幕末・維新

有馬新七「おいごと刺せ!」薩摩でも屈指の激しさだった38年の生涯

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先鋭化してゆく有馬たち

地頭は優秀。ときにエキセントリックな性格。

そんな有馬にとって、幕末の混乱期は肌に合っていたのでしょう。

どんどん思想を先鋭化させてゆきます。

特に1858年は複数の問題が一気に噴出した年でありました。

安政の大獄においては、月照が入水自殺しただけでなく、西郷が島流しにされ、有馬と親しかった梅田雲浜も獄死します。

一方、有馬は「精忠組」の一員として常に先頭を走るような状態です。止められるはずがありません。

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かくして安政3年(1856年)、幕府のやり方に憤激した有馬は、水戸藩士らと井伊直弼暗殺を計画。

途中で島津久光の牽制にあい、この計画からは手を引くと同時に帰国します。

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文久元年(1861年)、造士館訓導師に昇進すると、藩士たちに尊王精神を教え込みました。

それは校風を変えてしまうほどの影響力であり、有馬の教えに大きく感化される者も続出します。

こんな調子で迎えた文久2年(1862年)。

薩摩藩の「国父」こと実質的な指導者である島津久光が、兵を率いて上洛することになりました。

時は今、倒幕すべき――。

有馬は今こそ尊王攘夷派を糾合し、倒幕を実現すべきだと考えます。

そして、それが悲劇の始まりでもありました。

 

倒幕の陰謀、寺田屋にて

1862年に島津久光が上洛すると、倒幕を志す者たちが続々と京都に集まって来ました。

・清河八郎
久坂玄瑞
・品川弥二郎
・寺島忠三郎
平野国臣
・真木和泉保臣
・吉村寅太郎

久光はこうした動きを察知した上で、不快感を募らせます。

倒幕は時期尚早――。

それが彼の考えであり、当の朝廷からも「過激な計画を企む者は始末せよ」と命じられていたほどです。

そのことを伝えても有馬らは止まりません。彼らは覚悟のほどを示すため、以下の計画を練り、京都の寺田屋に集まります。

その内容は、

・京都所司代の酒井忠義と、関白の九条尚忠を殺害する

・相国寺に幽閉されている青蓮院宮(中川宮朝彦親王)を救出する

・青蓮院宮に、倒幕の詔勅を出してもらう

というものです。

ここまで過激な計画を、久光が見逃すはずはありませんでした。

 

「おいごと刺せ! おいごと刺せ!」

4月23日。
その日、有馬は「人生最期の日になる」ということをわずかながらでも感じていたでしょうか。

憤激し、寺田屋に集まった有馬らのもとに、久光は大久保利通海江田信義らを説得に遣わせました。

が、有馬らは応じません。

若さゆえなのか。いくら時期尚早と言われても、盲目的に自身の計画に溺れておりました。

もはや話し合いは意味もなし。時間は終わりました。

久光は、大山格之助(綱良)ら8名の手練れを、鎮撫使として寺田屋へ派遣します。鎮撫とは言うものの、実質的には武力による討伐部隊です。

鎮撫とは、なんてことはありません。要は武力に依る討伐部隊です。

彼ら鎮撫使は、有馬に寺田屋につくと、もう一度だけ有馬を説得しようと試みました。

「有馬さぁはおいもすか?」
「おらん」
やがて口論となり、激昂した鎮撫使の一人・道島五郎兵衛が「上意!」と叫んで斬りつけます。

「ひとたび刀を抜いたら、ただではおさめるな」
郷中教育でそう習ってきた薩摩隼人たちが、刀を抜いてしまったらどうなるか?

瞬時に、寺田屋は、悪夢と化しました。
同じ郷中で学んだ仲間が、精忠組の同志たちが、薬丸自顕流を学んだ猛者たちが、屋内で絶叫しつつ斬り合う――まさに血の池地獄が広がります。

有馬は道島五郎兵衛と組み合ううちに、刀がヘシ折れます。そして相手の懐に飛び込み、組み討ちになりました。

「おいごと刺せ、おいごと刺せ!」

有馬が傍らの橋口吉之丞にそう叫ぶと、これに応じた橋口。

仕方なく、有馬と道島を串刺しにして二人は死亡します。有馬は享年38。

道島は、鎮撫使側唯一の死者となりました。

有馬ら寺田屋事件(1862年)の死者は、上意に逆らった者として蔑まれる存在となりました。

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その名誉が回復されるのは、約30年後、明治24年(1891年)のこと。

明治政府より従四位が贈られ、彼らの名誉はようやく回復されるのです。

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文:小檜山青

【参考文献】
国史大辞典
『幕末維新大人名事典(新人物往来社)』(→amazon
『全国版 幕末維新人物事典』(→amazon

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