大名家の子孫って意外と現代まで残っていたりしますよね。
有名なのは首相も出た細川家や、仙台などで歴史系イベントにも積極的な伊達家でしょうか。
となると、さらに大身だったあの家も当然ながら現在に続いています。
慶応四年(1868年)5月24日は、徳川宗家(本家)の十六代当主・徳川家達(いえさと)が「駿河藩主」になった日です。
もう少し幕府が続いていれば、十六代将軍になっていたはずの人ですね。世間からもそのように見られていたらしく「十六代様」と呼ばれることもあったとか。
しかし、彼が生まれたのは文久三年(1863年)という幕末も押し迫った頃。
十四代将軍の徳川家茂が約230年ぶりに上洛したり、薩英戦争が起きたり、いよいよ江戸幕府の終わりが迫っていた頃でした。
-
-
薩英戦争で意外に少ない薩摩の被害~その後イギリスと仲良くなったのは実益から
続きを見る
そのため、彼は新しい時代の徳川家を一身に担っていくことになるのです。
お好きな項目に飛べる目次
遠征中の14代将軍・家茂が二十歳で急死
徳川家達が生まれた時点では、佐幕派の人々が「まだだ! まだ終わらんよ!」と頑張っていた頃です。
そのため家達も、当初は次期将軍候補として育てられておりました。
上記の通り家達が生まれた時点の将軍は家茂なのですが、子供がいなかったので後継者問題が起きていたのです。

幼少の頃の徳川家達/wikipediaより引用
家達は、御三卿の一つ・田安家の生まれです。
血筋をたどれば家茂とも、十三代将軍・徳川家定とも従弟にあたり、血筋の近さから最有力候補とされていました。
-
-
徳川家茂(徳川慶福)勝にも認められた文武の才~徳川14代将軍の実力とは
続きを見る
-
-
徳川家定(十三代将軍)って何だか可哀想……篤姫の夫として期待されるも
続きを見る
家茂も、もちろんそれを知っていましたので、「私に何かあったときは、家達に将軍を継がせてください」と言い残しています。
しかし、いくらなんでもわずか20歳、しかも長州征伐のため滞在していた大坂城で、家茂が亡くなるとは、誰も予想していませんでした。
-
-
長州征伐(征討)がスッキリわかる! 天皇・幕府・外国人の視点も大事だよ
続きを見る
徳川慶喜に代わり、宗家を引き継ぐ
このとき家達はわずか4歳。幼い将軍としては七代・徳川家継の例がありましたが、その在任期間(1713-1716年)とは、まるで状況が異なります。
外国の脅威が迫る中、物心つくかつかないかの幼児をトップに据えていいものか?
幕閣も「さすがにないでしょ……」(超訳)という姿勢でした。
大奥では「家茂様の遺言通りに――」と考える人が多かったものの、家茂の正室である静寛院宮(和宮)が「いや、やはりもう少し年長の方に」と提案。
水戸藩などの有力藩もコレに賛成したため、十五代将軍は一橋家に入っていた一橋慶喜(徳川慶喜)に決まったのです。
-
-
徳川慶喜(一橋慶喜)は家康の再来とされた英邁? ラスト将軍77年の生涯
続きを見る
結果、家達は江戸城に入ることはなく、大政奉還や戊辰戦争といった時代の激流に巻き込まれずに済んでいます。
そして「朝敵」とされた慶喜に代わり、明治政府から「徳川宗家を継ぎなさい」と命じられたのです。
-
-
慶喜と西郷の思惑が激突! 大政奉還が実施されたのになぜ戦争が始まった?
続きを見る
-
-
戊辰戦争のリアルは過酷だ~生活の場が戦場となり、食料奪われ殺害され
続きを見る
まだ五歳でした。
しかし既に政治の中枢ではない家ですから、名を残せば問題ないと思われたのでしょう。完全に取り潰してしまう方が、色々と面倒です。
その年の内に明治天皇に拝謁したり、官位も貰ってもいるので、家達は名実共に徳川家の主となるのでした。
-
-
明治天皇の功績&エピソードまとめ! 現代皇室の礎を築いたお人柄とは
続きを見る
英国へ留学するも近衛家との結婚のため早々に帰国する
翌年六月、静岡藩知事に就任、駿河府中へ移り住みました。
府中が「=不忠」に聞こえて縁起が悪いとして、「静岡」と改名しています。
しかし明治四年(1871年)の廃藩置県によって藩知事の仕事はなくなり、その後はいわゆる「良家のお坊ちゃん」として育つことになりました。
-
-
版籍奉還と廃藩置県と地租改正の違い ややこしい明治の四字熟語をクリアに
続きを見る
例えばイギリスへも留学しております。
学生による模擬議会を見学して大きく感銘を受けたそうで、家達としてはケンブリッジもしくはオックスフォードへの進学を希望しておりました。
が、義母にも等しい天璋院篤姫が家達の結婚を楽しみにしていると知らされ、帰国して近衛家のお姫様と結婚するのです。
-
-
篤姫47年の生涯~薩摩島津家に生まれ 最後は芯から徳川家として生き抜いた
続きを見る
このとき家達は19歳です。
武家の人としては、ちょうどいい年頃だったのですけれども、勉強を断念せねばならない――残念な気持ちもあったことでしょう。そして……。
※続きは【次のページへ】をclick!