幕末・維新

自転車の歴史 ヨーロッパで生まれた高価な乗り物が幕末ニッポンで走り始める

「ローバー安全型自転車」の革新

1878年、ウィリアム・ヒルマンがペニー・ファージング型にチェーンをつけた「カンガルー型」を開発しました。

カンガルー型自転車/wikipediaより引用

1879年にはヘンリー・ジョン・ローソンが、現在のように前輪と後輪をチェーンでつなぐ「バイシクレッタ」を開発。

チェーンの導入により、前輪のサイズは小さくなり始めました。
車輪が大きいことと速度が連携しなくなっていったからです。

1885年、ジョン・ケンプ・スターレーとウィリアム・サットンは、新たな自転車「ローバー安全型自転車」を作ります。

・前輪と後輪の大きさが同じである
・チェーンによって後輪が動く
・フレームが三角形のダイヤモンド型

おっ、これで、ほぼ現代と同じですね!

ローバー安全型自転車/wikipediaより引用

当時としてはあまりに斬新。
人々は『本当に速いのか……』と首をひねりながら、いざ一度乗り始めてみると、これが今までのものよりずっと快適であると実感します。

1888年には、ダンロップが自転車のタイヤにゴムを使用し、発売します。
このことはコンゴを地獄の底に突き落とすきっかけとなるのですが……それはさておき画期的なことでした。

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自転車の安全性と快適性が、格段に向上したのです。

こうした決定打の登場により、自転車ブームが到来したのでした。

 

自転車ブーム到来!

ローバー安全型自転車やゴムタイヤが登場するまで、自転車は変わり者が乗るものであり、女性とは無縁のものでした。

その状況が一転し、オシャレでトレンドの最先端をゆく乗り物となったのです。

女性たちも競って乗るようになりました。
1880年代半ばから、自転車はヨーロッパで大ブームとなったのです。

イギリスのバタシー・パークでは、こぞって上流階級の女性が自転車を乗り回すようになったとか。
自転車雑誌も登場し、サイクリングファッションも誕生するほど。

かつては変わり者の乗り物であった自転車が、乗らないほうがむしろ変わり者とされるほど、急速に普及していったのです。
シャーロック・ホームズシリーズの作者であるコナン・ドイルも、このブームに乗ったわけです。

19世紀のアメリカ、自転車を楽しむ女性たち/wikipediaより引用

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1902年、ロンドン留学中の夏目漱石も、四苦八苦しながら自転車に乗ったのだとか。
気落ち気味であった彼を気遣った下宿先の女性が勧めたようです。

かなり苦労して乗りこなせるようになった漱石。

夏目鏡子夫人の回想によれば帰国後は、
「東京は道が悪いから……」
とかなんとか理由をつけて乗らなかったそうです。あまりよい思い出ではなかったのかもしれませんね。

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漱石が自転車に苦戦した翌年、1903年。
ついにフランスでは自転車レースが始まります。

現在に至るまで世界最大のものである「ツール・ド・フランス」です。

初代ツール・ド・フランス王者の写真/wikipediaより引用

自転車は人々の間に定着していったのでした。

 

日本人は自転車が何かわからなかった

海を越えたヨーロッパでは、大ブームであった自転車。
前述の通り同時代の杉元と谷垣はプルプルしてしまい、ろくに乗れておりません。

たしかに幕末、外国人居留地には自転車が持ち込まれていました。

外国人居留地であった長崎の絵葉書/wikipediaより引用

とはいえ、庶民にとってはワケがわからない存在なのです。

乗り物という認識すらなく、激突する事故が多発。
明治3年(1870年)には大阪で、自転車の路上運転が禁止されたほどです。

ブームからはほど遠い状況でした。

この同年、東京では竹内寅次郎という人物が「自転車」という言葉を生み出しました。
許可を得て、製造しようと思い立ったのです。

明治10年(1877年)。
石川孫右衛門がアメリカからの自転車を輸入し、日本初のレンタサイクルを開始します。

これがかなりの人気を博し、同時期、この自転車に目を付けた職人たちがおります。

廃刀令」で商売あがったりになりそうな、刀鍛冶たち。
彼らは刀から自転車へ、金属加工技術の発揮先を変えようとしたわけです。

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そしてついに梶野仁之助が、明治12年(1879年)、日本初の自転車製造・販売を始めることとなります。

国産自転車への道のりは遠いもの。
当時の自転車店は、修理が中心でした。

 

自転車はリッチな証だった

明治20年代ともなると、自転車がぼちぼちと普及し始めます。
アメリカからの輸入品がほとんどです。

その価格は現在の貨幣価値で500万円ほど!
そりゃあ杉元や谷垣のような、一般家庭出身者では乗れたはずもありません。

当時の家族写真には自転車がよく映っています。
それは、
「自転車を買えるほど、我が家はリッチです!」
というアピールなのですね。
鯉登家の家族写真に自転車が映っていても、何ら不思議はないでしょう。

昭和33年(1958年)の廃止まで、自転車には所有税すらかかっていたほど特別な存在。
明治20年代末期からは、自転車レースも開催され、若者たちが歓声を送りました。上野不忍池は、自転車レースの熱気が溢れていたとか。

彼らは華族や大商人の子弟ばかりです。
当時のスポーツ振興を支えていたのは、鯉登や『いだてん』に登場する三島弥彦のようなボンボンたちでした。

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同時期、海外から自転車で曲乗りをする外国人が来日したこともあり、サーカスの目玉として定着してゆきます。
山田サーカス団も、こうしたブームにあやかっているわけです。

杉元たちが山田サーカス団公演を終えて、年号が大正に変わりますと、それまで男性のものであった自転車が女学生へも普及し始めます。

時代がくだるにつれ、自転車は庶民的な乗り物として当然のものとして、生活に欠かせないものとなりました。ずいぶんと時間がかったのですね。

20世紀初頭の自転車/wikipediaより引用

 

大人気漫画およびアニメ作品『弱虫ペダル』によって、自転車ブームが到来。
それからかなりの時間が経っています。

実はこのブームが、初めての自転車ブームではありません。
色々とカタチを変えながら、私たちの暮らしに大きな影響を与えて来ました。

当たり前すぎる乗り物だけに、さして注目は集まらないかもしれません。が、人の暮らしと関わり、変えてきた、そんな乗り物でもあるのです。

自転車のペダルを踏みながら、明治の人はこんなことができなかったのだなぁ……なんて思いを馳せてみるのもよいかもしれません。

文:小檜山青

【参考文献】
どんどん進化する!自転車の大研究―しくみ・歴史から交通ルールまで』谷田貝一男、自転車文化センター
自転車に乗る漱石―百年前のロンドン (朝日選書)』清水一嘉
女性のためのサイクリングガイド

 



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