冠藤原鎌足の子孫であるから、徳川家の他の家臣のように「諸太夫」であれば辞退するが、「侍従」であればお受け致す」の意味となる。

このとき井伊家は、近衛家や九条家同様、藤原氏であることが認知され、公家と考えれば源氏出身の武士よりも叙位しやすかったのであろうか、直政は「侍従」に任官されて徳川家中で最も高い格式の重臣となり、「井侍従藤原直政」と署名した。

 

お堂には、御山塚古墳の出土品の写真もあった。

井伊直虎紀行27

剣以外の出土品は、東京国立博物館にあるようだ。

では剣だけはここに保管されたのかと言ったらそうではなく、発掘者たちの周囲で次々に不幸が起き、「祟りだ」として土中に埋め戻されたという。

さらにお堂の裏側に回ると、そこには比較的新しい墓石も。

石面に掘られた文字を読み解けば「日蓮大聖人御遠祖 村櫛村開創者 藤原備中守共資公之墓」とある。

井伊直虎紀行21

ココに来てようやく出てきた藤原氏の名前。いったい藤原備中守共資とは何者なのか。

調べてみれば、その歴史は平安時代まで遡ることがわかった。ざっと著すと……。

共資は、巡検使として遠江国に赴任すると、その働きぶりが認められて、遠江介となった。国司のうち「守(もり)」に次ぐ次官の「介(すけ)」である。
正暦4年(993)、共資は33歳で任期を終えたが、志津鼻に居館を建てて土着。以来、遠江介の任は井伊氏が歴任したので、鎌倉時代には「井伊介」と呼ばれて「日本八介」に加えられ、全国にその名を響かす御家人となった。
この藤原共資の子が、橘の脇の井戸から生まれた藤原共保で、村櫛から育てられた井伊谷に戻り、「井伊共保」と名乗った。

すなわち井伊家の創始である。

この井伊共保については、村櫛では「藤原共資の実子」と伝わっているが、養子説もある。
実子説は、「生まれた子を一度捨ててから拾う風習」によるもので、「厄を落とす」や、「捨て子は育つ」 の願いを込めて、形式上実子を1度捨てて拾うところに由来する。この儀式のため、井戸端に一度捨てたという説である。余談になるが、豊臣秀吉53歳の時の子(後の豊臣秀頼)も、この風俗・習慣にちなんで「捨」(「棄」とも)と名付けたという。

養子説は、「井戸から生まれた六歳の神童がいる」という噂を聞いた藤原共資が会ってみると、容姿端麗で、頭脳明晰であったので、養子(娘の婿)として藤原家を継がせたという話である。

藤原家の養子であるから、婿にもそれなりの身分が求められたが、共保の実の親は、井伊荘の荘司として都から下向して土着した三宅氏という言い伝え。三宅氏は、日本に橘をもたらした「多遅摩毛理(たぢまもり)」の子孫で、その家紋は橘であった。

ちなみに、実子説の根拠となっている「捨てて拾う」というのは、「捨ててすぐに拾う」という風俗・習慣で、捨てる期間は一瞬という形式的なものである。ところが、共保の場合は、6年間も捨てられたままであったので、「捨てた」というより、「育ててもらった」と考えられる。

古代天皇は、子供が生まれると豪族に預けたという。たとえば、反正天皇は、産湯の井戸の横に多遅の花が咲き、歯が綺麗に生えていたことから「多遅比瑞歯別尊」(たじひのみずはわけのみこと)と名付けられ、河内国の丹比氏が壬生部(乳部)となって養育している。多遅比瑞歯別尊は天皇に即位すると、都を幼少の頃を過ごした河内国に遷し、「丹比柴籬宮」(たじひのしばかきのみや)と名付けた。河内国に宮が造営されたのは国史上初のことである。

ただし、実子説も養子説も、どちらも現実的には考えにくい。

というのも、井伊共保が生まれたのは寛弘7年(1010)で、このとき藤原共資は50歳と、当時にしてはかなりの高齢である。また、養子にしても、結婚適齢期の未婚の娘がいる年には思えない。孫なら分かるが。

日蓮の親が貫名重忠である理由を「当時、小湊にいた最も身分の高い人物だから」とする説がある。

井伊共保の父親が藤原共資である理由も、実はこれと同様の考え方からなのかもしれない。日蓮には天皇の御落胤説もあるが、井伊直政にも徳川家康の御落胤説がある。徳川家康の切腹した長男(信康)と直政は、顔や体格、さらに、性格までもが似ていたという。

井伊直虎紀行13

なお、志津城址の日蓮堂を管理しているのが、村櫛山共正寺である。

寺名は、藤原共資の「共」と立正大師(日蓮)の「正」で共正寺と名付けられた。写真の説明書きにある「御山塚・九九〇年」は藤原共資の墓ではなく、古墳時代の古墳であり、990年は、亡くなられた年ではなく、赴任された年だ。

 

話を城に戻そう。

井伊直虎紀行17

志津城は、「志津鼻」と呼ばれる島山(岬)に建てられた城であるが、山を削って浜名湖を埋め立てたため、今は湖岸から少し離れた位置にある。

腰曲輪に見えた人工地形も、土を削り取った跡で、城の遺構は何も残っていない。少し残念だ。

井伊直虎紀行25

「志津古城趾」碑には次のような文字が刻まれている。

「志津城は其の昔志津三郎の築し処にして正暦元年藤原共資公勅命を奉じ当地に下り此の地に居住し遠江国司として此の地方を治む嗣共保井伊城に移り八代日蓮上人其の中より出づ」

志津三郎兼吉は、新津(浜松市中区新津町)に住んでいた刀工だ。浜松市最大のイベント「浜松まつり」の新津町の法被には刀の鍔が描かれているほどで、同祭りは毎年5月3・4・5日に行われる。今年も間もなくその季節だ。

そのうち、日中に行われる中田島砂丘での「凧揚げ合戦」と、夜の市街地での「御殿屋台の引き回し」で全国的には有名で、戦国時代に引馬城主が始めたと伝えられている凧揚げの初日には、年を象徴する凧が揚げられる。

今年(2016年)は、赤字に黄色の井筒、そして白い文字で「女城主井伊直虎」と記された凧が大空に舞い上がる予定だ。

 

おんな城主直虎 登場人物の史実解説&キャスト!

井伊直虎(柴咲コウさん)
井伊直盛(杉本哲太さん)
新野千賀(財前直見さん)
井伊直平(前田吟さん)
南渓和尚(小林薫さん)
井伊直親(三浦春馬さん)
小野政次(高橋一生さん)
しの(貫地谷しほりさん)
瀬戸方久(ムロツヨシさん)
井伊直満(宇梶剛士さん)
小野政直(吹越満さん)
新野左馬助(苅谷俊介さん)
奥山朝利(でんでんさん)
中野直由(筧利夫さん)
龍宮小僧(ナレ・中村梅雀さん)
今川義元(春風亭昇太さん)
今川氏真(尾上松也さん)
織田信長(市川海老蔵さん)
寿桂尼(浅丘ルリ子さん)
竹千代(徳川家康・阿部サダヲさん)
築山殿(瀬名姫)(菜々緒さん)
井伊直政(菅田将暉さん)
傑山宗俊(市原隼人さん)
番外編 井伊直虎男性説
昊天宗建(小松和重さん)
佐名と関口親永(花總まりさん)
高瀬姫(高橋ひかるさん)
松下常慶(和田正人さん)
松下清景
今村藤七郎(芹澤興人さん)
㉙僧・守源

 

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著者:戦国未来
戦国史と古代史に興味を持ち、お城や神社巡りを趣味とする浜松在住の歴史研究家。
モットーは「本を読むだけじゃ物足りない。現地へ行きたい」行動派。今後、全31回予定で「おんな城主 直虎 人物事典」を連載する。

自らも電子書籍を発行しており、代表作は『遠江井伊氏』『井伊直虎入門』『井伊直虎の十大秘密』の“直虎三部作”など。
公式サイトは「Sengoku Mirai’s 直虎の城」
https://naotora.amebaownd.com/
Sengoku Mirai s 直虎の城

 





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わろてんか伊能栞
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注目! 史実の井伊直虎とは?





井伊家 井伊直虎 井伊直政 小野政次 龍雲丸
織田家 織田信長 濃姫 織田信忠 織田信雄 織田信孝 三法師 平手政秀
徳川家 徳川家康 結城秀康 徳川秀忠 松平信康 酒井忠次 榊原康政 本多正信 水野勝成
豊臣家 豊臣秀吉 豊臣秀長 豊臣秀次 福島正則 加藤清正 豊臣秀頼
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最上家 最上義光 鮭延秀綱 山形城 大宝寺義氏 山野辺義忠
毛利家 毛利元就 毛利隆元 吉川元春 小早川隆景 毛利秀元 陶晴賢
島津家 島津義弘 島津の退き口
真田家 真田幸村 真田信之
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