沖永良部島

幕末・維新

西郷2度目の流刑「沖永良部島」はどんな生活だった? なぜ薩摩へ戻れた?

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西郷と徳之島&沖永良部島
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久光の激怒

島津久光の上洛を受け、「精忠組」でも過激な一派が暴走。

久光の命令と朝廷の意に背いたとして、処断される事件が発生します。

寺田屋事件】です。

これにて「精忠組」は大打撃を受けました。

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大暴走が起こる前、大久保は人望のある西郷を呼び寄せ、引き留めてもらおうと考えていました。

そこで西郷は待機命令を無視して、下関、さらには大坂に向かいます。

この無断行動が久光の耳に入ってしまうのです。

ただでさえ「地ゴロ」と軽んじられていた久光は大激怒。

もはや切腹させるしかないと、西郷に怒りをぶつけます。

西郷は釈明の機会も与えられないまま、二度目の流刑地へと向かうこととなったのでした。

 

あまりに厳しい処分

奄美大島の流刑と比べ、第二次流刑は格段に環境が悪くなりました。

久光からすれば、「切腹でないだけありがたく思え」なのでしょう。

まず、留守家族が厳しい目にあいます。

二男・西郷吉二郎、四男・西郷小兵衛は「勤方差控」から遠慮処分。

三男・西郷信吾(西郷従道)は、「寺田屋事件」に連座したため、謹慎処分。

知行と俸禄と家財が全没収されるという、あまりに厳しい処遇です。

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島へと向かう護送船の中、西郷は一睡もせずに座りっぱなしでした。

寺田屋騒動の連座者である田中河内之介らは、護送中に惨殺されています。西郷自身も、暗殺を警戒していたのです。

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沖永良部島にたどりついて便所に入ったとき、やっと西郷は安心したそうです。

こうしたシビアな緊迫感が『西郷どん』にもあればもっと盛り上がると思うのですが……。

 

第一次流刑よりも心身が痛めつけられる

二度目の流刑は、最初よりもずっと西郷の心身を痛めつけました。

列島では政治の動きがますます加速しており、動乱まっただ中。そこからドロップアウトすることは、西郷にとってたまらなくつらいものです。

肉体的にも、厳しさを増しています。

彼が住むことなった座敷牢は、まるで懲罰房のようなもの。部屋の面積は二間四方(3.6メートル)しかありません。

しかも、トイレはその中です。

そんな状態ですから、不潔で、二十四時間排泄物の悪臭が漂っていたのでした。

西郷は髭を剃ることもなく、日光すら浴びず、過酷な暮らしを余儀なくされました。

日々衰弱していくのみ……。

薩摩よりずっと近くにある奄美大島の愛加那たちとは、同居できません。

数回、面会ができただけでした。

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