薩摩の食文化

幕末・維新

薩摩の食文化は彩り豊か~唐芋・豚肉・焼酎・菓子など異国情緒な食卓

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名刀波平

この先は食から離れまして……。

薩摩には、

「兵は隼人の精鋭、太刀は天下無双の波平」
「薩摩国に波平あり」

と呼ばれた名刀がありました。

初代波平こと橋口正国は、鎌倉時代には薩摩国に移り住んだとされています。

彼は、刀の生産に適した場所を探すうちに、良質な炭がとれる椎や栗の木と、こんこんと泉が湧く場所を見いだしました。

そして地元の人に、ここは何という場所かと尋ねたところ、こう帰ってきます。

「“波平”と呼ばれておいもす」

刀にとってふさわしい地名でした。

刀とは、人をむやみに殺傷するためではなく「四海波 平らかに治める=天下泰平をもたらす」ために作ることこそ、理想です。

彼は自らの刀の銘を「波平正国」としました。

そして、薩摩に移り住んで数年後。正国は妻子を連れて、海路波平まで戻ろうとしました。

嵐に船が飲まれそうになったそのとき、正国は刀をかざしました。

「波、平らかなれ」

そう祈り刀を海に投げ込むと、荒れ狂う海は静まり、無事薩摩にたどり着くことができたそうです。

波平の中でも伝説的な名刀が「笹貫」です。

伝説には相違がありますが、竹藪の中に何らかの理由で捨てられていた刀の刃が笹の葉にあたり、真っ二つに切られていたことが由来だとか。

鹿児島県には地名としても残っています(参照:重要文化財 波平行安 e國寶)。

 

黒田清輝も生んだ力強い薩摩絵画

薩摩藩には独自の文化がありましたが、江戸時代も時代がくだるごとに、江戸の影響を受けることになります。

水墨画も例外ではありません。

室町時代から江戸初期にかけては、薩摩の水墨画は力強さが特徴。それが狩野派の影響を受け、さっぱりとして垢抜けた作風になっていったのです。

そんな中であらわれた絵師が、木村深元でした。

狩野派の良さの中に、雪舟派の力強さも持ちあわせたその作風は、薩摩の人々を魅了します。

質実剛健さを持つ絵画を見た人々は、こう呼ぶようになりました。

「見事(みごっ)深元!」

以来、薩摩の絵画は深元を手本として発展を遂げることになります。

薩摩の絵師は世襲ではないこともあり、個性的な絵師が数多く誕生したとされています。

この伝統は、明治以降の画壇でも花開きました。

力強いタッチで日本近代洋画を牽引した黒田清輝、藤島武二、和田英作らが、鹿児島から登場。

その作品群からは、いかにも薩摩らしい質実剛健さが感じられます。

『湖畔』(1897年)/wikipediaより引用

いかがでしょう。

開明的で異国情緒溢れ、力強い文化を持つ薩摩。

様々な魅力を持つ薩摩の姿が『西郷どん』や『青天を衝け』以外の作品でも見られることをこれからも期待したいと思います!

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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
『西郷どんと薩摩士風』西郷隆盛公奉賛会
『鹿児島県の歴史 (県史)』(→amazon

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