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戊辰戦争時の武士たち/wikipediaより引用

西郷どん(せごどん)特集 幕末・維新

民と戊辰戦争~生活の場が戦場となり、食料奪われ殺害された知られざる悲劇

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2018年の大河ドラマ『西郷どん』で掲げられているテーマがこれ。

民を傷つけず、たらふく食べさせる――。

そのために西郷隆盛が倒幕をする筋書きとなっておりますが、果たしてそんな綺麗事で歴史を押し通せるのか?
そもそも史実はどうなってる?

吉之助が最優先していたはずの「民」はどんな状態になっていたか。

本稿は「民と戊辰戦争」に着目して、歴史を振り返ってみたいと思います。

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明治維新は無血革命のアヤフヤ

大河ドラマだけが悪いわけではないのかもしれません。

明治新政府は海外でも、
明治維新が「無血革命」に近いものである
と喧伝したようです。

確かにフランス革命あたりからすれば、流血は少ないかもしれません。
フランス革命でのルイ16世マリー・アントワネットのように、徳川慶喜あたりを斬首するようなことはありませんでした(ただしこれは海外の介入あってのもの)。

江戸城は、無血開城です。

【関連記事】徳川慶喜(一橋慶喜) 西郷どんの低評価っぷりを覆します!英仏も惚れた超絶タイクーンとは?

しかし、明治維新は、そこで終わりではありません。

戊辰戦争――。
多数の犠牲者が出て、多くの血が流れたことを無視していいワケがありません。

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東日本を進む維新の軍隊は、以下のような行いもしておりました。

・民を軍夫として徴発
・敵軍を誘い出すために、家屋に放火
・食料を徴発
・性的暴行の横行
・民を拷問、殺害

もちろん維新軍だけが極悪だ――というワケではなく、こうした対応は東西両軍あります。

藩によっても異なるのが実情ですが、民が犠牲となったのは事実。

一体、これのどこが無血革命なのか?
そう問うてもよい惨状でした。

戊辰戦争進軍の流れ/photo by Hoodinski wikipediaより引用

戦争後も不平士族の反乱や、明治新政府の首脳暗殺など、明治20年代までゴタゴタは続いております。

【関連記事】不平士族の反乱

少し遡って幕末にしても、
・天誅事件
安政の大獄
桜田門外の変
薩英戦争
禁門の変
……と、無血どころか、血に染まった日本列島ではないですか。

日曜の夜に血だらけの場面を見せよ、というワケではありません。
あたかも【無血で「民」を救ってきた】かのような描き方に問題があると考えるのです。

 

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無血革命どころじゃない内実をおさらいしよう

江戸時代、戦うことのある階層といえば、武士だけに限られました。

しかし江戸後期になると、関東ではそうした枠組みを超えた一揆が登場し、百姓まで武装した結果、新選組や相楽総三を生み出すほどの治安悪化が生じております。
幕末の関東は、こうした治安悪化の影響もあり、リアル『北斗の拳』状態となっております。

【関連記事】新選組の天然理心流はナゼ殺人剣法に? 幕末関東が『リアル北斗の拳』だったからです

その江戸幕府崩壊前夜、幕末となると関東以外の民にまで、影響が及びます。
全国各地で「攘夷事件」というテロや天誅事件が続発。

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長州については、下関戦争や長州征伐がありました。

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薩摩も、イギリスとの薩英戦争で犠牲者が出ています。

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こういう戦いは、敵の関係者や武士だけを狙ったにとどまらず、たまたまそこにいた人まで襲撃されるという、大変なものでした。

そして、これが幕府の責任だったとする大河『西郷どん』の見方からはほど遠いわけで。
薩摩や長州の、無茶な攘夷への報復行為として戦争が起こった事例もあるわけです。

次項では、生活の場が戦場となった民たちの悲劇を具体的に見ていきましょう。

 

戊辰戦争では食べるどころじゃない

西郷が起こそうとした戦争はやがて拡大し、戊辰戦争へと発展しました。
結果、奥羽の百姓はたらふく食べるどころか、命すら落とします。

その内訳を見ていきましょう。

年貢半減令は嘘

百姓の心をつかむために西軍が打ち出したのが、年貢半減令でした。
幕府時代より年貢を半減にするといえば、百姓の心をがっつりつかめるという計算があったのです。

これは実は西軍だけではなく、庄内藩といった東軍も出しました。

しかし、両軍とも守ることはできません。
西軍は半減令を布告した相楽総三を「偽官軍」扱いして殺害し、撤回。庄内藩ら東軍は、敗北した以上叶えることはできません。

百姓からすれば、ただの迷惑な嘘でした。

民家放火

両軍ともに、百姓の住宅に放火しました。

敵がいるときは追い出すために。
あるいは威嚇のため。
撤退時のめくらまし。

ともかく便利に焼かれたのです。
百姓側では、放火を防ぐために軍に酒を出し、振る舞うこともあったとか。

まるで戦国時代です。

田畑踏み荒らし

民に食わせるどころか、時期が秋にぶつかり収穫前の農作物が台無しにされました。

田畑に隠れて戦う。
食料として奪う。
田畑への放火。

両軍が農作物を荒しまくりました。

拷問・殺害・性的暴行等

民が使役されているのではないか?
そんな風に両軍が疑心暗鬼に陥り、民を拷問・殺害する事例もあります。

これは自領ではないせいか、西軍の方が多かったようです。

性的な暴行や逸脱もあります。
長州藩の世良修蔵は、妓楼で女と戯れながら奥羽討伐を命令したことで奥羽越列藩同盟の激怒を買い、暗殺されております。

世良修蔵/wikipediaより引用

会津藩は女性部隊の「娘子軍」が出撃しました。
が、彼女らも敵の手に落ちると、暴行の犠牲者となりました。

会津の婦女隊/wikipediaより引用

避難

こうした災難から逃れるため、山野に逃げ惑う者は大勢おりました。
そうなれば当然農作業は停止するわけで、そのため飢える人々も出ます。

「軍夫」徴発

現地案内や物品の運送に百姓が徴発されることもありました。
東西両軍で実施されています。

彼らは戦闘員ではないものの、殺害対象から外されることはありません。
敵軍から殺害されてしまい、悲惨な暴行の目にあう者も、多くおりました。

戦闘員として参加

非戦闘員でも殺害される中、いっそ戦闘員として参加しようと思う者がいてもおかしくないわけです。
彼らは敵兵の首を取り、物資を奪い、戦国時代さながらの作法で戦い抜きました。

戦闘員となった農民たち

東西両軍とも、武士として取り立てることを掲げ、農兵を集めました。

関東地方のように自発的に武装した農兵とは異なり、彼らは戦争となって初めて戦うことにしたわけです。
自発的に銃を購入し、鍛え始めた農民もおりました。
奮戦した百姓部隊もいましたが、そうとばかりとは言えません。

自発的に戦ったならば、よかったのでしょうか?
いいえ、彼らの実態を見るとそうとも言い切れません。

恩賞がそもそも「年貢半減」

従軍恩賞は、武士身分への取り立てだけではなく「年貢半減」もありまして。
しかし、これは破棄されます。虚しい話でした。

ならず者の部隊もあった

場合によっては、博徒(ギャンブラー)のような、犯罪者まがいの集団が部隊に取り立てられたことも。
彼らは真面目な戦闘よりも暴力や掠奪に走りがちですから、住民にとっては迷惑なことでした。

放火・掠奪に及ぶことも

百姓だから痛みがわかるから紳士的だったという神話は、そこにはありません。
敵の村であれば、農兵でも容赦なく放火・掠奪におよびました。

 

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食料や家屋を失い、理性まで奪われて

非戦闘員であった百姓が、あてにならない褒賞を吊り下げられ、戦ったのです。
彼らは奪われっぱなしの無力な存在ではありませんが、かといって奪ったこと殺したことが深刻な傷を残していないと、どうして言い切れるのでしょうか。

彼らは、戊辰戦争でたらふく食べるどころか、食料や家屋を失い、さらには人としての理性まで失った犠牲者なのです。

ここまで大きな犠牲を払った明治維新の結果、農民にやさしい世の中が来たらば、どんなによかったことでしょう。

しかし、明治政府の農業政策は民にとって必ずしも満足いくものではなく、彼らの奮闘は明治以降も続きます。

痛ましいのは、昭和5年(1930年)から昭和6年(1931年)まで続いた昭和農業恐慌です。
これは東北に大打撃を与えました。

明治維新の結果、民がたらふく食えるようになった――こんな虚しい大嘘が本当に史実であれば、どれほどよかったことでしょう。

しかし、そんなことはドラマの中での優しい嘘で、現実とは異なることを、頭の隅にでも入れておいていただければと思います。

文:小檜山青




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【参考文献】
『百姓たちの明治維新』渡辺尚志
『明治めちゃくちゃ物語 勝海舟の腹芸 (新潮新書)』野口武彦

 



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