イキナリ問題です。
約260年間の江戸時代、マグニチュード6以上の大地震が日本で何度起きたか、ご想像つきますか?
答えは、40回とか50回とかそんなもんじゃなく、以下の通り。
◆江戸時代の地震
【総数……184回(265年間)】
M5.0-6.0……40回
M6.1-7.9……103回
M8.0-9.0……6回
規模不明……38回
1年あたりの大地震……0.696回
※理科年表より(→amazon)
総数は実に184回!
そのうち144回はM6.1以上であり、東日本大震災クラスのM8.0-9.0の大きな揺れも6度起きています。
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おそらくや皆さまのご想像以上かと思われますが、こうした地震(を含む天災)は、ときに歴史をも変える存在となり、今回は幕末に注目。
1855年に起きた安政の大地震(安政江戸地震)は江戸を直撃しました。
マグニチュードは7.0規模だったと推測されていて、被害者は最大で2万人とも。
この大地震では大河ドラマ『青天を衝け』でも注目され、水戸藩・徳川斉昭の懐刀であった藤田東湖も建物の下敷きになって亡くなっています。
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黒船以上とは申しませんが、政局や社会ひいては倒幕に大きな影響を与えたのではないでしょうか。
なんせ弘化4年(1847年)~安政5年(1856年)にかけては、M7クラスの巨大地震が日本全国で実に9度も起きており、人心をも大きく揺らした可能性は否めません。
そこで本稿では、この「安政の大地震」を含めた天災、ならびに江戸時代の社会システムを振り返りながら、倒幕までの要因を災害視点から分析してみたいと思います。
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幕府システムの疲弊
徳川家康が征夷大将軍となった1603年以降。
戦乱によって荒廃していた日本も太平の世となり、社会秩序は順調に回復してゆきました。
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例えば戦国時代には、大規模建築や合戦のため、数多の木材が伐採されました。
それによってハゲかかっていた山々も回復し、現在まで続く高い森林率を取り戻すことができています。
しかし、幕府の運営システム自体は、度重なる災害によって疲弊していきました。
なにせ、ザッと挙げるだけで、日本には毎年、これだけのリスクがあるのです。
・火災
・地震と津波
・台風と水害
・冷害
・飢饉
上記の災害は、藩の大小問わず襲いかかり、当然ながらその規模が大きくなるほど、より大きな被害を与えました。
例えば慢性貧乏だった代表・薩摩藩。
ご存知、鹿児島は今でも台風の通り道であり、毎年、夏から秋にかけては水害に遭う危険性にさらされております。
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東北の雄・仙台藩は、江戸時代の新田開発が功を奏して「米どころ」となりました。
そのせいで「米を売って金を手に入れる」という藩経済が発展し、ひとたび飢饉になると悲惨な状況になります。
一度は売った米を、今度は他藩から買わなければなりませんでした。
全国中心の商業地であった大阪にも目を向けてみましょう。
なんぼ言うても、天下の台所・大坂は、日本最大の物流拠点。ナニワ商人はいつでも大儲けでっしゃろ!
そう思うかもしれませんが、現実はさにあらず。時代がくだるにつれて、優位性は失われておりました。
一体どういうことか?
江戸時代前期、大坂の産業は、たしかに全国TOPレベルでした。
灘の名酒、醤油など……各地の特産物は大坂に来なければ口にできないものも多々ありました。
ところが、です。
江戸中期以降、にわかに事情が変わってきます。経済的に行き詰まった全国各藩は、こう考え出したのです。
「我が藩でも酒や醤油を造って、お金にしよう! 上方から職人を呼んで技術を教えてもらうのだ」
要は、大坂だけでなく、地元でも美味しい醤油や酒が製造できるようになり、わざわざ輸送費をかけて買わなくて済むようになったのです。
こうして、大阪のような一大商業都市もジリジリと優位性が低下して、景気が停滞してしまいました。
大坂中心の産業流通システムに変化
江戸時代というのは、全体的に日本人の生活レベルが向上した時代です。
戦国時代までならば庶民が口にできなかった甘い菓子、雑煮、醤油が全国各地に広まりました。
その一方で、大阪のような例もあったわけです。
サイクルをまとめると、こうなります。
・天災によって、各地の藩が疲弊する
↓
・その結果、財政改革を迫られる
↓
・「上方から職人を招いて、酒や調味料を地元で造ろう!」
↓
・「もう上方から取り寄せる必要ないじゃん!」
↓
・大阪の優位性低下
かくして、物流の流動性が低下して経済が停滞→悪化。全国各地で、武士も町民も商人も、こんな風に思うようになります。
『なんだか不景気になったな~。そろそろ世直しが必要じゃないかな~』
景気というのは、人心が強く影響するものです。江戸時代後期には、そんな幕府にとってマイナスな空気も漂っていたのでした。
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