孝明天皇/wikipediaより引用

幕末・維新

開国に反対していた孝明天皇の不審死~岩倉による毒殺説はなさそうだが

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不審死した孝明天皇
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「浄」「不浄」について敏感な朝廷

もともと皇室というのは「浄」「不浄」についてとても敏感な社会です。

たぶん孝明天皇も「西洋医学では患者の体を切ったり縫ったりすることがあるし、ときには腹を切り開くこともある」ということは聞いていたのでしょう。

となると「天皇の体に一般人=不浄の可能性が高い者が触れるおそれがある」ということを懸念されたのかと。

外国人が入ってくることを嫌ったのも、国そのものを象徴する立場である孝明天皇からすれば、自らの身体を蹂躙されるように感じたのかもしれません。

薩摩藩あたりがこの辺に気付いて、もうちょっと柔軟に対応できていればなぁ……。孝明天皇の先生である了三は薩摩藩にもツテがありましたし。

あるいは出島のように「外国人の居留・通商は離島に限る」方針だったらもう少し態度を軟化させたかもしれません。

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【薪水給与令(外国船に薪と食料・水を供給するだけ)】と通商条約の間にもうワンクッション置いて、孝明天皇や朝廷を粘り強く説得するとか。

それはそれで西洋諸国との折衝に骨が折れそうですが、本来幕府はそこに力を注ぐべきだったでしょうね。

そうしたら、幕府自身の延命にも繋がったかもしれませんし。

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大久保や岩倉は孝明天皇と意見を異にし……

孝明天皇は、松平容保を厚く信用しておりました。

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武家に対して全てが嫌いというわけではなかったのでしょう。

おそらくや相応の人物が折衝役になっていれば、ソフトランディングは充分可能だったのではないでしょうか。

しかし、この頃になると、孝明天皇の攘夷や公武合体を望む方針に反対する人々が現れ始めました。

大久保利通岩倉具視

「お上が国内の争いの元である」
「天下に対して孝明天皇が謝罪し、信頼を取り戻すべき」

とまで主張していた模様。

それこそあべこべというか、天を天とも思わない所業というか……。

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さらに慶応二年(1866年)。
追放されていた尊王攘夷派公家の復帰を求めて廷臣二十二卿列参事件が発生します。

これも無事に退けましたが、その年の年末12月25日、孝明天皇は35歳という若さで崩御してしまうのです。

死因は天然痘ということになっておりますが、あまりにもタイミングがアレなので、暗殺説がいくつか出ています。

病気の進行状況としては、亡くなる2週間ほど前から風邪をひいていて、治りきらないままのまま神事を行って発熱したのがきっかけ。

宮中の医師が診察や投薬を行っても回復に向かわず、天然痘の疑いが持たれ、改めて天然痘の診察経験がある医師が呼ばれました。

それから医師15人による24時間体制での診察が続き、12月25日に痰がひどくなり、その日の午後11時頃亡くなったということになっています。

公的な記録では一時回復の兆しがあったように書かれていることから、にわかに毒殺説も囁かれ始めました。

孝明天皇は基本的に身体頑健で、風邪もほとんどひかなかったといいます。

そのため公家の中には「風邪の心配もないほど健康でいらしたのに、痘瘡と聞いて驚いた」と日記に書いている人もいて、当時から不審に思われていたのです。

 

毒殺説は下火となるも、では、どこから天然痘に感染?

孝明天皇の真の死因は一体何なのか?

そんなミステリーも、明治時代に入ると皇室に疑問を抱くこと自体がタブー視されるようになり、近い時代には事実の究明が行われませんでした。

解明に重きを置くのなら、これはあまりにも手痛いことです。

現代の事件だって、時間が経てば経つほど証拠や証言は取りにくくなりますよね。

かくして戦後、皇室に対する“聖域”が少し薄れ、学者先生方の間で孝明天皇の死因が議論されるようになりました。

ヒ素による毒殺説はその中でも支持者が多かった説です。実行犯候補としては、岩倉具視が筆頭でした。

まぁ、確かに倒幕派の中には、孝明天皇や皇室への経緯が見えない・薄い人物がチラホラいますからね……。

その後、12月20日以降に医師たちから典侍=孝明天皇の側室である中山慶子(明治天皇の母)へ「数日中が山場である」という説明をしていた書簡が見つかりました。

また、慶子宛の書簡に公的記録と違った容態が記載されていることも判明します。

つまり、公的な記録のほうは表向きに発表する内容を記したもので、実際は違ったということになるわけです。

これにより毒殺説は下火になりました。

ただし「基本的に宮中から出ない孝明天皇が、どこから天然痘に感染したのか」という謎は残ります。

この時期、宮中や京都で他に感染・発症者はいたんですかね?

実は、父の仁孝天皇も「皇族や公家のための教育機関(学習院)」を設置することが決まった直後に不自然な急死をしています。

孝明天皇だけでなく、根はもっと深いところにあるのかもしれません。

もしかしたら、天皇の死因を探らせないための聖域化だったりしてゲフンゴホン。

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
『幕末維新大人名事典(新人物往来社)』(→amazon
『全国版 幕末維新人物事典』(→amazon
孝明天皇/wikipediaより引用

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