幕臣時代の渋沢栄一(左)と大正時代のNYで撮影された一枚/wikipediaより引用

幕末・維新

本当は怖い渋沢栄一 友を見捨て労働者に厳しくも人当たりの良さは抜群

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そもそも『論語』は特別ではない

現代では『論語』を読んでいる人は、変わった人とみなされるでしょう。

しかし、渋沢栄一の世代であればそうでもありません。

かつてはエリートの教養であった『論語』ですが、日本が近代へと移り変わるにつれ、広く読まれるようになっていました。

そこでこんな提案を。

今から100年が経過した後世で、次のような伝記があったらどう思われますか?

「◯◯◯◯は『鬼滅の刃』を愛読していました。あの作品とビジネスを結びつけたところに、彼の素晴らしい発想があるのです!」

『鬼滅の刃』なんて今更説明するまでもなく社会現象になった作品です。誰だって読んでるし、ビジネスに結びつけることだって珍しいことじゃない。

それを上記のように語られたら「何を言ってるんだ、お前は?」とツッコミたくなりますよね。

翻って渋沢と『論語』です。

『ポケット論語』が出るほど大流行した時代です。そこに絡めてビジネスなりエンタメなりを企画したところで、特段珍しいものではないでしょう。

要は渋沢だけのオリジナリティではないのです。

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『論語』から商業は学べるのか?

なぜ当時『論語』が読まれていたのか?

それは東洋では道徳なり教養として定着していたからです。

儒教を宗教とみなせるかどうか」という点には様々な議論があり、中国では「儒仏道」という呼び方があります。「儒教・仏教・道教」の教えは、並行して身につけるべき一般教養とみなされていたのです。

一方、中国では商人に特化した古典があります。

『陶朱公商訓』(とうしゅこうしょうくん)というのですが。

陶朱公とは、伝説の商人・范蠡(はんれい)のこと。BC5世紀、春秋時代の商人であり、四大美女・西施とも関わりが深い人物です。

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すると『論語』の本場である中国からすると、渋沢はこう突っ込まれかねない。

「商売人なら、なぜ『論語』なの?『陶朱公商訓』ではないの?」

単に『陶朱公商訓』が『論語』のように広まっていなかっただけのこと。

日本では商売として成立しなかっただけのことでしょう。

では『論語』の教えを商売に取り入れたことは特別なのか?

渋沢栄一だけだったのか?

この点も気になるところですが……。

実は、中国では科挙受験に金がかかり、かつ経済が発達した明代中期頃から、科挙に必要となる儒教教典を身につけた商人が増えました。

『論語』と算盤という組み合わせは、特別とも言えません。

商売に関する思想というのであれば、フランス由来のサン=シモン主義など、もっと別の要素があったのではないかと思えます。

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商業軽視の【水戸学】を信奉する

渋沢栄一は、商業を軽視したから幕府は滅びたのだと主張します。

しかし実際はそんな単純な話でもありませんし、そもそも矛盾があります。

彼は、幕末でも屈指の商業軽視・プライド重視だった人物が広めた思想に浸かっていました。

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水戸藩は御三家としてともかく見栄っ張りで、石高を上方修正して申告し、住民にはその分の重税を課しました。あまりにキツい税のため、逃亡する民衆も跡を絶たなかったほどです。

しかも、幕末になると、無駄金の消費傾向が極まる。

斉昭は攘夷を掲げてマウンティングを取ることばかりを重視し、役に立たない大砲や軍艦を作り、まさしく金をドブに捨てるようなことをしました。

さらには開国して海外貿易すべきだと判断した幕臣に反発して政治を引っ掻き回す。

ことあるごとに人々を愚民と見下していたのも斉昭です。

大河ドラマ『青天を衝け』で渋沢が地元の代官に反発していましたが、それより悪辣なことをしてきたのが斉昭であり、そんな為政者を渋沢は称賛していました。

そしてそれが幕末の水戸藩に大きな悲劇となるのですから悲しいものがあります。

天狗党です。

斉昭の薫陶を受けた彼らは、罪なき商人たちに金を出せと脅迫を続け、放火、惨殺、暴行を働きました。

他ならぬ渋沢も、天狗党と深い関わりがあります。

藤田小四郎と「畏友(いゆう・尊敬する友)」と呼び合うほど親しかったのです。

それゆえ天狗党の一員であった薄井龍之は上洛し、助けを求めましたが、このときの渋沢は黙殺してことを済ませました。私からすると冷淡に思えるのですが、いかがでしょう。

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幕府において商業重視姿勢をとった井伊直弼も【桜田門外の変】において、【水戸学】を奉じた水戸藩士らの手によって討たれました。

その井伊が抜擢し、幕臣きっての経済通であった小栗忠順は、渋沢の矛盾を辛辣な皮肉で指摘しています。

「お前さんは面白い男だねぇ。

ついこの間までは、攘夷だの討幕だの唱えて、赤城山で挙兵して高崎城を乗っ取り、武器を奪って幕府を倒し、横浜から夷狄どもを海の向こうへ追い払ってやるなんて考えていたのに。

今はその幕府を心配しているってわけか!」

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ではなぜ渋沢栄一が、商業ではなくテロリズムに傾倒していたか?

おそらくや時代の空気に流されたのでしょう。

本人は生涯を通して算盤で生きてきたような語り口ですが、若い頃は尊王攘夷を掲げた危険な志士です。

幕府が商業を軽視したから倒幕を唱えた、というのも斉昭を信奉している時点で筋が通りません。

若気の至りの【水戸学】とも完全に縁を切ったわけでもなく、生涯、天狗党にシンパシーを抱き続けました。

明治政府には多数の【水戸学】信奉者がいたから、それも許されたのでしょう。

しかし慰霊のように無害なものならいざ知らず、藤田東湖を肯定的に紹介していたのですから、悪質かつ矛盾した態度と思わざるを得ないのです。

【水戸学】は明治時代から昭和前期まではむしろ推奨されました。

アジア・太平洋戦争での敗戦後は、皇国史観の根底を為すものとして否定的に扱われています。

 

“弐臣”であることを恥じず?

渋沢栄一の言行を見ていくと、論語の語り手どころか、儒教倫理に反しているのでは?と思うことがしばしばあります。

最大の疑念は、彼が“弐臣”であることに尽きます。

こんな言葉を聞いたことありませんか?

忠臣は二君に仕えず――。(『史記』「田単伝」)

戦国時代はさておき、江戸時代ともなると、絶対の忠誠心が武士の心得として重視されました。

こうした評価は、中国史のことも踏まえねばなりません。

明から清への王朝交替は、中国のみならず朝鮮と日本でも衝撃を持って受け止められました。漢族が異民族である満洲族に敗れたからです。

そして明から清へ鞍替えした者は、清朝ですら『弐臣伝』に記録されました。

そこには「切り替えができていいね!」と褒めるニュアンスはありません。むしろ呉三桂のような人物は、恥知らずとして罵倒されたものです。

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二君に仕えることを断固拒んだ明の方孝儒、朝鮮王朝の「死六臣」および「生六臣」は顕彰されてきました。

韓流ドラマ『王女の男』でも「死六臣」が登場。

そんな歴史を知る幕臣たちは、明治政府に仕えることに強い拒否感を見せています。

川路聖謨は、儒教倫理から出仕を拒んだ悲しい例といえるでしょう。

彼は伯夷・叔斉(はくいしゅくせい)の故事を引きつつ己の心情を書き残し、江戸城総攻撃と予告された日に、ピストルで自害という悲壮な最期を迎えています。

この伯夷・叔斉という兄弟は、殷から周に王朝が変わったことを嘆き、周の食べ物すら拒み、山菜を食べ続けて餓死しました。

周は孔子が理想とした王朝であるにも関わらず、この兄弟は忠を貫き、命を落としたのです。

儒教において讃えられ、理想とされた人物。

その彼らの心情に想いを寄せ、幕府とともに命を絶った川路聖謨は、まさしく儒教における忠臣の典型とみなせるでしょう。

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川路聖謨のように命を絶つまでゆかずとも、葛藤と無念を噛み締めていた幕臣たちはおります。

“頑民“(頑固な民)として過ごすと言い残した小栗忠順。

新政府に目を光らせ、思想で立ち向かった栗本鋤雲からも、“弐臣”にはなるまいという強い意志を感じます。

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渋沢と意気投合した福地桜痴にしても、政府出仕までにはアンビバレントな感情があります。

渋沢栄一が、福沢諭吉のように「儒教から学ぶことなどない!」と言い切ったのであれば、“弐臣”という古臭い概念なんて気にかけなかったのだろうと思えます。

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くどいようですが渋沢は『論語』こそ己の原点にあると語っている。

どこが?としか言いようがないのです。

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