徳川慶喜/wikipediaより引用

幕末・維新

『西郷どん』で低評価だった慶喜像を覆す! 英仏も惚れたタイクーンとは

「いやあ、無責任将軍様がトンズラこいたがら。おれ如き一家老が大坂城代になっちまった! たまげたべしたあ!」
(慶喜テメエ何逃げてんだコラ、ふざけんじゃねえ by山川浩

2013大河『八重の桜』の小泉孝太郎さんは、こういうソウルフルで魅力的、でも会津からすればクズな慶喜を好演しました。

一方、西郷どんでは、せっかくの松田翔太さんという逸材が、ああもマヌケに描かれ、どうにも歯がゆいところなのです。

 

王者の贅沢ライフとその引き際

このあと、山川はどうなったか。
それについて慶喜とからめて少し見ておきたいと思います。

会津藩は敗北後、明治2年(1869年)に不毛の地・斗南藩に流刑同然で流されます。
そして容保の子・容大にかわり、実質的に藩を支配したのは山川でした。

松平容大/wikipediaより引用

しかし会津は、困窮のあまり苦労しかありません。
山川家がこっそりおからを買い占めただけで藩士から糾弾されまくるという、悲惨な生活を送ることになります。

このあとも山川は苦労続きですが軍人として活躍。
西南戦争で大躍進をしたこともあり、陸軍少将への昇進が決まります。

それでも山川家は、東京在住の元会津藩士の支援にお金がかかったせいで、ずーっと貧乏でした。

山川少将出世の際には、長州の山県有朋が、
「山川は会津出身じゃねえか」
とクレームつけたとか。

しかし山川はこう言い返します。

「佐幕藩家老のおれですら苦労したのが明治だべした。んだらよ、将軍なんかさぞや苦労したと思うべ? そうでねえんだなあ、これが」

そうです。
慶喜はそういう苦労はほとんどしてないんです。

なんせ徳川家の領土である静岡に引っ込むと、慶喜は趣味人になっています。

写真・狩猟・投網・弓術・囲碁・謡曲・サイクリング・釣り・顕微鏡・油絵・手芸(刺繍)等。
お金は当然かかりますが、財産は腐るほどあるので問題ない。

狩猟姿の慶喜/wikipediaより引用

弓を引く慶喜/wikipediaより引用

食生活も充実です。

この時代に好きな食べ物が豚肉・パン・牛乳。
おから程度で糾弾された山川からすればヌグググ……ですよね。

そんな慶喜を家臣は「貴人は情けを知らねえ」と貶すこともあったのですが、実はそういう単純な話でもないようです。

想像してみてください。
前将軍、しかも若く賢く、精力あふれる慶喜周囲に、幕臣が集まってきたら?

それだけで不穏ではないですか。不平士族の反乱なんかも起こる時代に……。
新政府から睨まれないためには、趣味人として呆けることこそ、最も賢いのです。

カリスマ性すら消えた晩年は、お飾り議員として君臨。
彼が憧れたナポレオンや、ナポレオン3世と比較しても、スマートな元王者だとは思いませんか?

 

これからの慶喜は脳内補正で見ておきたい

当時、世界屈指の列強イギリス&フランスの老練な政治家すら、ブラボーと屈服した優美さ。
島津久光松平春嶽すら圧倒してしまう、高い政治力。
明治政府も警戒するだけで、リッチ趣味LIFEを見守るしかなかった、処世の巧みさ。

彼はまるで、スフィンクスのような、とらえどころのない大物です。

1867年大坂での慶喜/wikipediaより引用

人間的な好き嫌いは分かれるかもしれませんが、チンケなクズとしてはとても描けない、巨大で深淵な男であることは間違いありません。

それが『八重の桜』では、巧みに表現されていたんですけどね。

ざっと

◆遺伝した父・徳川斉昭の強烈さ
◆カリスマ性
◆容貌の優美さ
◆西洋軍服が似合うスタイルの良さ
◆雄弁性
◆政治力
◆頭の良さ
◆頭が良すぎて不誠実にすらなる部分!

こうした部分を上手に描いていたのに対し、西郷どんの慶喜はさすがにトンチンカンすぎるんでは?と突っ込まざるを得ません。

最後にもう一度いいます。
徳川慶喜は「クール」だろうと「クズ」だろうと、その規模がデカイ!

日本史上屈指、いや世界史上に出すべきレベルであり、幕末大河に出演させるなら「一人だけチートキャラ」ぐらいでちょうどよいのです。

実際、そんな慶喜としのぎを削る西郷の方が、結果的に西郷自身の評価も上がって良いのでは?

西郷どんをご覧になられた皆さんは、今からでもグレートな慶喜公を脳内補正でよろしくねっ!

文:小檜山青

【参考文献】
『慶喜のカリスマ』(→amazon
『明治維新とは何だったのか: 薩長抗争史から「史実」を読み直す』(→amazon
『もう一つの「幕末史」』(→amazon

 



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