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おんな城主直虎特集 井伊家

『城山城と三岳城の険しき道』 おんな城主直虎ゆかりの地を歩く~直虎紀行 肆の巻

更新日:

 

2017年大河ドラマの主人公でもある井伊直虎

彼女の足跡を自らの足で辿ってみよう!という当企画、今回(vol.4)のテーマは直虎の居『城 』である。

井伊直虎ゆかりの「井伊谷(いいのや)」は、文字通り谷であり、周囲は山。

井伊谷宮の門前から見た城山

こちらの写真は、井伊谷宮の前から北を撮った一枚で、この道は引佐協働センターへと続き 、そこで途絶える。

そして、この引佐協働センターの裏手にある秀麗な山が、井伊谷の北の端で、井伊谷城(城山城)のある城山だ。

 

引佐協働センター

「引佐協働センター」は、浜松市との合併前は「引佐町役場」であった。直虎の時代も、そして今も、井伊谷は引佐の中心である。

ちなみに古代は、井伊谷川と都田川が合流する引佐細江の井通遺跡(引佐郡衙跡)が中心であったが、井伊共保(いいともやす)の登場以来、井伊谷が中心地となったという。

 

城山二号墳

話を古墳時代までさかのぼってみると、引佐協働センター裏には「城山古墳群」があり、直径10m以上の少し大きめの円墳が7基確認されている。

平成3年(1991)の城山二号墳の発掘調査では、勾玉、ガラス製丸玉、須恵器などが出土。墳墓は東西方向に3基と4基が並んでいて、この2列の間は現在ミカン畑になっている。三ヶ日町では数百基の古墳がならされてミカン畑になったという話を思い出した。

明治18年(1885)の調査報告書『井伊谷古城見聞筆記』(『宗良親王事跡雑記』所収)では「火穴(ひあな)」とよばれる巨大な石室があり、宗良親王の墓と伝えられているとある(今は存在しない)。

ちなみに、静岡県と愛知県の県境周辺(浜名湖北岸~東三河)では、露出した横穴式石室を「火穴」と呼ぶ。名前の由来には、①火山の爆発で飛来する火山岩や火の粉を防ぐために入る穴の意味とする説と、②「赤石山脈」の赤石を使っている赤い穴だからとする説、③そこで火葬が行われたからとする説など諸説ある。

直虎コーナーの設置された『引佐協働センター』

さて、城山に登る前に南麓を見てみよう。

この引佐協働センターから東に向かって、引佐健康文化センター、引佐図書館と、文化施設が建ち並んでいる。

協働センター内部

『引佐協働センター』内には、直虎コーナーが設けられている。

絵による直虎の生涯の説明は、紙芝居のようで分かりやすいが、年表については細かすぎる上に、腰をかがめないと読めない位置にあり勿体無い気も(無料配布のウォーキングマップの裏にでも印刷していただけるとありがたいなぁ)。

 

健康文化センター

『引佐健康文化センター』内には平成25年に埋蔵文化財調査事務所が移設され、2階には「保存展示コーナー」が設置された。展示品のほとんどが、古代の遺跡からの出土品であるが、井伊直虎の許婚であった井伊直親が吹いていたという「青葉の笛」のレプリカが展示されている。

NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の大河ドラマ館は、細江町のみをつくし文化ホールに設置されることに決定。この引佐健康文化センター内にもミニ大河ドラマ館の設置が検討されている(あらためて余計なお世話だが、引佐協働センターの年表もここへ移動した方が人目につくのでは…)。

 

『引佐図書館』は、井伊家関連の文献が充実している。

入ってすぐ左側に直虎コーナーがあり、直虎関連書籍が閲覧可能。一番奥が郷土資料コーナーで『引佐町史』はもちろん、『彦根市史』や郷土史家や「引佐の歴史と文化を守る会」(通称「歴文会」)の著作も置かれている。

引佐図書館前の坂道を少し下ると、奥浜名湖商工会引佐支所がある。ここが井伊谷城(井伊氏居館)の三之丸の北西端だ。

逆に坂道を少し上がると、引佐図書館裏の『引佐多目的研修センター(通称「多目」)』に着く。この多目の駐車場が城山散策の駐車場に充てられていて、現在のところ無料で利用可能。門が無く、24時間開放されている。

城山の南麓には空堀があったというが、現在は確認できない。堀の部分は石灰岩をトロッコで、白岩鉱山からセメント工場まで運んだ鉱石運搬線として昔は稼働していて、今では廃線になり線路跡となっている。

 

城山

上の写真の左の白い建物が引佐多目的研修センターである。

電波塔の下が城山の登山口で、案内板(城山の説明と地図)がある。ここで右に曲がって山に登ると、標高114.9mの山頂までは300m、徒歩15分の道のりである。

日光のいろは坂のように、ジグザグに登って行くと、途中、以前は山頂の搦め手門付近にあったという「城山稲荷」がある。ここは見晴らしがよい場所で、広場(曲輪?)があり、ベンチが設置されている。

山頂付近では、道が左右に分かれる。

右の道は東麓への下り坂で、左の道は山頂へと続く登り坂。迷わず左の登り坂を選ぶと、ほどなくして大手門があり、山頂に至る。

山頂

山頂は40m×45mの四角い曲輪で、北半分が一段高くなっている。

ここにあるのは標柱、案内板、ベンチ、展望台。

「城」と言っても天守閣などは無い。

この平削地が「御所之丸」と呼ばれ、井伊谷城の出丸である。

 

陵石

一段高い場所(「本郭」)の搦め手門側(西側)には、城山稲荷があった。

その反対側(東側)には岩が集められている場所があり、「井の宮陵」「陵石」と呼ばれている。名前から宗良親王の墓所だと思われるが、宗良親王の墓所は大手門前にあり、ここは御所跡だという。

しかし、御所は井伊氏居館の北側にあった。

昭和9年(1934)の調査の時には、高さ3m、幅5mの土塁で囲まれ、その内側に堀があったと言い、現在では大手門付近にその面影が見られる程度である。

この「土塁の内側に堀」という構造は、郡衙(ぐんが・古代の役所)や正倉(古代の倉庫)にみられる構造で、調査書では、「城山は其位置、地形、防禦設備、諸城との関係、交通等より判斷して決して城郭でないこと丈は斷言し得る」と結論付けられている。中井直恕『礎石伝』にも「井伊谷は往古正倉之地也」とある。

とはいえ、南北朝期に、宗良親王をお迎えするために「御所之丸」として改修されたであろうし、実際、戦国時代には「掻上城(かきあげのしろ)」として整備されていた。掻上城とは、山の斜面を掘って空堀とし、掘り出した土を積み上げて土塁とした山城のことで、ここでは「井伊谷掻上城」と呼ばれていた。

ちなみに南北朝時代に「井伊城」といえば、後述の三岳城を指したが、戦国時代に「井伊城」といえば、要塞化した井伊氏居館を指すようになっている。

さて、展望台で井伊谷の風景を満喫したので、城山を下り、今度は東→北→西の山麓に向かおう。

まずは東から!

 

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◆東麓

大手門から山を下り、分岐点で左の道を選ぶと、東麓へと下ることができる。

真っ赤な社殿の岩屋稲荷があり、字名からすると「一の宮」が鎮座していた場所らしい。渭伊郷(いいのさと)の一の宮は、渭伊神社ではなく、三宅神社だそうだ。

ご祭神は、井伊氏以前の支配者である、三宅氏(井伊荘の荘司)祖神の多道間守(たぢまもり)命である。彼は垂仁天皇の命令で、常世国へ行き、日本に橘(非時香菓(ときじくのかくのみ))を伝えた人物であり、菓子の神として知られる。「たちばな」は、「たぢまはな」(多道間花)の転訛だとされている。

 

岩屋稲荷

それはそうと、社殿が背後の巨岩(烏帽子岩)に食い込んでいるように見えるので、近づいてみると、社殿の壁が巨岩の形状に合わせて切り取られていた。

 

二宮神社跡

岩屋神社前で、下って来た道を戻るようにヘアピンカーブを曲ると、「二宮神社本殿跡」がある。

二宮神社のご祭神は宗良親王(二宮)。

縁起には次のように記されている。

「薨後御百ヶ日ノ前日、十一月十八日ノ八ッ時、御廟所鳴動シ、光物飛出テ岩上ニ落ツ。コレ玉棺ニ納奉ル持佛銅像ノ十一面観音ナリ。即チ神社ヲ建立シ、彼像ヲ御内陣ニ奉リ、二宮大明神ト崇奉リ」

亡くなられて99日目、棺に納めた守り本尊が飛び出したので、井伊道政が拾い上げ、祠を建てて祀ったのが二宮神社だという。観音様を祀る建物は、神社では無く、観音堂だと思うが。

 

二宮神社

この一の宮も二宮神社も、三方ヶ原の戦い後に山県昌景が焼き払ったので、 合祀されて二宮神社として再建された。宮司には、比較的早い時期に今川氏を見限り、井伊氏家臣から徳川氏家臣となった中井氏が任命された。

天皇の御子(宗良親王)と多道間守の合祀は、天皇家の墓に民間人の遺骨を入れるようなもので不敬ではあるが、多道間守は修身の教科書に載るほど有名な天皇の忠臣であり、その墓は垂仁天皇陵の周囲の水堀に浮かぶ中島にあるくらいであるから、まぁ、許されるのだろうか。

 

尹良親王

東麓は前回書いたように「井伊氏居館」(井伊城)である。

散策していると、電柱に古木が・・・実はこれ、標柱である。昔は真っ白に塗られていて、

───井伊氏館跡 尹良親王生誕地───と黒い文字で書かれていた。

 

井伊谷では、宗良親王(井伊谷の伝承では後醍醐天皇の第二皇子(二宮))と井伊道政の娘の井伊重子(別名「重姫」「駿河姫」)の間に生まれたのは尹良親王だと信じられている。

実はそうではなく、興良親王(別名「陸良親王」)と桜子姫だとする説や、尹良親王と興良親王であり、桜子姫とは、尹良親王の娘の桜姫のことであるとする説もあってはっきりしない。

また、通説では、興良親王は護良親王の子とされているが、興良親王と陸良親王は別人で、興良親王は宗良親王の子(母は井伊重子ではなく、駿河国の狩野貞長の娘の京極)であり、陸良親王が護良親王の子だとする説もある。

日本で最も有名な家の天皇家ですら正確な家系図を制作できないのであるから、「いわんや戦国武将においてをや」であろう。

 

井伊谷の肩書は「宗良親王ゆかりの地」であったが、古墳や磐座の発掘が相次いで「井の国」に変わり、今は「井伊直虎ゆかりの地」となっている。ブームになれば新しい標柱や案内板が建てられ、ブームが過ぎれば忘れられる。私のこの「直虎紀行」も大河が終われば読まれることはないであろう。ちょっと悲しい。

 

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◆北麓

北麓

北の登山口は峠にある。

上の写真は、峠を西から撮った写真で、右側(南側)が城山、左側(北側)が八柱神社(旧・八王子大明神)である。

八柱神社

八柱神社のご祭神は、アマテラスとスサノオの誓約(うけい)で生まれた八王子(五男三女神)である。

 

八柱神社境内

境内のカルスト地形(雨水や地下水などによって侵食された地形)が庭のように見えて面白い。

 

北斜面

南の登山口には「山頂まで車では行けません」とあるが、実は北の登山口からは車で行ける。ただ、頂上に駐車場が無いので、工事車両限定で、登山口には車止めがある。

また、「井伊谷城(城山城)には井戸が無いので、籠城は出来ない」と言われるが、北斜面に泉があり、井戸代わりになっていた(現在は埋まっていて無い)。

 

搦め手門

どんどん登って行くと、搦め手門に着く。

左の小さな建物はトイレだ。

 

◆西麓

磐座

山頂から西へ下ると、磐座と思われる巨岩がある。さらに下ると平削地に出る。

そこが「西の台」だ。

「遠江国引佐郡内井伊城と申候者、山之東之方より南へ廻り候。又、山之西の方の中腹に西の台と申在之候。又、山之頂上に小城在之。則、宮は此所に坐し故、御所之丸ト称し奉り候。本城は東より少し南へ廻り候故、本丸、弐之丸、三之丸と相つゞき候而郭中廣大也」(中井直恕『礎石伝』)

西の台は、井伊重子の居館跡で、宗良親王が訪ねて来られては、重子が弾く琴の音に聞き惚れていたという。そして、その演奏者にも惚れて、子が出来た。

───実に妙な話である。

井伊重子は、宗主・井伊道政の娘であるから、東麓の井伊氏居館に住んでいたはずである。さらに言えば、井伊重子の別名が「駿河姫」というのも解せない。「遠江姫」のはずである。

大胆な仮説をすれば、井伊重子と駿河姫は別人であり、駿河姫とは、興良親王を生んだ京極のことではないだろうか。彼女は井伊家の人間ではないので、井伊氏居館には入れてもらえなかったのである。

 

こちらが現在の西麓である。

西麓

道が城山にぶつかると、山裾に沿って右に曲がっているが、直進しているようにも見える。

「堀跡発見!」

と言いたいところであるが、この梅の木の左を通る真っ直ぐな道(?)は、トロッコのレール跡である。

 

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