木戸松子/Wikipediaより引用

幕末・維新

木戸松子(幾松)の波乱な生涯 デキる美人妻は夫・木戸孝允をどう助けた?

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が、松子はそのたびに協力者に助けられたり、あるいは自身の機転によって危機を乗り越えました。

一つところにいた時期はそう長くないので、「留守を守る」というイメージではありませんが、夫の情報と命を立派に守っていたわけですね。

当然その苦労は並大抵のものではなく、やっと木戸と再会できたときも横を向いたままだったとか。

もしかしたら嬉しすぎて何も言えなくて、その照れ隠しだったかもしれませんね。

なんだか……命かかってるのに何か甘酸っぱくなってきた……。

 

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一緒に西洋旅行も計画していたが……

まあそんなこんなでやっと一緒に暮らすことを考え始めたのが、ちょうど明治元年(1868年)頃のことだといわれています。

このへんについては身分何たらというよりただ単純に戊辰戦争などの影響だと思われますが、結婚した日についてははっきりわかっていません。

翌年には東京で暮らし始めており、木戸の日記などから夫婦生活がいくらかわかるようになってきます。

友人の家へ行くとき夫婦揃って出かけたとか、木戸の後輩へ贈り物をしたなど、細やかな配慮をする女性だったらしきことがうかがえます。

木戸にとっても松子はまさに「自慢の妻」だったらしく、ダイヤモンドの指輪を注文したり、一緒に西洋へ旅行する計画も立てていたとか。

松子の服装(洋服)まで気にしていたそうですから、ホントにいつまで経っても仲の良い夫婦だったんでしょうね。

しかし、西洋旅行が実現する前に木戸が亡くなってしまったため、この計画は夢のままで終わりました。

木戸が亡くなった直後、松子は仏門に入って「翠香院」と名を改め、木戸との思い出が詰まった京都へ引っ越しました。

文字通り、夫の墓を守るために後半生を費やしたのです。唯一の楽しみは、木戸の存命中に迎えた養子・忠太郎の成長だけだったとか。

それから九年、望み通り夫との思い出を胸に、松子は彼岸へ旅立ちます。

現代人のイメージする幸せとは全く違いますけれども、見方を変えれば「理想の老後」ともいえるのではないでしょうか。

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
『物語 幕末を生きた女101人』(→amazon
『幕末維新大人名事典(新人物往来社)』(→amazon
『全国版 幕末維新人物事典』(→amazon
木戸松子/Wikipedia
木戸孝允/Wikipedia

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