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西郷菊次郎/wikipediaより引用

西郷どん(せごどん)特集 幕末・維新

西郷菊次郎68年の生涯マトメ!西郷隆盛と愛加那の息子は右足を失い、台湾に西郷堤防を作る

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「おはんは白旗を掲げて降伏するとよか」

菊次郎は、右脚の膝から下を切断することになります。
まだ20才にも満たない青年にとって、その辛さたるや、想像に難くないでしょう。

右脚を失って移動もままならなくなり、西郷家の使用人・熊吉につきそわれて、なんとか俵野にまで移動できるという有様。
結局、地元住民の家で療養することになります。

そんな彼のもとに、父の西郷が訪ねて来ました。

既にこのとき、西郷は軍服を燃やし、愛犬を解き放っていました。

最期の時を覚悟していたのです。

「菊次郎、おはんは白旗を掲げて降伏するとよか。殺されることはなか」
「おいは、這いつくばってでも、父上についていきもす!」

菊次郎は父を追いかけようとしますが、右脚が切断された状態では、思う様に動けません。
這いずり回り、身動きできなくなったところを、熊吉に助けられました。

そして菊次郎は、叔父である西郷従道に降伏することになったのです。

従通は兄の忘れ形見である甥の菊次郎を見ると、大いに喜びました。

「菊、菊! おはんだけでん、生きていてよかった! 熊吉、礼を言うでな」

そして明治10年(1877年)9月24日、西郷隆盛は自刃します。
享年49。
永遠に別れることとなりました。

南洲翁終焉之地碑

 

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台湾に今も残る「西郷堤防」

菊次郎は、叔父・従通のはからいにより、アメリカ留学の経験を生かせる外務省に入りました。

入省後は、アメリカ公使館や本省でキャリアを重ねる日々。
日清戦争の結果を受け、台湾が日本領となった明治28年(1895年)、35才の菊次郎は台湾総督府へ赴任します。

完成直後の台湾総督府庁舎/wikipediaより引用

そして、台北県支庁長や初代宜蘭(ぎらん)庁長を歴任しながら、4年半におよんだ宜蘭時代、菊次郎は統治に力を入れました。

農業や産業の奨励、土木工事等……様々な功績を残すのです。

菊次郎は、特に河川工事に力を入れました。
宜蘭市を流れる宜蘭川は、人々の生活を潤す水源ではあるのですが、毎年のように氾濫、市民生活をおびやかしていました。

そこで菊次郎は、巨費を投じて17ヶ月もかけ、宜蘭川に堤防を作ったのです。
お陰で宜蘭の市民は水害から守られるようになりました。

1.7キロにおよぶ宜蘭川堤防は、現在も「西郷堤防」と呼ばれ、傍らにはその業績を称える石碑も残されています。

さらに宜蘭市にある「宜蘭設治紀念館」には、菊次郎の写真はじめ、ゆかりの品が展示されています。
建物も、菊次郎の時代のものがそのまま残されているのだとか。

宜蘭設治紀念館/photo by Outlookxp wikipediaより引用

帰国後、菊次郎は明治37年(1904年)から明治44年(1911年)まで、京都市長をつとめました。

前述の通り、小説版『西郷どん』は、菊次郎が京都市長として就任する場面から始まっています。
父の死から30年以上の月日が経過。
その記憶はなお鮮烈なものであったことが予想されます。

そして昭和3年(1928年)に死去。
享年68。
西郷の子の中では、二番目の長寿でした。

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文:小檜山青




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【参考文献】
国史大辞典
教科書に載せたい偉人の息子

 



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