安藤信正/Wikipediaより引用

幕末・維新

安藤信正が襲われた「坂下門外の変」背中に受けた傷が政治的致命傷となった

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安藤信正と坂下門外の変
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桜田門外に続いて、また水戸浪士か!

しかし、こうした信正の苦労が通じない不届き者も世間には存在していました。

あっちこっちの反幕府派です。

そして年明け間もない1862年の1月15日、登城中の信正に水戸浪士の一団が襲い掛かりました。

襲撃犯の中に医者がいるあたり、殺る気の程がうかがえます。

その意欲を他のところに向ければいいのに……。

しかし、直弼が暗殺されて以降、幕閣のみならず大名の警護は一段と厳重になっていました。

参勤交代時の大名行列とまではいかないものの、このときの信正も数十人のお供がついていたため、たった数名だった浪士たちはあっという間に返り討ちに遭います。

しかし完全に防ぎきることはできず、信正の乗った駕篭に銃撃や刀が突き刺さり、信正は背中に軽傷を負いました。

これが彼の運命を決めてしまうことになります。

 

軽傷も背中に傷が政治的に大ダメージ

武士にとって背中の傷は一生の恥でした。

「敵に背中を向けていた」=「逃げようとした」ことになるからです。

これと上記の「喧嘩両成敗」が結びつき、信正は「敵前逃亡とは武士にあるまじき行動!そんなやつに老中は任せられん!」という滅茶苦茶な理由で罷免されてしまいました。

一時の恥にこじつけ、それまでの実績を一切無視してクビとか正気の沙汰じゃありません。

こうして縁の下の力持ちだった信正は、罷免された上に半年後には隠居+蟄居(無期限の外出禁止)をくらうという理不尽な目に遭ってしまうのです。

もし家茂がこの頃もう少し年長で、自分の意思で幕政を取り仕切ることができていたら、止めることもできたかもしれません。

しかし、残念なことに将軍後見職という名のお目付け役に頭を抑えられていたため、それはかないませんでした。

信正が中央から去って以降の幕府にはもはや混乱を収める力はありませんでした。

生麦事件やら薩英戦争やら長州征伐やら薩長同盟やら。なんだかんだで悪い方向へと転がり落ちていくことになります。

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そもそも、この時代、世界の事情や先行きを最も見通せていたのは幕府だったなんて指摘もあります。

それを自ら崩壊させてしまったかのような安藤信正への仕打ち。

残念でなりません。

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
『幕末維新大人名事典』(→amazon
『全国版 幕末維新人物事典』(→amazon
安藤信正/wikipedia

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