楢崎龍説のある写真/wikipediaより引用

幕末・維新

龍馬の妻・おりょう(楢崎龍)66年の生涯~夫を殺された後は生活苦?

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人斬り半次郎に迫られて

おりょうは、寺田屋の女将・お登勢のもとで、「お春」と変名を使って働き始めました。

そんなあるとき、中村半次郎(のちの桐野利秋・このときの変名は村上伴左衛門)が大山実次郎とともに、寺田屋に泊まりに来ます。

しかし、中村があまりに粗暴なので、

「嫌やわあ、薩摩隼人は気が荒うてかないまへん」

と給仕の女性たちが嫌がったのです。

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これにイラ立った中村は、食器をブン投げて暴れます。うーん、そんなことをすればますます嫌われ……。

「うちに任せておくれやす」

気の強いおりょうは、二階の中村のところに行くと、手酌で酒を5~6杯飲み干しました。

流石の中村も、若い女がいきなりこんなことをしてきたので、唖然としてしまいます。

「暴れても仕方ありまへん。器量が下がるだけやおまへんか。うちがつきあうたるさかい、十分召し上がっとくれやす」

おりょうはそう言うと、【人斬り半次郎】を恐れることもなく、二人で差し向かいになって飲み続けたのでした。

さんざん飲んだ後片付けて、おりょうが自室で寝ておりますと、人の気配がします。

「わいはよかおなごだ。今夜はおいと寝てくれ」

そう凄んできたのです。

おりょうは笑い飛ばしました。

「うちを誰やと思うとりますのん? 寺田屋のお春どす。うちは宿場女郎とちゃいます。人を見て口説いてくどいとくれやす」

そう言って手を払うと、肌身離さず持つ短刀がポロリと落ちます。

「わいは何者や。ないごて短刀を持っちょっど。あやしかおなごだ!」

中村は慌てておりょうを引っ張って、大山の部屋まで連れて行きました。

「おなごに短刀なんて必要なか。奉行ん回し者じゃな、行動もあやしか。おとなしゅう白状せえ!」

ギラリと人斬り半次郎に睨まれても、おりょうは退きません。

「おなごにも短刀は必要どす。今夜のように、暴れ者が夜這うてきたとき、この短刀で刺してやろうと持っていたもの、あやしいと思うなら好きにすればよろし」

「うぬぬ……」

中村は反論できず、顔を真っ赤にしております。

ここで大山が「ちょっと短刀を見せてみやんせ」と言い出しました。

それから半次郎の袖を引きます。

「わいも冗談はほどほどにしやんせ。こんしは坂本龍馬先生ん奥様じゃ。こん短刀は坂本先生ん差し料ん【越前国広】じゃっで間違いあいもはん。坂本先生に隠し妻がおっとは聞いちょったが、まさかこんしとは。とんだことをしてしもうたね」

中村はたちまち慌てました。

「ごめんなせ、許したもんせ! これは失礼した!」

そう謝り、翌日には中の島でおりょうに食事を奢ったそうです。

「どうか昨晩んこっは、坂本先生には内緒にしたもんせ」

そう口止めしながら、大慌てで薩摩に戻ったそうです。

龍馬は、薩摩藩の多くの人々、西郷隆盛小松帯刀とも親しい仲です。

この事件が発覚したら、そりゃ大変だったでしょう。

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密書を仲介し、隊士を世話し

おりょうは勇敢な女性でした。

新選組が目を光らせている京都で、活動家の妻や恋人であることは、生半可な覚悟ではできません。

おりょうは、夫のために様々なことをしました。

・密書を仲介する

・海援隊の隊士の世話をする

龍馬の活躍は、こうしたサポートあってこそなんですね。

そしておりょう最大のファインプレーは、慶応2年(1866年)の寺田屋における龍馬襲撃(寺田屋事件)において、危難を知らせたことでしょう。

入浴中のおりょうが咄嗟に湯船から飛び出し、袷一枚だけを着て龍馬に聞きを知らせる場面は、幕末ファンならおなじみです。

このあと薩摩藩邸に逃げ込み、そのまま薩摩で「ハネムーン」を満喫したことも、よく知られています。

坂本32才、おりょう26才。

若い二人は名峰・高千穂峰にのぼって「天の逆鉾」を引き抜こうとしてみたり、「塩浸温泉」に入ってみたりしています。

10日ほど滞在し、西郷の妻・西郷糸子岩山糸)にも歓待を受けています。

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旅の詳細は上記の記事にございますので、よろしければご覧ください。

 

夫の死

フィクションを中心としたおりょうの姿は、このあたりまで。

龍馬の物語が終わるとともに、彼女の役目も終わり、幕末という舞台から消えてしまったかのようです。

しかし、もちろんそんなハズはありません。

龍馬を失ってからの人生のほうが、おりょうにとっては長いのです。それは……。

慶応3年(1867年)11月、龍馬が凶刃に斃れた日と前後して、おりょうは不吉な夢を見ました。

血塗れの刀を持った龍馬が、しょんぼりとした様子で、枕元に立っていたのです。

夫の身の上に何かあったのかと不安に思っていると、訃報が届きました。

龍馬の仏前で、おりょうは洗い整えた黒髪を切り落とし、備えました。

それまで気丈にふるまっていたおりょうは、このとき、夫の死後に初めて号泣するのでした。

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