幕末・維新

元祖新撰組ファンなら行かねばならない 初代局長の芹澤鴨のふるさと茨城・水戸藩への旅

 新選組局長と言えば近藤勇
ではありますが、さらにディープなファンは芹沢鴨と答えるとか、なんだとか。

今回、その初代新撰組局長のふるさとへ向けて、とある一団が旅をしました。なにものなのかは最後のお楽しみ。

 

なんと芹澤氏は地元の殿様だった!

4月某日、晴れ渡るゴールデンウィークの合間、私達はレンタカーを借りて東京を出発、茨城県へと向かいました。

まずは芹澤鴨の出身地、茨城県行方市芹澤へ。

近づくと「新選組ゆかりの地」という幟が立っていたりして、俄然テンションUP!

このすぐ前に、新選組隊士・平間重助の子孫のお店、澤屋商店があります。 芹澤鴨にちなんだ日本酒も売っていました。

このすぐ前に、新選組隊士・平間重助の子孫のお店、澤屋商店があります。芹澤鴨にちなんだ日本酒も売っていました。

芹澤鴨の生家は、立派な数寄屋門と屋敷をグルっと巡る塀の中にありました。

本宅は幕末に焼かれて今はなく、ここは元芹澤家の隠居所だったとか。 庭には石造りの蔵もあったのですが、2011年の東日本大震災で崩れてしまったそうです。

本宅は幕末に焼かれて今はなく、ここは元芹澤家の隠居所だったとか。
庭には石造りの蔵もあったのですが、2011年の東日本大震災で崩れてしまったそうです。

皆で眺めていると、ご近所にお住まいのおばあさんが声をかけて下さり、色々とお話を伺うことが出来ました。

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※普段は中へ入れないのでご注意

芹澤家は代々、この生家のすぐ裏にある芹澤城のお殿様で、この辺りの方々は、ずーっと”お殿様”とお呼びしていたとか。

今も“ご主人様”とお呼びしているそうですよ。

調べてみると、芹澤家は室町時代中世に台頭した豪族で、行方郡宗主のお家柄。

城は天正19年(1591年)、佐竹氏により廃城となり、その後、芹澤家は関ヶ原(1600年)の戦功により幕臣に、そして水戸藩上席郷士となったそうです。

「手継(接)神社」

「手継(接)神社」

芹澤のお殿様が、イタズラ者のカッパを成敗。その際に斬り落とした手首をカッパに返してやったところ、カッパは薬で斬られた手首を治し、お礼にその薬の作り方を芹澤のお殿様に伝授。更に毎日魚を芹澤家の梅の木にぶら下げ、献上したそうです。ある日そのカッパが亡くなったことを知ったお殿様は、恩を忘れなかったカッパを悼み、この祠を作ったそうです。

水戸藩9代藩主・水戸斉昭公が芹澤家に立ち寄られた際、扇を賜ったことを記念した石碑。斉昭公がここに来られたなんて、芹澤家、やっぱり凄い!

水戸藩9代藩主・水戸斉昭公が芹澤家に立ち寄られた際、扇を賜ったことを記念した石碑。斉昭公がここに来られたなんて、芹澤家、やっぱり凄い!

 

今も家臣たちが守る芹澤の「城と墓」 

現在の芹澤家の当主は別の町にお住いですが、当時の家臣達は、今もこの家を守るように暮らしています。

そしてすぐそばにある菩提寺の法眼寺でも、芹澤家のお墓が一番上にあり、その下に家臣たちのお墓が並んでいるそうです。

……ということで、早速その芹澤城跡と、法眼寺に行ってみました。

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↑今回の旅の一行

小山の上にある芹澤城跡は、爽やかな風が吹き、良い”気”の集まる場所のような感じがしました。

そして法眼寺では、今もお殿様をお守りするように、周りに従う家臣達のお墓がありました。

 

一緒に新撰組に加わった平間重助のお墓も 

その中には芹澤村から共に京に上り新撰組に加わった平間重助のお墓が、一番近くに控えておりました。

平間家は、一説には400年以上も芹澤家に仕えたと言われる家筋で、平間重助も芹澤鴨のお目付け役として京都に同行した、と言われているそうです。

今は”主従の関係”と言ってもピンとこないですが、当時最も大切にされた”忠義”を、今も大切にしているのですね。

それほど芹澤家や芹澤鴨は、素晴らしい方だったのでしょう。

 

 芹澤鴨の「鴨」の由来はヤマトタケルだった!

芹澤鴨は、15歳から芹澤家の家業ともいえる医学を学び、和歌に通じ、武田耕雲斎から水戸学を学び、神道無念流剣術の師範代も極めるなど、神童とも言えるような天才ぶりを発揮しています。

その後、水戸学尊王攘夷思想を習得し、天狗党の前進である玉造組の頭に。

芹澤鴨の元には300人もの若者が集まります。

しかし安政の大獄により捕縛され入獄。

死を覚悟した芹澤鴨の辞世の句が、また泣かせます。

「雪霜に色よく花の魁(さきがけ)て 散りても後に匂う梅が香」

その後、恩赦により釈放されると、『常陸国風土記』の中の一節、「芹澤村を通過する大和武尊(ヤマトタケルのみこと)が鴨を従えた」から取り、名前を芹澤鴨、にしたとか。

”鴨”って変な名前だな、と思っていましたが、『常陸国風土記』の大和武尊の一節からだったとは!

さすが、水戸学尊王攘夷思想を貫徹した芹澤鴨らしいですね。

新選組が壬生浪士として結成された当初、初代筆頭局長が、近藤勇達「試衛館派」からではなく、芹澤鴨だった理由も、これらのエピソードを知れば納得。

…っていうか、壬生浪士が京都守護職付になれたのも、芹澤鴨がいたからかも??

またここには、芹澤鴨とともに京都で殺された恋人・お梅さんの顕彰碑もありました。

2人は別々に埋葬されたため、お梅さんの墓の寺の土をこちらに移し、ついにここで結ばれたという、ジーン、とくる顕彰碑でした。

 

日本三名園「偕楽園」へGO

そして、金沢の兼六園、岡山の後楽園と並ぶ、日本三名園のひとつ、水戸偕楽園へ。

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水戸といえば納豆。

ということで、偕楽園のレストハウスで納豆づくしのミニ納豆懐石を頂きました。

お味噌汁にも納豆、納豆天ぷらの汁も納豆入り。

アクセントに練り梅が入っており、美味しかったですよ。

偕楽園は、水戸藩第9代藩主・徳川斉昭公が、大胆な藩政改革構想を行って日本最大の藩校・弘道館を造った時、日夜文武に励む藩士達の憩いの場を、そして領民と偕(とも)に楽しむ場を、ということで、この庭園を造られたそうです。

偕(とも)に楽しむから『偕楽園』なのですね。

梅は水戸藩にとって、とても大事にされた象徴的な木ですが、偕楽園の広大な園内には、100種3000本の梅の木があり、梅の季節に訪れると大変素晴らしいそうです。

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好文亭の2階から望む偕楽園

烈公・徳川斉昭公もくつろいだ、好文亭にて

烈公・徳川斉昭公もくつろいだ、好文亭にて

偕楽園には、好文亭という素晴らしい建物があります。

本当に日本の建物っていいな、と思える、落ち着いた、そして様々な粋な趣向を凝らした素晴らしい建物でした。

そして同じ敷地内にある、水戸学の大家、藤田東湖先生をお祀りする「東湖神社」へ。

藤田東湖先生は、水戸藩第9代藩主・徳川斉昭公の腹心として、幕末に活躍した方。

手塚治虫の『陽だまりの樹』にも出てきましたが、全国の尊王の志士に多大な影響を与えました

そして水戸光圀公をお祀りする「常盤神社」へ。

こちらには「NHK大河ドラマに冲方丁原作の『光圀伝』を」という幟が立っていました。

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↑ 光圀公がマッチョでびっくり

署名はこちらから(水戸市役所)もできます。

この署名運動、僅か1年で35万を超える署名を達成したそうです。

 

日本最大の藩校「弘道館」へいざ!

そして今日最後の目的地、「弘道館」へ。

ここが徳川斉昭公が設立した日本最大の藩校です。

正面玄関には『尊攘』の文字が!

正面玄関には『尊攘』の文字が!尊皇攘夷!そういえば、徳川斉昭公が出てくる時代劇で見たことがありますね。

 『弘道館』とは、

「弘道とは何ぞ。人能く道を弘むるなり。

道とは何ぞ。天地の大経にして、

生民(せいみん)の須臾(しゅゆ)も離るべからざる者なり」

(弘道とはどのような意味か。弘道とは人が能く道を弘めるといふ意味である。即ち、道を世に弘め、人々に能くこれを実行させることである。然らばその道とは何であるか。道とは天地に基づいた人としての大道である。故に人たるものは、この道から片時も離れることは出来ないのである。)

という意味なのだそうです。

弘道館は建学の目的が「国家無窮の恩へ報いる」であった為、単なる水戸藩の藩校という枠を超え、全国から生徒を集め、日本最大の総合大学としての役割を果たしたそうです。

学科は文武両科に分れ、

文科は国学、漢学、医学、蘭学、天文学、数学、音楽(雅楽)、歌学等で、

武科は兵法、剣術、槍術、射術(弓術)、砲術、柔術、馬術、水術、火術、統術(軍事指揮)。

また、水戸光圀公が始めた『大日本史』編纂事業もここで継続され、

250年!も掛かってやっと明治30年代に、397巻226冊と成って、完成いたしました!

また、徳川家最後の将軍・慶喜公(慶喜公も弘道館出身)が、大政奉還後に恭順の意を示す為に蟄居されていた部屋もあり、また、水戸に留学していた吉田松陰の書状も展示されてありました。

水戸藩、素晴らしい……。\(^o^)/

非常に盛り沢山の、感動的な旅でした!

尊皇攘夷!そういえば、徳川斉昭公が出てくる時代劇で見たことがありますね。

弘道館前でJUMP

……ということで、我らは芹澤鴨さんに非常に思い入れのある一団なのですが、いったいなにものなのか?

ありがとうございます。

今回の旅は『劇団歴史新大陸』の

「新撰組哀歌 -びいどろ揚羽蝶-」水戸歴史ツアー

 ~新撰組初代局長・芹澤鴨の出身地、芹澤村&水戸偕楽園&弘道館に行ってみた!~

でした! 2月には京都へ取材旅行。芹澤鴨のお墓参りもしています。

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こちらが劇団歴史新大陸局長の後藤勝徳さん。今回芹澤鴨を演じます

 武将ジャパンではおなじみの時代劇エンタテイメント劇団『劇団歴史新大陸』が7月にお届けする舞台、「新撰組哀歌 -びいどろ揚羽蝶-」は、主に新選組が壬生浪士隊と呼ばれていた、初期の頃の物語です。

つまりまだ新撰組はできたばっかり。局長が初代の芹澤鴨だった頃のお話です。

実は劇団の代表、後藤勝徳さんは劇団創設当時から、みんなに“局長”と呼ばれていました。

で、実は随分前から、劇団の看板役者・じゅんじゅんこと斉藤潤樹さんは、「いつか自分が土方になって、芹澤鴨の局長を斬りたい……」と、ブラックなことを考えていたんですねw

ですから「新選組哀歌 -びいどろ揚羽蝶-」は、“局長”が“局長”を演じ、そして長年のじゅんじゅんの希望が叶えられた記念すべき作品なのです

今回のオーデションも多数の応募があり、配役にピッタリの素敵な役者さん達との出会うことが出来ました。

そしてそこは『劇団歴史新大陸』、「この舞台の背景となった歴史をしっかり学び、

きちんと役作りをして心を込めて演じよう!

そしてより良い舞台をお客様にお届けし、心ゆくまで楽しんでもらおう!」

ということで、後藤局長みずから、『芹澤鴨の出身地・水戸歴史ツアー』を計画したのでした!

この水戸歴史ツアーの成果がきっと出ているはず!

舞台『新撰組哀歌 -びいどろ揚羽蝶-』

をご紹介します!

どうぞ応援よろしくお願いします!

 重久直子・旅&記

劇団歴史新大陸 第8回公演
「新撰組哀歌 -びいどろ揚羽蝶-」

作 /天沢 彰
演出/後藤 勝徳

●公演日
7月18日(金)19:00
7月19日(土)14:00/18:30
7月20日(日)14:00/18:30
7月21日(月)14:00
(開場は開演の30分前です)

●劇場
座・高円寺2
(JR中央本線高円寺駅下車徒歩5分)

●料金
全席自由(日時指定)前売3,000円

●劇団HP
http://rekishin.com/

●稽古ブログ
http://ameblo.jp/rekisin/

●チケット受付
https://ticket.corich.jp/apply/55339/

●物語

風雲急を告げる幕末の京都。
京都守護職、会津藩主松平容保のお預かりとなったばかりの新撰組の前身「壬生浪士」には、頭を悩ませる大きな問題があった。

筆頭局長、芹澤鴨。菩薩か鬼か…局長職でありながら、内部粛清の標的となった男。
そして、その計画を粛々と実行した「鬼の副長」こと土方歳三

なぜ、芹澤は無残な最期を迎えなければ成らなかったのか、土方は何を思いその冷徹な剣を振り下ろしたのか。

壬生浪士時代に起こった最大の事件「芹澤鴨暗殺」にまつわる隠された真実の物語がここに!

 

●出演
後藤 勝徳
斎藤 潤樹
日向 紗代(オフィス彩)
西脇 ケンイチ
花柳 天舞
佐々井 隆史
清水 忠
坂井 良多(大野剣友会)
岡崎 康記
鈴木 祐大(CTU)
伊達 侑華
平山 久能
宮岡 俊介
村井 大介
大津 隆斗(アールスタイル)
加藤 要
川邊 史也(劇団銅鑼)
菅野 智志(劇団邪馬台国)
瀬戸口 桂一(劇団スリークウォーター)
高山 智未(アールスタイル)
たけした はるか
ちゃーるず
津村 衣美
永田 佳代(笹倉組)
一兜 翔太
本田 和大
牧野 恵子
岬 万泰(八田プロダクション)
山根 隆嗣(劇団ICHIGEKI☆必殺)

●スタッフ

演出:後藤 勝徳
脚本:天沢 彰
所作・衣装指導・振付:花柳 玉舞
舞台監督・演出補:狩野 裕香
音響・音楽監督:宇野 公章
照明:早川 和行(Staging Staffティー★ファス)
美術・殺陣:西脇 ケンイチ
ヘアメイク:yomi

      高橋 紀子

      吉村 幸
衣装:斉藤 潤樹

   後藤 佳奈
所作・衣装指導補佐:花柳 天舞
京都弁指導:中島 多朗
舞台監督助手:高柳 みのり
制作:宮本 美樹
宣伝広報制作:重久 直子
宣伝美術:石本 政晶
写真撮影:井上 淳一
映像撮影:藤本 翔
プロデューサー:ウエノ マサキ 



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