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富嶽三十六景神奈川沖浪裏/Wikipediaより引用

西郷どん(せごどん)特集 幕末・維新

江戸幕府の海外対策は十分にイケてた? 西郷どんで誤解しがちな幕末の海外事情

更新日:

画面いっぱいに広がる、青い波。
合間から山頂を覗かせる、富士山――。

葛飾北斎の作品『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』は、大胆な構図や写実的な波、そして「北斎ブルー」と呼ばれる藍色が特徴です。

この「北斎ブルー」の正体は、当時「ベロ藍」と呼ばれておりまして。元はプロシアのベルリンで作られたものです。
「ベルリン藍」がなまって「ベロ藍」になった、というわけです。

葛飾北斎の浮世絵は、実は19世紀以降の江戸時代を象徴しています。

なぜなら
【日本らしい情緒にあふれているようで、実は外国からのモノが流入して、変質しつつある】
そんな時代だったからです。

 

江戸時代の海外情報

江戸幕府は鎖国後、海外情報にまったく感心がなかったわけではありません。

オランダ経由で知ったニュースは『風説書』にまとめられていました。
漂流民からもたらされた海外事情も、幕府によって管理されていました。

戻って来た漂流民がペラペラと海外事情を周囲にバラすようなことをできないようにしていただけです。

とはいえ、隠されると気になってしまうのが人のサガ。
蘭学者や知識人は、長崎経由で海外の最新情報を得ておりました。

例えば、2018年正月時代劇『風雲児たち』の冒頭でも、
『ターネル・アナトミア』をワクワクしながら手に入れた杉田玄白(演:新納慎也さん)と前野良沢(演:片岡愛之助丈)
のシーンから始まっていましたね。

「長崎でスッゴイもの手に入れちゃった~~!」

この凄いオランダ語の書物をどうしよう?
出版したら幕府に睨まれないかな?
と、杉田と前野は気を病んでおりまして。

そこであのアイデアマン・平賀源内(演:山本耕史さん)の口利きで、老中・田沼意次(演:草刈正雄さん)の許可を得るという流れが、ドラマで描かれておりました。

このように幕藩体制下でコントロールされていた海外情報が、19世紀初頭から崩れ初めてゆくのです。

 

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米がなければ犬を食べればいいじゃない

1765年、フランスの哲学者・ルソーは『告白』でこんな一文を記しました。

とうとうある王女がこまったあげくに言ったという言葉を思いだした。百姓どもには食べるパンがございません、といわれて、「ではブリオシュ〔パン菓子〕を食べるがいい」と答えたというその言葉である。(Wikipedia 「ケーキを食べればいいじゃない」)より

この言葉が記された『告白』は1782年に仏国で出版されました。

翌年の天明7年(1783年)、日本は江戸。
飢えに苦しむ庶民の打ち壊しが続く中、江戸北町奉行・曲淵甲斐守景漸(まがりぶち かいのかみ かげつぐ)は、民の訴えに対してこう返したのです。

「昔の飢饉では犬の肉を食ったそうではないか。今、犬なら一匹七文で買えるぞ、米が無いなら犬を食べればいいじゃない」

なんとも不思議な、シンクロニシティ。
って、実はこれ、ただの偶然とは言い切れません。
当時は世界的な火山の活動期に入っており、日本でもヨーロッパでも、天災による飢饉が発生しておりました。

【関連記事】天明の大飢饉

フランス人はパンの値上がりに苦しみ、日本人は米が口に入らず苦しむ。
そして為政者は、そんな庶民に苦しみを理解しない――状況が一致するのも、必然といえましょうか。

飢えに苦しむ民の行動も、同じでした。

フランスではご存じの通り革命が発生しますが、日本各地でも大規模かつ暴力的な一揆が勃発。
制度倒壊までには至らずとも、幕藩体制は傾き、修復できないほどのヒビが入っていたのです。

では何がヒビを大きくしたのか?

と言いますと、海外からの情報です。
この局面に至ると、情報は有益で珍しいだけではなく、より危険なものとなっていったのです。

 

オランダが何か隠している?

イギリスがフランス・スペインの連合艦隊を叩きのめした「トラファルガーの海戦」から3年後。
英海軍は覇者として、世界の海をめぐっていました。

おそらくやイギリス海軍所属の、フリートウッド・ペリュー提督はこう考えたでしょう。

「悪魔のようなフランス人め、貴様らは世界のどこの海に逃げようとイギリス海軍が追い詰めてやる。極東の、地球の裏であろうと逃さん!」

当時、日本と交流のあったオランダは大変なことになっておりました。

フランス革命勃発後の1793年。
オランダはフランス革命政府に占領され、オランダ統領・ウィレム5世はイギリスに亡命、地元の革命派による「バタヴィア共和国」が成立しておりました。

1798年、各国で貿易を担っていたオランダ東インド会社は解散し、ナポレオンが皇帝になると、弟・ルイをオランダ国王に任命します。

つまり英海軍のフェートン号からすれば、
「憎きナポレオンの傀儡王国、そのお仲間が長崎って所にいるらしいな! 襲ったれやぁ!」
ということになるのです。

フェートン号/wikipediaより引用

しかし、日本側にとっては全くワケがわからない話。一体どうしたことか?

実はオランダ側は、フランス革命以降の話を黙っていたのです。
バレたら、日本との貿易が打ち止めですからね。

それがフェートン号のせいで、すべての隠蔽工作も……。

「オランダさんよ、なんでイギリスが襲ってくるんだよ! 絶対に変だ、隠しているんでしょう! 言いなさいよ!」
「そ、そ、そういうこともあるかもしれないけど………………私は知らないです!!」

幕府は、口を割りそうにもないオランダ側から聞き出すことは諦め、別ルートをたどりました。
ロシアです。

 

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フランス革命、想像以上にアカンやつや

ロシア事情は、ロシアに漂着して帰国した大黒屋光太夫が、かなり詳しい事情をもたらしていました。
時を同じくしてロシア船の漂着も増加傾向にありまして。

ドラマ『風雲児たち』に出てきた
・工藤平助(演:阿南健治さん)の『赤蝦夷風説考』
・林子平(演:高木渉さん)『三国通覧図説』『海国兵談』
は、要するに「これからはロシアがヤバイ!」と説く書物でした。

かくしてヨーロッパ事情をロシア人から聞きつけた幕府は、
「こりゃ、想像以上にあかんことになってたわ……」
と仰天してしまいます。

なんせ、フランス革命というのは
「百姓一揆が王と王妃を斬首して国家転覆した事件」
ですからね。

幕府にとってはリアリティあふれる悪夢の物語です。
田沼意次時代あたりから、大規模な一揆が増加しておりましたし、ありえない話ではなく、ある程度のリアリティをもって共有されたことでしょう。

 

江戸時代のナポレオン、静かなブーム

とはいえ、当時の知識人が気になって仕方なかったのは、フランス革命よりも、そのあとに台頭したナポレオンでした。

彗星の如く現れながら悲運の退場をした彼は、存命当時からロマンの象徴でもありました。
敵国イギリスの詩人たちですら、うっとりと彼を讃えていたほどです。

詩人や芸術家を魅了した英雄の生涯は、日本人の心にも響いていました。
頼山陽は漢詩を作り、佐久間象山や吉田松陰も憧れていたのです。

幕末、来日したフランス人に対して、開化派の知識人はこう思ったことでしょう。

「おっ、フランスっていうとナポレオンの国だなあ。えっ、今の王様もナポレオンなの!?」

イギリスが薩摩藩に接近したのに対し、フランスは幕府に接近しました。
徳川慶喜は、ナポレオン3世から贈られた軍服を好んで着用しております。

そこには、英雄崇拝の気持ちもあったのかもしれませんね。

ナポレオン3世から贈られた軍服姿の徳川慶喜/wikipediaより引用

フランス熱がクールダウンするのは、1870年(明治2年)普仏戦争でフランスがプロイセン相手に歴史的大敗を喫してからのことです。

幕末に来日していたブリュネも、「あのナポレオンの国の人だ!」と思われていたんでしょうね。

映画ラストサムライのモデル「ジュール・ブリュネ」 幕末のフランス軍人たちが熱い!

 

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異国船をどうすればよいのか?

時代が下ると、フランス革命よりさらに危険極まりない情報がもたらされました。

阿片戦争」です。

大事件として認識されていたイギリス艦・フェートン号だけではなく、19世紀以降は日本各地で捕鯨船が漂着・出現していました。
幕府は「異国の船を見かけたらすぐ追い払おう!」という文政8年(1825年)『異国船打払令』を発令していましたが、これにも問題がありまして。

天保8年(1837年)、アメリカ商船・モリソン号が日本にやって来ました。
目的は、攻撃ではなく日本人漂流者を帰すことでした。

モリソン号/wikipediaより引用

ところが打ち払われ、失敗に終わります。
せっかく親切に自国民を帰しに来たのに、酷いですよね。

当時もそう感じる人がいました。
結果、幕府の異国船への対応を批判した渡辺崋山、高野長英らが処罰を受けることになるのです(「蛮社の獄」)。

それでは結局どうすればいいのだろう、と幕府は頭を痛めます。
とりあえず限定策として
「一方的に追い払うのではなくて、水や燃料は与えましょう」
という命令(薪水給与令・しんすいきゅうよれい)を出したりして、撤回して、また出したりして。

「イギリス船が来たら、今後どうなってしまうんだろう……」

右往左往しながらも一応進めた幕府の対応策は、決して無能ではありませんでした。

通詞に英語を学ばせ、各藩に沿岸警備をさせて、知識を仕入れていたのです。

水野忠邦の後任者である阿部正弘は、それこそ徹底的に、阿片戦争関連の知識や海外情報を分析。
出た結論は、
「絶対に、異国船を打ち払うことは、できない……」
でした。

このときの幕府や阿部の気持ちは『進撃の巨人』初期における、主人公たちの気持ちに近いものがあるかもしれません。

海の彼方から迫る巨人相手には、小手先の手段では勝てるわけがない――。
それでは、どうやってこの国を強くし、乗り切るのか?

嘉永6年(1853年)のペリー来航によって、日本はこの問いをつきつけられることになります。

260年間、日本も幕府も、眠っていたわけではありません。
来たるべきその日のために、対策を考えていたのです。

幕府は無能と言われますが、幕府閣僚や開明的な藩主、そして知識人たちがいなければ、日本の情勢はもっと厳しい事態に直面していたことでしょう。

それは岩瀬忠震とハリスの、日米修好通商条約における交渉で花開いたと言えるかもしれません。

日米修好通商条約の真実と岩瀬忠震~ハリスを圧倒した凄腕の交渉人が幕臣にいた!?




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文:小檜山青

【参考文献】
江戸の海外情報ネットワーク (歴史文化ライブラリー)』岩下哲典
江戸のナポレオン伝説―西洋英雄伝はどう読まれたか (中公新書)』岩下哲典
黒船がやってきた―幕末の情報ネットワーク (歴史文化ライブラリー)』岩田みゆき

 



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