人斬り半次郎こと桐野利秋/Wikipediaより引用

幕末・維新

桐野利秋(中村半次郎)は幕末最強剣士!?「人斬り半次郎」と呼ばれた生き様

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会津若松城では泣きに泣いた

ところが、実は大久保が赤松の監視を命じており、赤松暗殺も半次郎単独の突発的な犯行ではないのです。

これは大久保らの指示を背景にした半次郎の犯行でしょう。
武力倒幕派であった西郷が関知しなかったとも、言い切れないのです。

わかっていること。
それは、半次郎が赤松殺害を悔やんでいたことです。

「赤松先生が死んでしもたとは、残念なこっです……」

遺体は葬られ、多数の薩摩藩士が弔いました。
藩主・島津忠義は、弔慰金三百両を遺族に贈っています。

この件に関して、薩摩藩士の間では厳しい箝口令が敷かれ、あまり世間で話題になることもありませんでした。ことの真相が明らかになるのは、大正8年(1919年)、事件から半世紀以上経てのこととなります。

人斬りを呼ばれた理由の一端が、おわかりいただけたでしょうか。
名前のイメージほど斬っていないにせよ、この赤松暗殺の一件だけでも、斬ると言ったら、西郷でも止められない。

・「刀を抜いたらただでは収めるな」ですらなく「斬ると決めたらただで収めるな」という思考回路
・師弟の縁を切れば斬ってもよいというおそろしい理屈
・ピストルを構えようとした相手を、即座に切り捨てる薬丸自顕流の威力

このあたりが非常に強烈な印象を残すものでして。そりゃ人斬りと言えてしまうのも納得感があります。

ただし、これは突発的な犯行ではなく、薩摩藩上層部の以降を受けてであることは、確かなのです。

半次郎は、指揮官としての能力を戊辰戦争で発揮しました。
赤松の弟子の中には、戊辰戦争に乗り気でなかった者もおりましたが、中村はそうではありません。

しかも、彼はただの冷血漢というわけではありません。

戊辰戦争で転戦した折には、会津若松城開城跡の受け渡しの際、泣きに泣いたとされています。

彼の脳裏にあったのは、島津義弘父子が豊臣秀吉に降伏したときのこと。
会津藩の気持ちを義弘父子に重ねてしまい、涙がこらえきれなかったのです。

 

それは「桐野の戦争」だったのか

明治維新のあと、桐野利秋と改名。
陸軍少将にまで出世しました。

藩閥政治の結果というよりも、それだけの実力があったのでしょう。

そして明治6年(1873年)、征韓論が原因となって西郷が下野すると、桐野も彼について鹿児島に向かいます。
地元で畑を開墾をし、私学校で指導をしながら過ごすことになったのです。

もちろん、そのままでは済まないワケで……。

現政府への不満から、立て続けに不平士族の反乱が勃発。
迎えた明治10年(1877年)、西郷らのいる薩摩において「火薬庫襲撃事件」が起き、「西郷暗殺計画」が桐野にも伝わりました。

暗殺計画まで立てられて、桐野のような男が、どうしておめおめと引っ込むことがどうしてできましょうか。

かくして暴発する桐野らに引きずり出されるようにして、西郷は戦争に身を投じることになってしまったのです。

鹿児島暴徒出陣図・左上のほうに桐野利秋の名が見える/wikipediaより引用

後に、
西南戦争は桐野の戦争だった」
とまで言われたりします。

本当にそうだったのか……暴発しやすい短気というイメージがある桐野に、西郷をかばうために、責任を背負わせている面があるのでしょう。
意見が暴発するような局面では、誰か一人の責任を問うのは難しいわけです。

大西郷になすりつけることは、憚られる。

そこで選ばれたのが、桐野利秋であるように思えてなりません。
「人斬り半次郎」
というイメージも、こうした事情から膨らんだものでしょう。

桐野は、最期まで西郷に付き従った側近の一人でした。
敬愛する西郷の死を見届けています。

そして1877年9月24日、額を撃ち抜かれて戦死しました。
享年40。

西南戦争を描いた錦絵、桐野の姿も見える/wikipediaより引用

 

桐野のシルクハット

人斬りというイメージが先行し、どうにも印象が悪化してしまった桐野。
しかし、彼には南国薩摩の愛すべき「ぼっけもん(大胆な人、乱暴者)」の一面がありました。

彼はお洒落で、身の回りの品には気を配っていました。
ドラマ『西郷どん』ではボロボロの布切れに身を包む、極貧少年の姿で登場しましたが、実際は美意識が意外にも高いのですね。

軍服はオーダーメイドのフランス製。
金の懐中時計。
腰のサーベルは、銘刀・正宗を仕立て直したもので、金の鍔に銀の鞘がきらめくというもの。
体からは、フランス製香水の芳香が漂っていました。

そんな桐野は、西南戦争の最後となった「城山の戦い」において、なぜかシルクハットをかぶっておりました。

準備も十分でないまま始まった西南戦争では、服まで不足していました。
桐野は鹿児島の官舎から紳士服を略奪していたのですが、そこにシルクハットが混じっていたのです。

城山の激戦の最中、場違いなシルクハットを被っていた桐野。
悲惨な戦いですが、ちょっとユーモラスでもあります。

と同時に彼は「シルクハットの持ち主が誰なのか」、そんなことを気にしていました。

捕虜の中に、県庁職員がいると知ると、持ち主について尋ねます。
そしてその捕虜に、服を借りたことを詫びる書状を託して解放したというのですから、几帳面というか、何というか……憎めない。

人斬り、無教養、猪武者といったイメージが強いようでいて、情に篤い面や義理堅い面も備えた桐野。
西南戦争を背負わされて割を食っている部分がある人物です。

本当に人斬りであったのか、それとも他の部分があるのか。
現在もその像の解明が進んでいます。

文:小檜山青

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【参考文献】
国史大辞典
『薩摩の密偵 桐野利秋―「人斬り半次郎」の真実 (NHK出版新書 564)』(→amazon link
赤松小三郎ともう一つの明治維新――テロに葬られた立憲主義の夢』(→amazon link
『幕末維新なるほど人物事典―100人のエピソードで激動の時代がよくわかる (PHP文庫)』(→amazon link

 



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