徳川慶喜

徳川慶喜/wikipediaより引用

幕末・維新

徳川慶喜を知れば幕末の動乱がわかる!家康の再来とされた英邁77年の生涯

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岩倉や倒幕派もなんとかして追い払おうと……

「中枢が幕府から朝廷になるだけで、徳川家=自分がその下で実質的なトップになれることは間違いない!だったら建前だけとっとと権力返せばいいじゃん!オレ頭いい!!」

慶喜はそう考えたのでしょう。

西周にしあまねという学者出身の側近と相談。

「天皇の下に武家が中心の議会を作って、イギリスみたいにしたらいいんじゃね? 議長はオレな。あと三権分立とかいうのも取り入れよう」という、近代的な仕組みを作ろうとしていたようです。

この辺は流石「家康の再来」と言われたほどの人物という感があります。

ところが、です。
岩倉具視や薩摩・長州など討幕派は、何とかして慶喜を追い払おうと知恵を絞ります。

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大政奉還の後しばらく「新しい政府がまだできてないから、それまでの間は旧幕府の人が政治をしていいよ」ということになっていました。

チャンスはここしかありません。

これを逃せば、徳川家とその一門・旧幕府の老中達が権力を握り続けるに決まっています。

朝廷に権力が戻ったことになりません。

 

「慶喜とその子孫とは付き合わないように!」

そこで討幕派はクーデターを行い、完全に徳川家を政治から追いやるべく動き始めます。

まず王政復古の大号令を発して「もう徳川家の席ねーから!」と宣言し、さらに薩摩藩が旧幕府軍を挑発して武力衝突に持ち込みました。

ここで薩長軍が「錦の御旗」=天皇に認められた証を掲げたことにより、薩長軍=官軍、旧幕府軍=朝敵という構図を無理やり作ったのです。

実にえげつないこの事件が【鳥羽・伏見の戦い】です。

とはいえ慶喜も本当に朝敵になってしまってはたまりません。

そこで兵を置いてとっとと江戸へ逃げてしまいました。

しかし、これがその後の慶喜の評判を大きく落としてしまいます。

特に大奥や江戸に残っていた重臣達からは一人だけ逃げ帰ってきたと思われ「(°Д°)ハァ?意味わかんないんですけど!?」と大クレームをくらいます。

そのためか、先代将軍の御台所(正妻)・和宮へ朝廷への取り成しを頼んだときも嫌がられる始末。

篤姫に至っては、徳川宗家を継いだ亀之助(徳川家達)へ「慶喜とその子孫とは付き合わないように!」とまで言っています。

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逃げて逃げて最後は国会議員

その頃、朝廷からは正式に「慶喜は朝敵だから皆でやっつけようね!」という命令が下りました。

対する慶喜は、上野の寛永寺(徳川家の菩提寺)で

「いやいやそんな滅相もない、私はこの通り謹慎して反省しております」

とアピールするのですが、既にやる気満々の新政府軍には効きません。

ことここに至っては慶喜も政治への関与を諦めざるを得ず、徳川家当主の座も譲り渡して謹慎中のまま隠居生活に入ります。

その後は徳川家縁の地・駿府(静岡)で静かに過ごしました。

写真や狩猟など、趣味に没頭してまさに「ご隠居様」としての生活を楽しんでいたようです。

将軍だった頃は趣味を楽しんでいる暇もなかったでしょうから、ホッとしていたかもしれませんね。

維新のほとぼりも冷めた明治三十年(1897年)には東京・巣鴨に移り、5年後には貴族院議員として再び政治に関わることになります。

岩倉や西郷など、維新の中心となっていた人物は軒並みこの世を去っており、静岡でも野心を見せずにいたことが良かったのでしょう。

そして8年ほど勤めた後再び隠居し、大正二年(1913年)に亡くなりました。

享年77。

時代のせいもありましょうが、徳川将軍としては最も長生きされた方でした。

昔は「敵前逃亡なんてとんでもない柔弱なヤツだ!」と悪評高かった慶喜ですが、最近は「いや、慶喜がさっさと降参したから江戸が火の海にならなくて済んだんじゃね?」と再評価する動きもあります。

薩長サイドのフィクションでは悪役の代名詞みたいになりがちです。そろそろマトモに扱っても良いのでは……。

なお、慶喜が優れていたことがわかる当時の評価を以下の記事にマトメましたので、よろしければ併せて御覧ください。

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長月 七紀・記

 

徳川慶喜と幕末明治のイベント年表

1837年 1才 慶喜、江戸にて生誕
1839年 3才 蛮社の獄高野長英渡辺崋山
1840年 4才 アヘン戦争
1841年 5才 天保の改革水野忠邦
1847年 11才 一橋家を相続
1851年 15才 ジョン万次郎帰国
1853年 17才 ペリー来航
1854年 18才 日米和親条約・篤姫と徳川家定の結婚
1855年 19才 一条美賀子を正室に迎える
1858年 22才 日米修好通商条約・島津斉彬が急死・安政の大獄
1859年 23才 吉田松陰が死刑
1860年 24才 桜田門外の変
1862年 26才 寺田屋事件(薩摩若手藩士の粛清)・生麦事件
1863年 27才 下関戦争・薩英戦争
1864年 28才 禁門の変で戦場へ・第一次長州征伐
1866年 30才 薩長同盟
1867年 31才 大政奉還・明治天皇即位・坂本龍馬暗殺
1868年 32才 戊辰戦争(鳥羽伏見の戦い・会津戦争・北越戦争・上野戦争箱館戦争
1869年 33才 版籍奉還
1871年 35才 廃藩置県
1874年 38才 不平士族の反乱佐賀の乱
1876年 40才 廃刀令・秩禄処分・不平士族の反乱(神風連の乱・萩の乱・秋月の乱)
1877年 41才 西南戦争
1878年 42才 東京で伝統・紀尾井坂の変で大久保利通暗殺・東京株式取引所
1879年 43才 琉球藩が沖縄県
1881年 45才 明治十四年の政変・松方デフレ
1882年 46才 日本銀行
1886年 50才 ノルマントン号事件不平等条約の撤廃へ)
1888年 52才 市町村の制定
1889年 53才 大日本帝国憲法・皇室典範・大隈重信、襲撃される
1890年 54才 第一回衆議院議員選挙
1891年 55才 足尾銅山鉱毒事件大津事件
1894年 58才 日清戦争
1895年 59才 樋口一葉「たけくらべ」・下関条約・三国干渉
1896年 60才 ギリシャのアテネで第1回オリンピック
1897年 61才 慶喜、巣鴨へ引越し
1899年 63才 東京―大阪の長距離電話が開通
1900年 64才 治安警察法
1901年 65才 八幡製鉄所が操業
1902年 66才 日英同盟
1904年 68才 日露戦争
1905年 69才 夏目漱石「吾輩は猫である」・ポーツマス条約
1906年 70才 鉄道法・南満州鉄道株式会社の設立
1907年 71才 ハーグ密使事件
1908年 72才 赤旗事件
1909年 73才 伊藤博文が暗殺される
1910年 74才 韓国併合
1911年 75才 平塚らいてう青踏社
1912年 76才 辛亥革命・大正天皇即位・乃木希典殉死
1913年 77才 徳川慶喜、永眠

【参考】
『幕末維新大人名事典(新人物往来社)』(→amazon
『全国版 幕末維新人物事典』(→amazon
国史大辞典
徳川慶喜/wikipedia

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