司馬遼太郎(故人につき敬称略)という作家は、現在でも絶大な人気を誇っています。
2017年秋には彼が原作の映画『関ヶ原』が公開され、注目を集めました。
私も彼の作品は愛読していました。
寝る間も惜しんでむさぼるように読みたくなる、圧倒的なおもしろさがありました。
ところが現在になって彼の著作を読み返してみると、何か違和感をおぼえてしまうのです。
引っかかってよくよく調べてみると、彼の著作に書かれている「史実」はまったくの創作であったとわかるわけです。
私はあの歴史上の人物の実像ではなく、創作された姿を読んで面白がっていただけなのかと、ガッカリするような、虚しいような気がします。
『司馬遼太郎が描かなかった幕末』の内容は、まさにこの「虚しさ」そのものです。
もくじ
「高杉晋作武勇伝三点セット」が史実ではないなんて!
本書で取り上げられている人物は、吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作です。
正直に書きますと、私は本書を読んでいる間、何とも言えない辛さも感じていました。
夢中になってページをめくった、彼らが主人公の小説。
あの夢中になっていた時間を否定されたようで、虚しさが押し寄せてきたのです。
本書には、かつての自分と同じような思いを抱く男子大学生が出てきます。
◆将軍しかわたれない御成橋をあえて渡った
◆白昼堂々箱根の関所を破った
◆孝明天皇の賀茂行幸の折、「征夷大将軍!」と声を掛けた
この「武勇伝三点セット」が大好きだと語る相手に、筆者が「それはすべて創作ですよ」と指摘したところ、相手は「ならば、高杉晋作って他に何が評価できるんですか?」と問うてきた、とのこと。
彼の気持ちはわかります。
いや、それだけが功績ではないのですけれども、かつての自分もこの部分を繰り返し読み、晋作に憧れていたのです。
彼にとってはきっとこの「武勇伝三点セット」に、晋作のカッコよさが凝縮されていたんだろうなあ、わかるよ~、と肩を叩きたくなります。
痛快エピソードが歴史を揺るがしたように魅せる
司馬作品が厄介なところは、このような痛快なエピソードが、やがて歴史を揺るがしたかのような繋げ方をしているところだ、と筆者は解説します。
「将軍野次事件」がきっかけで政局が複雑化し、なんやかんやで幕長戦争が起こる、という流れにしている。
こういう書き方をされると、ひとつひとつの武勇伝がものすごく重要な意味を持っている気がしてしまう、と指摘するのです。
ここで私の意見を付け加えると、自分や大学生も含めて読者が「武勇伝」を重視する理由は、キャラクター性が崩れるという問題点もあると思います。
「武勇伝三点セット」がある晋作と、ない晋作とでは、どうしても性格が異なるように思えてしまいます。
好きだった相手の性格が、思っていたのと違ったような、そんなガッカリ感がわいてくるのです。
司馬遼太郎の創作テクがあぶり出されます
本書はこのように、幕末のヒーローたちの虚像と実像の差を丁寧に埋めてゆくのですが、その過程で司馬遼太郎の読者を引き込むテクニックがあぶりだされます。
言い方は悪いけれども「騙しのテクニック」とも呼べるかもしれません。
・都合の悪い話は書かない
・作者の強調したい表現を何度も繰り返す
・経緯を省いて大きく歴史が動いたように見せる
手元を隠していきなり空中にハトを出現させるマジックショーのような、そんなテクニックが見えて来ます。
本書は幕末のみを扱っていますが、同じトリックを使っているのであれば、他の著作も気をつけて読まねばならないでしょう。
「功山寺決起」はおかしい?
こうした司馬遼太郎のテクニックに騙されて、そしてがっかりする程度ならば害はありません。
本書はそれだけではすまない現象も記しています。
その一例が「功山寺決起」です。
元治元年12月15日(1865年1月12日)に、高杉晋作が挙兵した事件であり、実際の挙兵地は下関の馬関なのですが、どういうわけかそれがいつの間にか長府の功山寺でのことにされていきました。
現在はどちらも下関市に入りますが、当時はまったく別の町でした。
そしてとどめが、ベストセラー『世に棲む日々』での章タイトルに「功山寺決起」と使われてしまったことだ、と筆者は指摘します。
この作品の発表後には立派な晋作の銅像まで造られてしまったわけです。
これは司馬遼太郎だけが悪いわけでもなく、歴史と観光に結びつけたい各地で陥りかねない現象ではあります。
観光客が楽しみたい歴史と、実際の歴史をどうすりあわせるか。
難しい点です。
司馬作品への思いがクールダウンされども
本書を読み終えたあとの気持ちというのは、複雑です。
よい読書体験だったという気分もあれば、好きなものの実像を知ってしまった虚しさもあります。
そういえば『竜馬がゆく』を読んだとある人が、
「竜馬に私と寝たらスポンサーになってあげる、って持ちかける金持ちマダムいるじゃん。なんか『島耕作』に出てきそうだよね」
と言ったことを思い出してしまいましてね……。
聞かなかったことにしたかったのですが、本書を読んだら何故か再びアタマの中に蘇ってしまい、心が冷え冷えとしたものです。
なんだか司馬遼太郎を貶めてしまうようなレビューになりましたが、本書も私の意図もそう単純なものではありません。
歴史の魅力、可能性を大きく切り拓いたという点では、偉大な作家であることは間違いなく、多くの歴史ファンが司馬遼太郎から旅立ち、そして様々な史実に触れ、日本の歴史もまた成長していったハズです。
幕末史の復習にも、おすすめの一冊です。
文:小檜山青
【参考】
『司馬遼太郎が描かなかった幕末 松陰、龍馬、晋作の実像 (集英社新書)』(→amazon link)