Fate/Grand Order セイバー/沖田総司(→amazon link

幕末・維新

沖田総司は新選組の最強剣士か? 享年27で夭折した一番隊組長の生涯

こちらは4ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
沖田総司
をクリックお願いします。

 

お好きな項目に飛べる目次

斜陽の日々

元号が慶応年間となりますと、新選組の歴史に影が落ち始めます。

新選組は幕府と会津藩の下部組織であり、上の勢いが翳ればそうなるのは不可避です。

それでも彼らの戦いは続きます。

なまじ新選組は有名であるだけに、彼らが関与していない乱闘や殺傷事件でも、責任を押し付けられ、不明点が多い。

それでも沖田含めて隊士が事件に関与し続けたことは確かです。

もっとも、かつて彼らの犯行とされた坂本龍馬殺害は、現在では否定されています。

指示者は松平容保であり、実行犯は見廻組とされています。

坂本龍馬が暗殺されるまで駆け抜けた33年激動の生涯~暗殺犯は誰だ?

続きを見る

そうした京都での隊内での活動は活発でも、幕府権威の失墜ゆえに実現できなかったこともあります。

最大のターニングポイントは【長州征討】の不完全燃焼でした。

長州征伐(征討)がスッキリわかる!幕府、孝明天皇、外国人の視点も大事だよ

続きを見る

あれさえ完遂していれば倒幕は回避できたのではないかと、明治になってからも幕臣が振り返っているのです。

そんな激動の慶応3年(1867年)、沖田総司自身の命も転換点を迎えます。

無駄口を叩き、京都でも試衛館のことを思い続ける、そんな明るい沖田。病状悪化がはっきりと認識され記録されるようになったのは、この年のことでした。

幕府の命運が差し迫ってゆく中、一人の青年も死へと直面していきます。

新選組幹部が幕臣に取り立てられてゆく中で、彼は命の終わりと向き合うことになるのです。

秋の御陵衛士を始末した【油小路事件】に、永倉新八斎藤一は出動しています。

もしも沖田が健康体であれば、彼もいたことでしょう。しかし、もはや彼にはそれだけの体力はありませんでした。

それどころか、御陵衛士は病気療養中の沖田殺害を狙っていたという記録もあります。それが叶わないと悟った御陵衛士は、標的を近藤勇にシフト。かくしてこの年の暮れ、近藤勇は狙撃により負傷するのでした。

激怒した沖田は、襲撃犯を全員始末してやる!と息巻くものの叶わぬ望みでした。

年が明け、【鳥羽伏見の戦い】において新選組を含めた幕府軍は大敗を喫します。新選組隊士は、富士山丸に乗せられて、江戸を目指して海を揺られてゆくのです。

ここでも沖田は、寝たきりでありながら冗談を言い、笑ってばかりいました。

「笑うと、あとから咳が出ていけねえなぁ」

そう沖田が語るのを聞き、近藤は驚きました。

あの若さで、ああも死に対して悟りきっているとは珍しい――妻にそう語り残したそうです。

 

最期のとき

江戸に辿り着いた新選組には、さらなる困難が待ち受けていました。

西郷隆盛と会談した勝海舟にとって、敵意を煽り立てる新選組は邪魔な暴力装置でしかありません。そこで【甲陽鎮撫隊】の名目をつけて江戸から追い払います。

新選組はここで大敗を喫し、永倉新八や原田左之助は近藤を見限りました。

沖田はそうした騒動に参加すらできません。

途中で立ち寄った佐藤彦五郎邸では、相撲の四股を踏んでアピールしたという証言もありますが、無理をしていたのです。日野から先は、ついていくことすらできなくなりました。

幕臣である医師の松本良順に匿われ、療養するしかない。もはや戦えぬ沖田は、新選組隊士たちと別れる他なかったのです。

姉・ミツと林太郎は、転戦し庄内藩へ向かっており、弟の見舞いもできない状態。

沖田は孤独でした。

2月になり、江戸でも梅がほころび、春が迫る中。沖田は千駄ヶ谷・植木屋平五郎の家に移ります。

彼にとって、短い命を終える場所でした。

ここで黒猫の話に触れておきましょう。

沖田の死の数日前、黒猫を斬ろうとして斬れないと嘆き、そのまま倒れて亡くなったというものです。

これは創作であるとされています。

◆黒猫が不吉という印象は、西洋由来ではないか?

→化け猫伝説はありますが、招き猫伝説もある。黒猫を不吉なものとみなすのは、明治以降のイメージが根強い

黒猫はむしろ病気療養に効くとされており、その願いを込めて飼育した可能性があります。

そうだとすると、殺す必要はありません。効かないから八つ当たりで斬るというのはありえますが。

◆肺結核を悲劇的とするのはいつからか?

→これも明治以降、徳冨蘆花の『不如帰』といった文学由来でもある。黒猫は、そんな悲劇的イメージを演出する小道具的存在

沖田総司は夏の暑さの中、5月30日(新暦7月19日)、短い生涯を終えました。

享年27。

近藤勇よりやや遅れ、土方歳三が函館で戦死するよりも前のことでした。

近藤勇の刑死を、病床の彼には伝えられなかったとされます。

沖田総司が最期まで気にかけていたことは、黒猫ではなく、近藤勇狙撃犯を斬ることでした。

「虜輩を斬るにあたりては、万(すべ)て狩るのみ――」

くだらぬ者を斬るのであれば、全て狩るだけだ!

死の直前まで、近藤勇襲撃犯を罵る言葉を口にしていたと伝わります。

稽古をつけてもらう者が恐れるほどの気の強さは、最期の時まで沖田総司に残されていたのです。

フィクションでは、儚げな美青年としての印象が強い沖田総司。

短い生涯であるだけに、写真もなければ本人が語り残すこともなく、イメージの修正も難しいようではあります。

そうしたイメージを取り払うと、そこにあるのは等身大の青年像があります。

冗談を好み、血気盛んで、死を悟るようで、近藤の仇討ちのために生きたいと願う――そんな人物。

あまりに血腥い人生であることは確かですが、幕末という時代を考慮すれば仕方のないことでしょう。

動乱の時代を生きた青年像は、色あせることなく、現在まで伝わっているのです。

あわせて読みたい関連記事

近藤勇は新選組で何を成し遂げたかった?関羽に憧れ「誠」を掲げた苦闘35年

続きを見る

土方歳三35年の生涯まとめ! 生き急いだ多摩のバラガキは五稜郭に散る

続きを見る

永倉新八77年の生涯まとめ! 新選組の最強剣士は激動の幕末を駆ける

続きを見る

斎藤一72年の生涯まとめ! 謎多き新選組・最強剣士は会津に眠る

続きを見る

徳川家茂(徳川慶福)勝にも認められた文武の才~徳川14代将軍の実力とは

続きを見る

精忠組(誠忠組)とは? 西郷・大久保らの主要メンバーが薩摩を動かす

続きを見る

勝海舟77年の生涯まとめ【年表付】いつドコで生まれ維新後は何をしていた?

続きを見る

福沢諭吉67年の生涯をスッキリ解説!強烈な武士の誇りを持ち続けた偉人の素顔

続きを見る

「幕末の賢侯」と呼ばれた徳川斉昭はデキる!されど精力的過ぎて問題も多し

続きを見る

孝明天皇を知れば幕末のゴタゴタが超わかる! 謎に包まれがちなその御意志

続きを見る

坂本龍馬が暗殺されるまで駆け抜けた33年激動の生涯~暗殺犯は誰だ?

続きを見る

禁門の変(蛤御門の変)御所に発砲した長州と天皇の意を汲んだ会津の因縁が

続きを見る

新選組の天然理心流はナゼ殺人剣法に?幕末関東は『リアル北斗の拳』だった

続きを見る

薩摩示現流&薬丸自顕流の恐ろしさ! 新選組も警戒した「一の太刀」とは

続きを見る

長州征伐(征討)がスッキリわかる!幕府、孝明天皇、外国人の視点も大事だよ

続きを見る

江戸時代以前の乳幼児死亡率が異常なのはナゼ? 大名家の子も多くが亡くなった

続きを見る

【参考文献】
相川司『沖田総司』(→amazon
菊地明『沖田総司の生涯』(→amazon
平野勝『多摩・新選組紀聞』(→amazon
国史大辞典
『角川日本史辞典』

TOPページへ

 



-幕末・維新
-,

Copyright© BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) , 2020 All Rights Reserved.