幕末・維新

「ワシは清正公に負けた」と西郷が嘆いた熊本城の戦い~西南戦争

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「わしは官軍ではなく、清正公に負けたのだ」

熊本城が薩摩軍のものになっていたら、勝つ見込みがあった――そう考えたのでしょう。

確かに「薩摩側が有利かもしれない」という見方が広まれば、他の不平士族たちも集まってきたでしょうし、さながら大阪の役と似たような戦いが熊本城で起きたかもしれませんね。

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一方この頃、熊本近辺での戦いでデカ過ぎるトラウマを作った人もいました。

これまた日露戦争の有名人である乃木希典です。

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彼はこのとき既に一隊を率いる立場になっていたのですが、薩摩軍との攻防で軍旗を奪われてしまったということがありました。

 

自殺を計るほどの心理的ダメージを負った乃木希典

以前、鳥羽・伏見の戦いでお話しましたように、軍隊にとって旗は誇りの象徴のようなもの。それを敵に奪われるということはとてつもない不名誉です。

それまでの働きは決して悪くなかったのですが、元々責任感が強く真面目な乃木ですから、西南戦争の総司令官だった山県有朋山縣有朋)に直接謝罪の手紙を書いています。

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山県も事情がわかっているので、
「処罰はしないし、戦なんだから気にすんな」(超訳)
という返事を著します。

乃木の自責は止まず、何度も自殺を図ったそうです。

それを児玉が見つけて止めたこともあったとか。今で言うPTSDやASDに近い状態でしょうかね。

源平や戦国時代の戦は遠い時代のこと過ぎてこういうことを考える機会はあまりないですけれど、明治あたりになると生々しさが増すというか、また違った重みがありますね。

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典「西南戦争」
『幕末維新大人名事典(新人物往来社)』(→amazon
『全国版 幕末維新人物事典』(→amazon
熊本城
公式ホームページ
西南戦争/Wikipedia

 



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