日本初の歴史・戦国ポータルサイト

BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

スポンサーリンク

おんな城主直虎特集 井伊家

『井伊の本家、庶子家、オマケに河童伝説』おんな城主直虎ゆかりの地を歩く~直虎紀行 柒の巻

更新日:

 

「井伊家1000年」という。

遠江井伊家で600年、近江井伊家で400年。併せて1000年という意味で初代井伊共保の誕生日は1010年1月1日であった。

ご子孫の井伊41代直岳氏は、2016年の現在も彦根で暮らしておられるので、正確には「井伊家1006年」となるだろうか。静岡県浜松市の遠江井伊家は、最後の宗主である井伊直政公が1602年2月1日に亡くなられたので、こちらは592年の歴史となる。

その約600年間の遠江井伊家・宗主はいかなる系譜で継がれていったのか。

1共保─2共家─3共直─4惟直─5盛直─6良直─7彌直─8泰直─9行直─10景直─11忠直─12直氏─13直平─14直宗─15直盛─16直親─17直政

こちらは江戸幕府の公式文書『寛政重修諸家譜』や、龍潭寺九世の祖山法忍(『井伊家伝記』の著者)による「祖山系図」(江戸中期)を参照にしたもの。

1代30年として、20人はいると思われるが、実際は17人しかいない(前回紹介した渋川城址の井伊直親の墓には「井伊十六代藤原直親公」と彫られていた)。

 

幕末に井伊直弼の家臣であり師でもあった国学者の長野主膳義言は、直弼に依頼されて遠江井伊氏の調査を行った(この時、東光院や新野では新野左馬助の墓の発掘調査も実施)。

長野は『保元物語』に登場する「井八郎」を「5代道直」として加え、さらに天皇家に憚って削除していたという南朝方の6人の宗主(道政~成道)を追加した『訂正井家御系図案』を作成した。

井伊直虎井伊氏系図

さらにNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」に合わせて、番外ではあるが井伊直虎を加えた家系図が、龍潭寺のお霊屋(たまや・位牌堂のこと)の前に掲示されている。

それが以下の系譜である。

1共保─2共家─3共直─4惟直─5道直─6盛直─7良直─8彌直─9泰直─10行直─11景直─12道政─13高顕─14時直─15顕直─16諄直─17成直─18忠直─19直氏─20直平─21直宗─22直盛─23直親─直虎─24直政─25直孝─26直澄─27直興─28直通─29直恒─30直惟─31直定─32直禔─33直幸─34直中─35直亮─36直弼─37直憲─38直忠─39直愛─40直豪─41直岳

この家系図は広く知られ、何も問題ないように見えるが・・・『井伊家伝記』の中に「備中次郎と申名ハ井伊家惣領之名」とという記述が見られる。

確かに、遠江国司であった藤原共資の受領名は「遠江守」でも、「遠江介」でもなく、「備中守」であった。

そして、井伊初代共保は「備中大夫」、井伊二代共家は「備中次郎」と名乗るが、名が「共■」から「■直」に変わると「井伊介」「井介」と名乗るようになり、さらに名が「直■」に変わると「信濃守」と名乗るようになった。

中野直由が井伊谷城の城主にして井伊谷の領主になった時、受領名を「越後守」から「備中守」ではなく、「信濃守」に変えたのはそのせいである。

「次郎」は宗主の長男のみが使える名で、次男以降は名乗ることができず「■次郎」としており、たとえば直平の息子をみると次男の直満は彦次郎、三男の直義は平次郎と名乗っている。

 

 

井伊氏の祖を遠江国府(現在の静岡県磐田市見付)に住んでいた遠江国司の藤原為憲とする系図では、為憲の孫である遠江介の藤原維頼の娘と源八幡太郎義家との子の長男(太郎)「藤原頼兼」(横地太郎)の家が横地氏、次男(次郎)「藤原次郎大夫維弘」の家が井伊氏で、井伊氏の通称は「次郎」だとする。

そして、鎌倉時代に太郎(横地氏)と次郎(井伊氏)は共に鎌倉幕府の御家人として行動を共にし、活躍することになる(井伊氏の祖を横地太郎の弟ではなく、次男とする古文書もある)。

通説では、井伊氏は南北朝時代、宗良親王を擁する南朝方として今川氏(北朝方)と戦って敗れたので、今川氏に従属することになり、九州探題に任命された今川了俊と共に九州の南朝狩りに出兵したとも。

また、異説では、井伊共保(遠江国司の藤原共資の子)に始まる井伊氏は、国司の家系だけに、ずっと幕府側(北朝方)、遠江守護側(今川方)であり、九州の南朝狩りに出兵して絶えたという話もある。仮に絶えていないとしても、約60年に渡る戦いの時期、①井伊家宗主は九州にいて井伊谷にはいなかった、②井伊家の経済力が減退したそうだ。

井伊道政以降の「道■」と名乗る反今川で、南朝方の井伊家宗主は、九州へ出兵した宗主に代わって井伊谷を治めた人たちであり、藤原共資の子孫でも、藤原為憲の子孫でもなく、新たに井伊谷に迎えた藤原氏(藤原宗信)の子孫(井伊道政は、藤原宗信と三浦氏の娘の子)だとする説もあれば、庶子家(上野氏と奥山氏)の宗主たちだとする説もある(拙著『遠江井伊氏』参照)。

以上、井伊氏のルーツについては諸説あり、継体天皇の後裔の三国氏だとする異説もあるが、「井伊氏は藤原氏」ということではほぼ一致している。

 

 

井伊直盛には娘(直虎)はいた。が、息子がおらず戦国期では一大事であった。この問題は、一夫多妻が認められない現在ではさらに起こりやすい。現代における井伊家の跡継ぎ事情を見てみよう。

宗家である近江井伊氏(井伊掃部頭家)は井伊直政の次男・直孝の家系で、彦根藩主を務めた。

井伊40代直豪氏には娘が2人いるだけで、息子がいない。そこで長女・井伊裕子氏の同僚が婿養子となり、41代宗主に就任。宗主の井伊岳夫氏(旧姓:羽中田・彦根城博物館館長)は、講演会等で“直”を入れた「井伊直岳」という通称を名乗っておられる。

戸籍の名前を変えるには、戸籍法により「正当な事由」が必要である。その中では「通称を長年使用している場合」も認められるので長期間通称を使った後に家庭裁判所に申請すれば許可が下りるかもしれない。ちなみに、瀬戸内晴美氏が「瀬戸内寂聴」と戸籍を変えたのは、「神官や僧侶になった場合」という条件によるそうだ。

分家である与板井伊氏(井伊兵部少輔家)は井伊直政の長男・直勝の家系で与板藩主を務めた。当主の井伊達夫氏(京都井伊博物館館長)は旧姓は中村であるが、若い頃より井伊氏についての研究をしており、2007年に井伊家の養子となり、旧与板藩主井伊家18代となった。

 

 

さて、遠江井伊家の平安末期から戦国期までの600年という長い歴史の中では、多くの庶子家(宗主の弟を始祖とする分家)が生まれた。

彼らは「井伊」ではなく、分割相続によって与えられた土地の地名を苗字として名乗っている。これを「在名」という。

過去に遡って、その庶子家をピックアップしてみよう。

井伊直虎家系図6代-7代

盛直の子の俊直は赤佐郷(浜松市浜北区)に住み、赤佐氏(後述)と名乗り、その子孫は奥山に移り住んで奥山氏と名乗った。俊直の弟の政直は貫名郷(袋井市広岡)に移り住み、貫名氏と名乗り、その後裔には日蓮上人がいるという。

井伊直虎家系図8代-9代

8代目彌直は子福者で、その子たちは、田中氏、井平氏、谷津氏、石岡氏の祖となっている。また、孫の行直は宗良親王を擁護した人物(井伊道政は伝説上の人物)だとする説があり、直助は、後に「渋川井伊氏」と称されることになる上野氏(後述)の祖である。

井伊直虎家系図18代-19代2

18代忠直の弟・直藤は岡氏の祖、直氏の弟の直房は中野氏の祖である。岡氏や中野氏は、直盛(直虎の父)時代に活躍しており、中野氏は「井伊谷七人衆」の一人でもある。

ただし、戦国期の井伊氏は、子が生まれても討死にや誅殺によって亡くなり、分家をたてるまでには至らなかった。

庶子家の中で、最も早く分家したのが赤佐氏(奥山氏)、最も遅く分家したのが中野氏で、最も大きな勢力を持っていたのが上野氏だという。この3氏についてまとめておこう。

 

◆赤佐氏(奥山氏)

赤佐氏の居館跡は、中屋遺跡(150m×200mの方形区画)と推定され、この居館の広さからして財力は宗家よりも上だったと予想される。

たとえば、建治元年(1275)、京都六条の八幡宮造営に際し、御家人として井伊氏は三貫文を負担しているが、赤佐氏は五貫文を捻出。奥山氏は、直虎の時代に奥山朝利(「おんな城主 直虎」では“でんでん”さんが演じる井伊直政の外祖父)が宗主で、彼の妹は新野親矩に嫁ぎ、娘のうち姉が中野越後守直由室、妹が井伊直親室(後に松下清景室)になっている。

井伊宗家に次ぐNo.2であったが、「桶狭間の戦い」で家中の多くを失って失速した。

 

◆上野氏

上野氏は、後に上野から渋川へ移って本拠とした。藤原姓を称して寺社を創建するなどかなりの力を持っており、一時期、井伊谷井伊氏に代わって宗家だったとする説があり、 「渋川井伊氏」とも言われている。

しかし、遠江守護職をめぐる今川氏と斯波氏の戦いで、斯波氏に味方して破れ、武田氏を頼って甲斐国(山梨県)へ逃れることになった。

このことにより、井伊谷井伊氏がNo.1の座を保つことができたという。

 

◆中野氏

中野氏は、18代井伊忠直の息子・中野直房から始まる。直虎曽祖父・直平の叔父にあたる。

中野直房の孫にあたる直由は、井伊直盛の遺言で井伊谷城主・領主となり、「信濃守」と名乗って井伊直親を後見した。

引馬城の戦いで新野親矩と共に討たれると、長男の直之が同家を継承。次男の一定は、松下清景の養子となり、その子孫は代々「与板井伊氏」の家老を務めた。

 

 

さて、今回の「直虎紀行」は、伊平と花平を領した井平氏の本拠地、浜松市北区引佐町伊平(井伊谷の北が花平で、その北が伊平)へ足を運んでみた。

現在の地名は「伊平」であるが、戦国期の表記は「井平」。

「伊(い)」と「井(ゐ)」では本来発音が異なるが、室町時代には単語の先頭の文字であっても「い」と「ゐ」の区別がなくなったようである。ちなみに単語の途中の「い」と「ゐ」の区別は、鎌倉時代になくなっている。

井平城へ行くと、案内板と縄張り図があった。

井伊直虎井平城址

案内板に記されていた文言は以下の通り。

井平城跡(城山)

井平氏は、井伊家七代井伊弥直の時代に分家、井平四郎左衛門直時が井平氏の祖となり井平・花平の領主で殿村に居館を構えていた。南北朝期井伊家の枝城が記されている浜名古城記に「北は伊平の川東、今城山と云う処に砦を築き井平左衛門二郎重直其の子掃部左衛門直勝之を守る」とある。

天文十三年十二月(一五四四年)井伊谷城主井伊次郎に招かれた連歌師の宗牧は井平村を通過した折その道中記東国紀行に「片岡かけたる古城あり之も井伊家一家の人」と井平城のたたずまいを詠じている。
又細江町の式内社蜂前神社の古文書には井伊直平公の嫡男で井伊家十四代井伊宮内少輔直宗の伊平村御在城が記録されている。

井平城は旧鳳来寺街道上の要地に在り戦国時代小屋と呼称されていた。元亀三年十月(一五七一)武田信玄の将山県三郎兵衛昌景の率いる一隊の進攻を受け落城している。
この付近には帯曲輪・土塁・土濠・井戸跡等と目される遺構が現存僅かに昔日の面影を留めている。

伊平ふるさと会 伊平観光協会

これだけ詳しく書かれると、もう何も書くことがない。

繰り返しになるが・・・井平氏は、井伊8代彌直(みつなお)の息子の井平四郎左衛門直時から始まるとされている。

井平氏系図

井平直時の井平入りは寛元3年(1245)とされ、彌三郎が小田原で討ち死にして断家となったのが天正18年(1590)。345年間で8代というのはかなり少ない。

井伊宗家同様、南北朝時代の宗主の名が削除されているのかもしれないが、菩提寺の長興寺が2度の火災で全焼し、過去帳や古文書が焼失しているため、詳細は不明だ。

 

井平城は、文献に「小屋山」とあることから、「小谷山」の「直親の隠岩」付近にあったと机上では考えられてきたが、実地調査では、城の遺構が見つかっていない。

一方、「井平城があった」と言い伝えられてきた「城山」には、城の遺構がある上に、山麓の地名が「紺屋久保」でとなっている。これは「小屋窪」(「小屋の窪地」の意・さらに推測すれば「小屋山の山麓の窪地」)であり、「城山」と呼ばれる前の地名は「小屋」であったと推測され、この城が「井平城」であろうということになる。

井平城(城山)の土塁

井平城(城山)の土塁

城山へ行ってみると、城の遺構は城山の南斜面のみにあり、まさに「片岡かけたる古城」(岡の片側の斜面にのみ、山頂から山麓にかけて築かれた城)であった。

井伊直虎鳳来寺道

城の脇にあるのは「堀」かと思ったが、「道」であり、「旧鳳来寺街道」とのことである。堀を兼ねていたのかもしれない。

また、この城が街道脇に築かれたのは、関所と兼用ということであろう。

 

井伊直虎井平氏居館

井平氏の居館は、城山の山麓の紺屋久保にあった。

案内板にあるように、井伊氏と井平氏の関係は深い。直虎の曽祖父である直平の妻は井平安直の娘であり、直虎の祖父である直宗の妻は井平直郷の娘である。

当然、直虎の父である直盛の妻も井平氏と言いたいところであるが、ご存知の通り、今川庶子家の新野氏の出身である。これは政略結婚であり、このことからも、井伊氏は、国衆(国人領主)から、今川氏の家臣になってしまったように思われる。

一方で、とんでもない伝承もある。

直虎の実の母親は井平氏で、直虎は井平で生まれたというのだ。実の母親は流行病(はやりやまい)で早逝したという。そして、直盛(直虎の父)は、今川庶子家である新野氏の娘と再婚(政略結婚)するが、前妻との愛を貫き、新野氏の娘とは床を共にしなかったし、側室もとらなかったので───このままでは子ができない状態に陥った。

さらには「直虎が父(直盛)のように今川氏の男と政略結婚させられて、井伊家が今川氏に乗っ取られては困る」として、早々に直虎と直親の婚約を取り決めたという。婚約時、直虎は2、3歳だったと伝わる。

───この父にして、この娘あり。

父の純愛DNAを受け継いだ直虎は、直親への愛を貫き、生涯独身で過ごしたという。

以上、トンデモ伝承ではあるが、まんざら否定しきれない話である。

 

 

井伊直虎殿村館

殿村館

井平氏の居館は、殿村の東禅庵の隣にもあった。

井平氏は、武田氏の遠江侵攻の時(元亀3年(1572)10月)に全滅したので、天正2年(1574)、花平に住んでいた井伊直平の末子・直種(側室の子で年齢的には「孫」に近い)が井平河内守直種と名乗り、殿村に居館「殿村館」を建てて住んだ。

「是より天正十八年迄二十年也。按に此時、雲州公(鈴木重勝の二男・鈴木出雲守権蔵)、井平を立のき、其後河内殿(井平河内守直種)、又、殿村に住み給ふ。」(『伊平村古記』より)

直種の妻は家老・野末甚左衛門の娘で、子の彌三郎は、徳川氏の井伊直政隊に属し、天正18年(1590)の「小田原攻め」で、新野親矩の嫡男と共に討死(享年18)、井平氏は再び絶えてしまう。同時に、新野氏も滅びた。

そのときの逸話が以下のように伝わっている。

殿村館の東隣に東禅庵があり、「小田原攻め」の出陣時、馬小屋から馬を出すと、馬が、

───ご主人様、行ったら死にますよ。

と言わんばかりに暴れ、東禅庵に逃げ込んだと伝えられている。

───臆病な馬だ。

と一笑に付されたが、この馬は霊感が強く(?)、天竜川も渡ろうとしなかったという。

 

井伊直虎井平氏墓

「井成」(現在の「稲荷」)の井平彌三郎の墓

 

◆「直虎紀行」(番外編) ~祖母の墓(久留女木)~

井伊直虎如意院

如意院

浜松市北区引佐町東久留女木にある宝珠山如意院は、天文11年(1542)の田原城攻め(愛知県田原市)で討死した井伊直宗(直虎の祖父)の菩提を弔うために建てられた。

弘治元年(1555)5月12日、正室の浄心院(直虎の祖母)が開基。開山は龍潭寺一世黙宗和尚の弟子の盤山洞玉和尚となっている。

井伊直虎墓1

天文19年(1550)、浄心院が亡くなると、寺の近くに葬られたといい、「井伊直宗正室墓」と書かれた青い道路標示に従って登って行くと・・・

井伊直虎墓2

墓があった。立派ではあるが、他に墓がなく、寂しそうである。如意院が井伊直宗の菩提寺というのであれば、夫婦のお墓を並べてもいいように思う。

 

井伊直虎龍潭寺

こちらの写真は、龍潭寺の「井伊家歴代墓所」である。

江戸時代に整備された墓所で、井伊初代共保から井伊17代直政までの遠江井伊家の墓や供養塔があり、左が井伊直宗夫妻の供養塔で、右が井伊直満夫妻の供養塔。

※2015年12月以降、龍潭寺の「井伊家歴代墓所」は立ち入り禁止。写真はそれ以前に撮影

 

さて、井伊直宗の子・井伊直盛(直虎の父)は「隠居免」と称して、母(浄心院)の世話をした村人の年貢を免除したという。

───年貢が免除される。

ならば、どんどん稲を育てようと、この一帯では新田開発の気運が高まった。

「日本棚田百選」に選ばれた「久留女木の棚田」の開発はそもそも平安時代に始まったというが、直盛の代に一気に進んだという。

田には水が必要であり、「久留女木の棚田」を流れる水の水源地には悲しい伝説が残されている。

井伊直虎竜宮小僧

水源地にある竜宮小僧墓所

「竜宮小僧伝説 昔、久留女木の川に竜宮へ通じていると言われた淵がありました。そこから小僧が出てきて村人と仲が良くなり、いろいろな仕事を手伝ってくれるようになったそうです。ある日、村人が感謝をこめて、食事に招きました。ところが、うっかりして小僧には毒となる「たで汁」を出し 死なせてしまいました。悲しんだ村人が、ていねいに小僧をここに葬ったところ、こんこんと湧き水が出てきました。以来「竜宮小僧がこの水を竜宮から送ってくれている。」と言われています。」
(静岡県立観音山少年自然の家による現地案内板)

井伊直虎棚田

日本棚田百選「久留女木の棚田」

 

5/26、「おんな城主 直虎」のキャストが発表された(詳細はコチラ)。

NHK公式HPの「語り」役・中村梅雀さんの説明に注目していただきたい。

井伊谷に伝わる伝説の「竜宮小僧」は水のそばに住み、人が見ていないところでこっそり人助けをしてくれる存在。そんな「竜宮小僧」のように、今作の語りは、直虎をはじめ井伊谷で懸命に生きる人々を優しく見つめ励ます。(出典元

井伊谷に伝わる伝説の「竜宮小僧」を私は知らない。現地調査をしてもご存知の方はおられなかった。「龍雲丸」同様、ドラマのオリジナルキャラであろう。

私が知っている久留女木の伝説「竜宮小僧」は、【竜宮城の住民で、底が竜宮城に通じているという川の淵から現れる小僧】である。堂々と田植えを手伝うなどの人助けをする小僧であったが、蓼(タデ)汁を飲んで亡くなり、井伊直虎の時代には生きていない。

井伊直虎川合淵

久留女木の「川合淵」

タデ(蓼)には赤蓼(刺身のつまに用いる紫色のカイワレ大根みたいな植物)と青蓼(鮎の塩焼きを食べる時に使う蓼酢の材料となる植物)などがある。

青蓼は加藤清正が、朝鮮出兵(文禄・慶長の役)で日本に持ち帰ったという説がある。辛味成分はポリゴジアール(2つのアルデヒド基を持つセスキテルペンで抗菌作用がある)で毒ではないが、溶血作用があるために注射薬には使えない。

「蓼食う虫も好きずき」という諺は、「他に草があるにも係わらず、わざわざ辛い蓼を好んで食べる虫がいるように、人の好みは様々で『なぜ、あんな人を選んだの? 私には理解できない』と思うこともある」という意味である。

蓼汁という料理がある。

赤蓼の葉を味噌と一緒にすり鉢で荒く擂った冷や汁で、ご飯にかけて食べる。「汁かけ飯」の一種で、三河湾に浮かぶ佐久島の郷土料理としても有名。久留女木でも栽培して、「蓼汁」(レトルトパック)とか、「塩蓼」(ふりかけ)とか売りだせばいいのになぁと個人的には感じる。パッケージに竜宮小僧の可愛いイラストがあればなおよい。

 

「竜宮小僧」は、早い話が「河童」である。

井伊谷は、「川」のイメージよりも、「井戸」のイメージが強いので、私が脚本家だったら、語りは「井戸の精」(正体は井伊共保の御霊)にして、「直虎は嬉しいことがあった時も、悲しいことがあった時も、井戸に来てご先祖様に語りかける」という設定にしたいところだ。

井伊直政が、毎晩、徳川家康の寝所で、井伊家の歴史を語るって設定も面白いが、それでは寵童の寝物語になってしまい、大河ドラマとしての品に欠けてしまうのが残念(笑)。

ヒトに語らせるのであれば、織田信長に浄瑠璃姫の話などをした小野但馬守と同じく、近江小野氏の小野於通が良さそうだ。

(次回 捌の巻へ続く)

 

おんな城主直虎 登場人物の史実解説&キャスト!

井伊直虎(柴咲コウさん)
井伊直盛(杉本哲太さん)
新野千賀(財前直見さん)
井伊直平(前田吟さん)
南渓和尚(小林薫さん)
井伊直親(三浦春馬さん)
小野政次(高橋一生さん)
しの(貫地谷しほりさん)
瀬戸方久(ムロツヨシさん)
井伊直満(宇梶剛士さん)
小野政直(吹越満さん)
新野左馬助(苅谷俊介さん)
奥山朝利(でんでんさん)
中野直由(筧利夫さん)
龍宮小僧(ナレ・中村梅雀さん)
今川義元(春風亭昇太さん)
今川氏真(尾上松也さん)
織田信長(市川海老蔵さん)
寿桂尼(浅丘ルリ子さん)
竹千代(徳川家康・阿部サダヲさん)
築山殿(瀬名姫)(菜々緒さん)
井伊直政(菅田将暉さん)
傑山宗俊(市原隼人さん)
番外編 井伊直虎男性説
昊天宗建(小松和重さん)
佐名と関口親永(花總まりさん)
高瀬姫(高橋ひかるさん)
松下常慶(和田正人さん)
松下清景
今村藤七郎(芹澤興人さん)
㉙僧・守源

 

スポンサーリンク

著者:戦国未来
戦国史と古代史に興味を持ち、お城や神社巡りを趣味とする浜松在住の歴史研究家。
モットーは「本を読むだけじゃ物足りない。現地へ行きたい」行動派。今後、全31回予定で「おんな城主 直虎 人物事典」を連載する。

自らも電子書籍を発行しており、代表作は『遠江井伊氏』『井伊直虎入門』『井伊直虎の十大秘密』の“直虎三部作”など。
公式サイトは「Sengoku Mirai’s 直虎の城」
https://naotora.amebaownd.com/
Sengoku Mirai s 直虎の城

 





1位長篠の戦い 注目すべきは…


わろてんか伊能栞
(高橋一生さん)のモデル
小林一三とは?


2位 西郷隆盛49年の生涯!


3位 史実の真田幸村とは?


4位 最上義光 名将の証明


5位 ホントは熱い!徳川家康


6位 意外と優しい!? 織田信長さん


7位 直虎の後を継ぐ井伊直政とは?


8位 毛利元就の中国制覇物語


9位 伊達政宗さんは史実も最高!


10位 最期は切ない豊臣秀吉


注目! 史実の井伊直虎とは?





井伊家 井伊直虎 井伊直政 小野政次 龍雲丸
織田家 織田信長 濃姫 織田信忠 織田信雄 織田信孝 三法師 平手政秀
徳川家 徳川家康 結城秀康 徳川秀忠 松平信康 酒井忠次 榊原康政 本多正信 水野勝成
豊臣家 豊臣秀吉 豊臣秀長 豊臣秀次 福島正則 加藤清正 豊臣秀頼
伊達家 伊達政宗 伊達成実 義姫
最上家 最上義光 鮭延秀綱 山形城 大宝寺義氏 山野辺義忠
毛利家 毛利元就 毛利隆元 吉川元春 小早川隆景 毛利秀元 陶晴賢
島津家 島津義弘 島津の退き口
真田家 真田幸村 真田信之
立花&高橋家 立花宗茂 立花道雪 立花誾千代 吉弘統幸
浅井・朝倉家 朝倉宗滴 姉川の戦い 金ヶ崎の退き口
前田家 まつ 豪姫 前田利長 前田利常
黒田家 官兵衛が長政を叱責の真相
北条家 河越夜戦 小田原征伐 のぼうの城の真実
細川家
仙石家
長宗我部家
武田・上杉家
諸家 足利義輝
剣豪・武術・忍者 宮本武蔵
キリシタン ルイス・フロイス
合戦 桶狭間の戦い 長篠の戦い 手取川の戦い 厳島の戦い 月山冨田城の戦い

◆薩摩藩 西郷隆盛 島津斉彬 大久保利通 小松帯刀 西郷従道
◆長州藩 木戸孝允 木戸松子 高杉晋作 山県有朋


◆古代 安倍晴明
◆江戸 葛飾北斎
◆世界史 クレオパトラ ルイ16世 チェ・ゲバラ


わろてんか あらすじ&感想レビュー

-おんな城主直虎特集, 井伊家

Copyright© BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) , 2017 AllRights Reserved.