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【池田長発】
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フランスでは名刺を配って日本をアピール
エジプトからは地中海を船で渡り、フランス・マルセイユに到着。
そこから陸路でパリへ向かい、ナポレオン3世に謁見しました。
結果から言うと、井土ヶ谷事件の解決・謝罪は成功し、横浜再鎖港の交渉は失敗しています。
最悪の場合、横浜が香港のように戦争でぶん取られる可能性もあったわけですから、交渉失敗くらいで済んだのはまだマシかもしれません。
ゲームに例えるとすれば、長発はメインクエストには失敗したものの、サブクエストには成功しています。
フランスで様々な学問や産業の資料を集めたり、名刺を配って社交界に日本をアピールしたりしているのです。
こちらが池田長発の名刺です。
官名である「池田筑後守」が実に流麗な筆跡です。
池田本人の筆かどうかはわかりませんが、日本語の美しさを再認識できますね。
現地ではそれなりに歓待もされ
左側には、ローマ字の読み仮名とフランス語で「Ambassadeur de L. M,taicoun du Japan」(日本の将軍の外交官)と書かれています。フランス側の通訳が書いてくれたんですかね。
フランス側でも外交儀礼は守ってくれていて、晩餐会では「日本人には西洋の酒は口にあわないだろうから、前に来た日本人が持ってきた紹興酒を飲むといい」と言われたそうです。
この「前に来た日本人」というのは、約二年前の「文久遣欧使節」のことだと思われます。
福沢諭吉が参加したことで有名な使節団ですね。
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ということは、おそらく池田たちも「ヨーロッパ一の奇人」(by福沢)のレオン・ド・ロニーと会って話したんでしょうねえ。
この頃レオンはパリで日本語を教えていましたから、「生きた教材が来たぞヒャッフー!!」くらいにはテンションが上がっていてもおかしくありません。
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結果が出ないからって石高半減と蟄居は辛い
ナポレオン3世の皇后・ウジェニーとも結構話したようです。
「婦人らしい話題」としか書き残されていませんが、日本の衣食住や家庭のことなどでしょうかね。現代でもそうですが、固有名詞が多くなりそうな話だと、通訳の苦労がしのばれます。
宮廷外では、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトにも会いました。
もしかすると、彼に会ったことで、長発は西洋の理系学問に興味を持ったのかもしれませんね。こうして直に西洋を見聞した長発は、「日本は開国して、西洋と付き合うべきだ」と考えるようになるのです。
交渉がうまくいかないこともあり、予定していたイギリス訪問を取りやめて、日本へ帰ってきています。
確かにイギリスを味方につけてフランスと交渉させる、という手もあったかもしれません。
しかし、まだ西洋の事情が飲み込めていない当時は、そういった発想はできなかったでしょうし。
ただ、幕府の希望とは反していますから、長発は石高半減と蟄居という罰をくらいます。
自分の思い通りにならないから罰する――ってダメな政治判断ですよね。これでは後に続く勇気を持った者が現れません。
戊辰戦争の頃には許されたものの、既に長発は健康を害しており、地元に学問所を作って教育にあたっていたそうです。
その跡地である岡山県井原市立井原小学校には、長発の生誕150年を記念して、銅像が建てられたとか。
ここで生まれ育つ人だけでなく、少年少女たちには長発のように、広い視野を持って学び、遊び、成長してもらいたいものです。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
月報/国立国会図書館
池田長発/Wikipedia
横浜鎖港談判使節団/Wikipedia