「身近な場所が、実は歴史の大舞台だった」という話はよくありますよね。
今回はレジャースポットとしてよく知られているあの場所の、歴史的な一面を見ていきましょう。
嘉永六年(1853年)8月24日は、東京湾(当時は江戸湾)で「台場(御台場)」を建設し始めた日です。
今ではすっかりインバウンド向け観光地、あるいはファミリーのお出かけ先になっておりますが、当時は全く別の理由で工事が行われました。
1853年という幕末の時点で、なんとなく見当がついた方もいらっしゃるでしょうか。
そう、これは黒船来航から2ヶ月ほど後の出来事なのです。
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全体的に見ると十字に砲撃できるような位置関係
台場はもともと、アメリカを始めとした外国船に対する防備として作られたものです。
現在、あの湾岸エリアは「お台場」と呼ばれていますが、元々は幕府の設備ということで「御台場」と表記。
一文字変換するだけで、かなりイメージが変わりますね。
最初は猿島という島に作られ、その後は品川近辺を切り崩して土を調達、海を埋め立てて複数の台場を造りました。
未完成で終わったものや、場所を変更されたものもあり、全体的に見ると十字に砲撃できるような位置関係になっています。
幕府や工事にあたった譜代大名(川越藩・会津藩・忍藩)の意地がうかがえますね。
努力の甲斐あって、翌年にペリーが再来航したときには「あ、このまま行くとヤバい」(※イメージです)と思わせることができ、湾内に直接入られずに済みました。
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ゆえに実戦で台場が使われることなく終わっています。
武器は実際に使うだけじゃなく、威嚇するだけでも十分に意味がありますからね。現代の核兵器とかもそうですね。
九州から北海道まで 全国にもある著名な台場
東京湾以外にも、この時期に全国の海岸に台場が作られています。
多くが史跡や文化財になっていますね。
特に逸話のあるものを、南から北に向かって抜粋してみました。
場所 | 概要 |
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長州藩下関前田台場跡(山口県下関市) | 下関戦争の舞台 |
明石藩舞子台場跡(兵庫県神戸市) | 勝海舟が設計 |
堺台場(大阪府堺市堺区) | 堺事件(戊辰戦争中に起きた、土佐藩士によるフランス水兵殺傷事件)の舞台 |
弁天台場(北海道函館市) | 戊辰戦争で最後の戦闘が行われた場所 |
どちらかというと、対外戦争より内戦で使われているのはご愛嬌。
明治に入ってから台場は陸軍の所となり、他の場所に「海堡」という要塞の設置が決まると重要性が薄まり、払い下げや撤去が進んでいきます。
海堡は東京湾の外側3ヶ所に作られました。
第一海堡は神奈川県富津岬の沖合いに作られ、本格的に運用されることはなく戦後連合軍の統治中に破壊。

第一海堡 photo by 国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真) /wikipediaより引用
第二海堡も富津市領域に作られましたが、関東大震災で被災し、使えなくなってしまっています。場所が悪すぎましたね……。
こちらの設備も戦後破壊されておりますが、1977年から消防演習場になったり、第一海堡と共に灯台が築かれるなど、別の用途で使われています。
某番組で「農家なのかアイドルなのかわからん」と言われる元5人組のうち、2人が上陸したのはここです。
「生態系の調査ならおk」ということで許可が出たそうで。それで珍しい生き物を見つけるんだからスゴイですよねホント。
第三海堡は、第一・第二から少し離れた横須賀市観音崎沖に建設されました。
地形上の問題で、工事期間を30年も要したのに、たった2年で関東大震災により1/3が沈没して使えなくなるという、踏んだり蹴ったりな目に遭っています。
しかも残ったものが海難事故の原因になってしまい、2000~2007年に撤去工事が行われています。
陸揚げされたものは当時の技術を研究するために使われ、一部は国土交通省の施設などで展示されているとのことです。
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